5.また新たなる歴史に残る作品が生まれた。久しぶりだ、これほどミラクルな作品を体感したのは。まさにファンタスティック!!
世界の映像クリエーターが驚嘆と嫉妬する映像を生み出したウォシャウスキー兄弟に賞賛を贈りたい―――。
私は原作を知らないが、現代において「スピードレーサー」のストーリーや設定はいたってシンプルである。
即ち、この映画を普通に撮ってしまったらとても緩慢な作品になることは予想できる。
そこでウォシャウスキー兄弟は、原作のエッセンスを脳内のルツボに垂らし、
そこから抽象的なビジョンを抽出、映画という媒体に収めるべく具現化した。
いわゆる、イメージをCGを使って表現できる数少ない天才である。
ここで着目するのは、彼らの想像力は既存の枠に納まっていない事である。
ものごと何でも、限度の枠が有るほうが収拾が利いて楽なのである。
それがデジタル化時代に入って曖昧な枠が消え去った。
CGの可能性は無限になり、その中で未開の地を開拓するウォシャウスキー兄弟の偉業はとても大きい―――。
絢爛豪華なビビッドな色彩と光の軌跡は、もはやアートの境地。既視感は何ひとつ無かったのではないかと思えるほどオリジナルティに溢れている。
編集も秀逸で、玩具を組み立てるように様々な素材のピースを巧みに繋ぎ合わせ、しっかりとある一点に収束させている。
その中でも特筆すべきは、映像のカットやエフェクトに普通場面転換等に使われるスライドトランジションを多用、未知のリズムと軽快なテンポを生み出したことであろう。
それらが醸しだすコミカルな展開とスピーディーな映像はこの題材に見事に調和している。
めくるめく刺激のオンパレードに陶酔しながらも、笑い・信念・葛藤・愛がしっかりと描けているのにも脱帽だ―――。
圧倒的な情報量の多さから何度も楽しめる映画「スピードレーサー」。
それ故に思うことは、この映画の幹である数多の作り手の意図や思慮を僅かしか計り知れないことである。
「マッハGoGoGo」は日本の大切な遺産である。
これを時代を経て、国の違う人たちが「スピードレーサー」として蘇らした。
鑑賞後、この事が一番の意義あることの様に思え、深く心を打たれた。