20.映画の基調色となる緑が印象深い。ハローワークの階段の壁に貼られた無機質な表示や小泉今日子を拘束するガムテープ、清掃する香川照之の前で子供がこぼすメロンソーダらしき液体、井之脇海が拘置される警察署地下のホラー風アクセント照明、あるいは小柳友が仲間とチラシを投げ捨てる橋のライティングなど等、闇や陰影が控えめとなった替わりに多様なグリーンが画面を彩る。香川と小泉の断絶の提示が画面上で決定的になるのは、居間とダイニングの段差がもたらす立位置のみならず二間を分けるグリーンとオレンジの照明の分断にもよるだろう。地平線に立つ女性主人公を照らす光と大気と風と、時刻の変化が示す奇跡的な瞬間の感動は、個人的にはロメールの『緑の光線』や『レネットとミラベルの四つの冒険』の一遍(『青い時間』)に通じる映画感覚である。随所に散りばめられた色彩効果によって、最期の演奏場面のシンプルな白い光線の揺れが一層引き立ち、輝きを増している。 【ユーカラ】さん [映画館(邦画)] 9点(2009-07-19 16:08:59) |
19.《ネタバレ》 現代版『東京物語』を目指したのだろうか。とてもよく練られた脚本だと感じた。かなり突飛な展開もあるが、それも込みですべてが明確に家族の破綻へと収束していく。映像は常に被写体と一定の距離をとり、情緒的なべたつきを許さない。一家団欒のシーンでは小津ばりにカメラを固定しているが、おそらくかなりこだわったのだろう、これほどまずそうな食事の場面も珍しい(あ、でも朝ごはんのところはちょっとおいしそうかも)。 しかし筋書きがしっかりし過ぎているせいで、香川照之や小泉今日子の演じる人物が平板であるようにも思えた。今どき珍しいほど家父長的に振る舞う夫と従順な妻、という家族モデルは90年代の社会学研究から引っ張り出してきたようで、正直ちょっと古いんじゃないかと思う。俳優の力で救われているものの、率直過ぎる台詞もいくつかある(そうした台詞は一歩間違えるとまるで自分の不幸に酔っているようにも聞こえる)。 とはいえさすがは黒沢清だなと思わされたのは、単純に家族の再生を暗示して終わるのではなく、家族の変容を受け入れるという答えを提示して見せたことだ。初めは単純に反発していただけの長男はやがて精神的にも自立していくし、次男がピアノの才能を開花させたことも将来の独立を予想させる。そして無闇に威張りくさっていただけの父親は、次男が弾くソナタに黙って耳を傾ける。 無理に古い家族の形式を守るのではなく、それぞれが精神的に独立した個人であることを認めて、かつ家族であり続けようと努力する。題名が『ソナタ(=独奏曲)』である理由はここだろう。これはソナタが合奏になるのではなく、ソナタがソナタとして完成されるまでの物語なのだ。核家族のその先、という新たな時代と家族の変遷を描くことで、明確に『東京物語』“以降”であろうとする意欲が見て取れる。 ただ単純に楽しめたかどうかというと、この点数になる。人物の平板さもあるが、強盗のエピソードの唐突さに引いてしまったというのが一番の理由かもしれない。なぜもっとリアリティに徹しなかったのか、理解できない。 【no one】さん [DVD(邦画)] 6点(2009-07-14 08:17:37) (良:1票) |
18.役所広司が出てくるまではとても面白かったんだけどなあ・・・。 【ケンジ】さん [DVD(邦画)] 7点(2009-07-07 21:56:56) |
17.何から何まで唐突で、無茶苦茶な映画です。 終盤はもうコメディとしか思えなかったけど、なんだか最後はいい映画だったような気になるから不思議です。 でも、やっぱり無茶苦茶です。 1つ1つの出来事が伏線もなく突然発生するので驚きはあるんですけど、物凄くギクシャクした感じがしました。 そんないきなり天才とか言われても困ってしまいます。 【もとや】さん [DVD(邦画)] 3点(2009-06-19 15:38:55) |
16.《ネタバレ》 「おいおいまだぜんぜんどん底じゃないじゃん。がんばれよ!」と泣き始めたお母さんに思い、 お金とって仕事途中で逃げ出した父さんにも思ってきょとんとしたのは、わたしが実際二回もクビになっているからでしょうか(笑 そんな自分だからか、リアルだという評価が今ひとつよくわからない。世間の人(会社の人、教師、警察etc…)が冷たすぎてありえない、と思ったんだけど、東京ではそれがリアル? そうとは思えないけど。。だからわたしは途中で、リアルな話である、という「モード設定」を、そうか!と気づいて「おとぎ話用モード」に設定しなおして、やっと少し許せる気分に。違和感があったといわれる強盗も軍隊入隊も、むしろ納得。だっておとぎ話なんだもの。最後は希望が見えて良かった。けども、自分の家族を持たないわたしは、その最後こそが、暗い空洞を見せられたような、気持ちになりました。どこまでも自分勝手。でも、いいんだ。観客はいつでも自由なのだ。 【air】さん [DVD(邦画)] 5点(2009-05-19 01:22:04) |
