2.《ネタバレ》 なんでここに「余貴美子」がいるのか?
それでまあ、この女優さんはどっからどうみても主役級の美人には見えないわけだ。ごつい輪郭に寄りすぎた目、への字を描いた口。
ところが作品中では、なぜか絶世の美女であるかのようにチヤホヤされ続けているわけで。
こんなブスが主演女優で、カトリーヌ・ドヌーブをチョイ役で出すというのは、どういう間違いだ。
それで「私はへの字口は嫌いなんだぞおー!」と叫んでみたりする。
ノラという人はブスなうえにめちゃくちゃ性格が悪いですね。
この人の言っていることはほとんど嘘八百。そのうえ常に計算づくで男性に迫る。
「画廊を始めてみたけど、とても楽しいわ」ってそら、カトリーヌ・ドヌーブが言うならなんとも思わないが、余貴美子が言ってはいかんでしょう。「さっさと切符をとってちょうだい!」とかって、男性マネージャを当然のようにコキ使っているあなたは何様のつもり。
きわめつけは、「男(ジャン・ジャック)と楽しくつきあうために、息子を父親に預けっぱなし」ですね。そら、「仕事があるから」てな言い訳をしたのでしょうが、実際は違うでしょうが。子供を手放す親なんてのは、どんな言い訳をしようが自分のほうが大事だからに決まってます。(うちの母のうけうりだ)
そんなブスで性格の悪いノラに、後半、〝父の手紙〟という強烈パンチが襲います。
この父の手紙については、解釈が分かれるところでしょう。
1.ノラが自分の死によって落ち込むことを少しでも和らげたいという親心で、ウソをつきまくってみた。
2.本心だった。
3.病気で頭がおかしくなってしまったため。
3である場合には、「病気による苦痛や、死の恐怖は、人格まで変えさせる」という描写を目的とする以外にはあり得ませんね。ところが、これは病気メインの映画ではない。1の場合は、自分の死後必ずノラが読むように、何らかの工夫をするはずですね。なので私は2しかあり得ないと思うのだ。
ということは、〝嘘で固めた人生を送り己の見てくれも省みずお嬢さんぶっている傲慢なノラに罰が下る〟という話かと思いきや、ラストは「私の心は今平和なの」みたいなことをつぶやいて終わってしまう。「私を通り過ぎた男たち(父を含めて)」みたいなノリである。まあ、そんな題名でもあるが…これでいいのか。「ミュンヘン」のルイが出ずっぱりとなっているのもいまいち意味不明である。