8.《ネタバレ》 ジョーは突然性感を失ったにも関わらず、子供を産んでも落ち着くことなくSEXに耽るのが不思議。ジェロームが手に余って他の男漁りを提言するほど異常ってこと。極め付けは、言葉も通じない黒人をナンパして、その黒人兄弟と3Pになるシーン。プレイの最中に兄弟がどっちの穴に入れるかを巡って勃起しながら喧嘩を始めるという笑える展開。しかも、若いステイシー・マーティンではなく、肌のたるんだシャルロット・ゲンズブールが演じているのもシュール。
失ったセクシャリティを回復しようと、ジョーは会員制SMクラブのようなところにまで出入りする。そんなことで回復できるとは思えないのだが、とりあえず何でもやってみようということか。夫と子供を失ってでもムチ打たれに出かけていくいくジョーは、凡人には理解不能。ジョーは集団カウンセリングで「色情狂」と自己紹介し「セックス依存症」とはっきり区別しているようだが、その違いさえもよくわからない。
ジョーが借金取りになって男の性的嗜好を探りながら責めるシーンも面白い。大男が脅迫してもオチなかった男の下半身を露出させて、いろんな性的嗜好の物語を聞かせ反応を見て、ついには男児愛好家とわかるや男は泣きながら金を払うと屈服する。色情狂としてのいろんな性体験が仕事に生かされることもあるわけだ。性的疎外者であるジョーが同じ孤独を味わう男児愛好家にフェラしてやるのも色情狂ならではの共感の印なのか。
蘊蓄を語りながら分析するセリグマンの博識ぶりがすごい。ジョーがムチ打たれたときに縛られた縄の結び方が、登山のプルージック結びと推察して、それが生まれたエピソードまで披露している。
その紳士然として性欲など無縁のような童貞老人が、ラストに豹変したのはビックリ。おまえも性欲から逃れられない男だったのかと。
セクシャリティをすべて捨てることを決心したジョーも、結局そこからは逃げられなかった。セリグマンがジョーに拒絶されて最後に言ったセリフ――「大勢の男とやったくせに」
それまでの博識な紳士像を全部引っくり返してしまうインパクト。
神経症を抱えたトリアー監督の、人間の性や業を冷徹に見つめる屈折した皮肉な視線を感じる。
この監督、皮肉が好きなようで、ジョーが片腕として育て上げたPにジェロームを寝取られた上に小便を掛けられたのもそう。
丁寧に積み上げたものを最後に粉々にぶち壊してみせる感じ。
もっと軽いタッチの映画かと思ったら、とても深くて数学、バッハ、聖書など、いろんなメタファーがこめられているようだ。深すぎて理解するのが難しい。特に、聖書や宗教が絡むと、その方面での関心や知識がないので、東方教会や西方教会が出てきてもピンとこない。
でも、わからないながらも幾つものシーンにインパクトがあって印象に残る。この特異な映画の全体を理解したい気もするが、一方でそれができない自分に安心する気持ちもある。