15.《ネタバレ》 後半の強盗がでてくるあたりからのありえない展開でかなり冷めてしまいました。それまではとても良かったと思う。職安や面接での対応、実際はもっと厳しいことを言われたりもする。 【茶畑】さん [DVD(邦画)] 6点(2009-05-16 23:41:23) |
14.《ネタバレ》 重い・・・。重すぎる。見ている間中、重しを上から乗っけられているようなしんどい気分でした。ここまで現代的で普遍的で平凡な不幸って一番観ていてきつい。こういうのって一番映画で観たくないものかもしれない。後半からは雰囲気が変わり、ちょっとだけ非日常な展開を見せ、妙に綺麗なラストに落ち着きますが、その嘘臭さが美味いのか不味いのか僕にはわからないです。どんなホラー映画の化け物や悪霊より、ずっとリストラや家族崩壊の方が怖いですよ、監督。 【すべから】さん [DVD(邦画)] 6点(2009-05-13 12:19:53) (良:1票) |
13.《ネタバレ》 強盗が出てきてからリアリティーは全くなくなります。どこの世界に包丁持った強盗の車にわざわざ戻る主婦がいるのか?後半は情緒的な絵のつなぎあわせにしか思えない。前半のストーリーは期待できますが、後半は・・・ 【東京ロッキー】さん [DVD(邦画)] 4点(2009-05-13 10:18:20) |
12.《ネタバレ》 リアルな世界で息子の行動と強盗が妙に浮いていた気がする。 【osamurai】さん [DVD(邦画)] 6点(2009-05-10 20:45:52) |
★11.お兄ちゃんがアメリカ軍に入隊するエピソードがあるのですが、平和ボケ憲法に縛られてる日本の現状を考えると、それアリだなーと、妙に納得してしまった。父さんのエピソードは、ジーンときてしまいました。働く場所がないって男にとっちゃ辛い事ですもんね。自分の居場所がなくなってしまうような感覚。家庭はあってもね。最後のエピソードは、おまえいつの間に!?と思ってしまいましたが、少し希望が見えたので、良かったと思います。いつか家族揃って笑顔で食卓を囲む日が来るような気がしますね。 【Yoshi】さん [DVD(邦画)] 6点(2009-05-07 20:34:18) |
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10.《ネタバレ》 台詞が心にのこる映画がである。 小泉今日子演じる母親が両手を伸ばしだれか引っ張ってとつぶやくシーンは 通常のそれとは違う深い意味がこめられているし、彼女の無言の視線がまた 多くを語っていたと思う。役所広司は名俳優なんだろうが、この映画では まったくの無駄。ゆるやかな流れがいきなりぎくしゃくしてしまっている。 最後のピアノのシーン。子供を迎えにいくことが何かをいみしたのだろうか 【K2N2M2】さん [DVD(邦画)] 8点(2009-05-06 06:56:49) |
9.すごい映画です。放心状態・・。本当にリアルですよね。転職の相談員さんが「マクドナルドでは40代・50代の女性も働いているけど、男性の40代・50代がいないのはなぜ?それは人間として無駄なものを抱えてしまって、そこから動けないからです。」と言っていたことを思い出した。でも最近は深夜に40代・50代がバイトしているのも見かけるよなぁ・・。現実、なんだと思う。この映画。最後のピアノの演奏に救われた。 【グレース】さん [DVD(邦画)] 9点(2009-04-24 00:37:20) (良:1票) |
8.《ネタバレ》 廃墟の光景。 その昔、世界を失った者は、生活という場所に帰った。或いは、自己観念に囚われ否応なく破滅を志向した。今やそのような行き方というか逃げ場自体が失われてしまったようだ。それが『トウキョウソナタ』で描かれた現代的な喪失感なのだと思った。 役割を失えば、信じるべき自分という存在すら信じられない。役所広司演じる全てを失った泥棒に小泉今日子演じる「お母さん役」の佐々木恵が言う。「最後に信じられるのは自分自身でしかないと」 その言葉は空虚に響き、結局のところ、彼は自らの命を絶つに至る。 自己という観念が崩壊した世界で、彼らは帰るべき自分という場所すら見出せず、ただ孤立したまま、家族の食卓に戻る。そこで大切なのは、失った者同士が改めて集い、新たな役割を再構築することなのだと僕は思う。 最後の「月の光」とは、一体何だったのだろうか? 夜の海辺に瞬く光の波。カーテンに差し込む穏やかな光の漣。ピアノ曲。このとってつけたご褒美のような「希望」と「救い」は何だったのだろうか? そうか、それが「アカルイミライ」なのか。行き場のない現代人にとってのフラットで等価交換的なアカルイミライなのか。そもそもそこには深みや影がないという、表層の瞬きという発見なのだろうか。 【onomichi】さん [映画館(邦画)] 10点(2009-03-29 20:40:05) (良:1票) |
7.《ネタバレ》 10点連続投稿は久し振りだ。 これまたすばらしい映画だった。 すべてのシーンのすべての画面の中にこだわりと効果を感じるが、そのすべてを拾いきるにはまだ力が足りない。だけどもこの映画の素晴らしさはわかる。 夜の海岸の波の頭を白く光らせる明かりが印象的だったのだが、STING大好き様のおかげで、あれが「月の光」であることに気づけました。パーフェクト! |
6.《ネタバレ》 現代人には心臓に悪い映画でした。 脚本、演出など完成度が高い。 序盤、家族の中ではお父さんはいてもいなくても同じような存在。 だから構図でもあえて何かお父さんがモノで遮られて、映画を観る人にとっては お父さんが構図的にも"人物扱いされていない"印象を与えられるのです。 そういう上手い演出、構図が多くみられ、監督のこだわりが見受けられます。 点数が9点なのは笑いを誘うシーンについてなんですが、 ブラックな笑いと、何かこう、ただ場面と場面とのつなぎ合わせるために あるような意味のない笑いのシーンがあったんですが ブラックな笑いは(たとえば失業仲間が携帯電話の嘘で電話をうけとるシーンやその人の家へご飯を食べに行くシーン)最初クスっと笑え、後に何かすごく虚しい思いをする演出としていいのですが、つなぎ合わせようのような笑い(たとえば強盗がバカをして顔を見られるシーンなどなど)は正直蛇足。 むしろ笑いのシーンはこの映画には極力少なめにすべきだったと思う。 入れるとしても上に書いてるようにブラックなやつだけにすべき。 しかし、こんなにも暗い映画がラストにかけて家族が再生していく様を描ききっているところは高評価できる。ラストシーンではあんなけ「一度言ったことは容易に覆すことはできない。これは親の権威にかかわる。」なんて言ってたお父さんが、ドビュッシーの『月の光』を見事に演奏する息子の権威で画面を去っていくのは強烈な大人世代への皮肉のパンチがきいていて素晴らしい。 やはりこの映画の救いは、息子がピアノをやめなかったこと。 映画のように大人たちが保守的に馬鹿なことやってると若い世代が不幸になるんだなと実感。 嘘、すれ違う人間関係、保守的な大人達のガラスのようなもろい権威で奏でられるトウキョウソナタ。その悲しいトウキョウソナタを、現代を生きる若い世代は映画の『月の光』のように綺麗に奏でられるのだろうか。 【norainu】さん [映画館(邦画)] 9点(2009-03-23 17:31:53) |
5.《ネタバレ》 家族の崩壊だけでなく、それが再生するまでを完璧な演出で描ききった一本。登場人物の感情に呼応するように、動き、止まり、揺れるカメラワークと照明効果が素晴らしすぎる。大学の授業で習った“フィルム体験”とはこのようなことなのかと思い知らされた。 【j-hitch】さん [DVD(字幕)] 8点(2009-01-30 02:31:55) |
4.すべてが素晴らしかった。音楽、映像、役者、脚本、すべてがきれいにまとまっていました。最初のシーン(台風の雨風が部屋に入り込むところ)を観ただけでこの映画を観てよかった!!!!とゾクゾクした。期待たっぷりで行ったけれど期待以上の出来でした。さすが黒澤清監督!!!いつもは人間の内面にひそむ恐怖をあぶりだすように描く黒澤監督ですが、今回はめずらしく希望に満ちた話でした。ラストの月光とカーテンの揺れ動きが希望の光を表現していました。 【kaneko】さん [映画館(邦画)] 10点(2009-01-02 14:06:32) |
3.《ネタバレ》 映画で人が走っている瞬間は素晴らしい。 この映画の主人公三人は、もう一度やり直したい、どうすればこの柵から抜け出せるかということをきっかけに、唐突に走り出す。 オープンカーの屋根を開けることで女の決意となった瞬間の美しさや、妻に見つかったことでの後ろめたさで狼狽する醜さや、大人に対する嫌悪感や子供であることの無力感、それらが一気に膨れ上がり映画そのものも走り出す。 そして彼らは「どこか」に向かう。家族という社会での最小単位のコミニュティから、救いがあるかもしれない「どこか」に辿り着くために外へ出る。しかし小泉今日子演じる佐々木恵が目にしたものは、海であり、海の向こうには陸だか船だかそれがあるのかもわからないくらいにまだ海が広がり続ける。 結局、三者とも、どこかに辿り着けそうで、どこにも辿り着けないのだ。 実際に存在したかもわからない橙色の光を見つめ涙したり、一度は死んでみたり、子供ながらに大人と同じ扱いを受けてみたり、果たしてそれが何か救いになるのか。 そして彼らは結局もとの位置に戻るしかないのだ。 恵は、自身を傷つけようとしている役所広司演じる泥棒に、最後に信じられるのは自分自身でしかないと言う。 井川遥が演じるピアノの金子先生は離婚するのだが、もともと他人だったのがまた他人同士に戻ったと言う。 所詮、個人は個人、他人は他人に過ぎない。自分ですらもうひとりの他人である。しかし一番信じられるのは自分でしかない。 この三人は静かに自分を信じ始めたからこそ家に帰り、お母さん役が作った朝食を食べたのだ。 確かに個人は個人で、自分の悩みなど自分で解決するしかないのだし、家族と言っても所詮は他人同士のコミュニティだ、でも違うんだよ、そうなんだけど違うじゃん、それだけであって欲しくないじゃんという、前向きな希望があの象徴的なラストシーンにはある。 それこそが救いだろう。許しや救いというのは愛の中にしかない。あの愛情に溢れた(ように見える)家族は陽の当たる中を、カーテンがたゆたうほどのそよ風に乗りながら、そうだけどもそうだけであって欲しくないじゃんというアカルイミライへ歩んでいくのかもしれないし、あるいはそうじゃないのかもしれない。 しかしながら、すべてはあの海だ。あの横一直線に光る白波と小泉今日子、そして朝日を目一杯浴びる。まるで生き返っていくようだ。 【すぺるま】さん [映画館(邦画)] 9点(2008-12-31 23:59:22) (良:3票) |
2.《ネタバレ》 黒沢清は目に見えぬものを見えたかもしれないと思わせてしまう。それはホラーというジャンルにおいてじゅうぶん発揮されてきた。しかし『アカルイミライ』という傑作がホラー以外でもその力を発揮できることを証明してみせた。だから黒沢清の非ホラー映画を心待ちにしていた。この待ちに待った黒沢清の新作が傑作であることは当然なのだという、作品にとっては非常に酷な期待を持って観たのだが、全く期待は裏切られることなく、そして期待を裏切られないということがこんなにも幸せなことなのかと感動した。『トウキョウソナタ』に登場する家族のそれぞれは、これまでの黒沢映画が描いてきた人物同様に、自らの存在価値を見出せずにもがいている。この世界に自分は必要なのか。この家族に自分は必要なのか。「お母さん役もそんなにいやな事ばかりじゃないよ」と小泉今日子が演じる佐々木恵が言う。そこに「お母さん役の人」はいるが「佐々木恵」という個人はいない。お母さんでいることから外に出て何かを見る。真っ暗な夜の海辺にオレンジの薄明かりに照らされる小泉今日子の顔が映し出された瞬間に、あぁ黒沢清の映画だぁと何かがこみ上げてくる。圧巻はラストにも訪れる。希望という目に見えないものが間違いなく映されるのだ。ドビュッシーの「月の光」を主人公である少年が奏でる。その美しく優しい音色と少年を照らす光と決定的なカーテンのゆれ。このカーテンのゆれはゾクゾクっとした。神懸かっている。神懸かっているにもかかわらず、それはやっぱり当然なのだ。なぜならこれは黒沢清の映画なんだから。 【R&A】さん [映画館(邦画)] 9点(2008-10-20 18:28:56) (良:2票) |
1.《ネタバレ》 転職経験者には切ないシーンもあり前半は結構のめり込めるが、強盗のエピソードがすべてを台無しにしている。それまでじっくりと描いていた日常が、唐突な展開とありきたりの説明過多なセリフでおじゃんになった。役所広司の出演シーンと長男の帰国する夢のシーンはすべてばっさり切るべき。 【Q兵衛】さん [映画館(邦画)] 5点(2008-10-15 10:32:27) |