5.《ネタバレ》 父と子供、暴力、ロードムービー、つまりアメリカ映画だ。
ジェームズ・マンゴールドの巧さは、ひとの生き様やその深度を描くことだと感じる。
また彼の作品群には視線劇という印象が強く、今作も殆ど喋らないローラの視線が強烈に描かれる。
しかしある時を境に彼女は突如喋り出すのだが、これは仕方がないことだ。
恐らくながら、マンゴールドは複雑な構造ではないシナリオにしている。
つまり敢えて典型的なシナリオを書いていて、誰かが死んでこうなるという予感などは裏切らないわけで、
だからローラが喋るという行為自体も都合だ。何故ならローラはずっと喋らなくたって良いわけだ。
しかしチャールズの死後、そうでなきゃ物語を転がせられないからで、
だがそれは物語上の些細な都合だし、それは転がすだけの装置でしかない。
だから別にそんなことは大した問題でもなくて、ローガンを動かす何かをちゃんと描いてるから巧いのだ。
矢鱈と語らせるわけでもなく、必要最低限の台詞に留め、風景と役者の芝居と視線で描ききる。
そして愛は暴力を生み出すのだけども、また暴力に勝るものは愛でしかないというアメリカ映画の根底的主題。
それやこれやを積み重ねていき辿り着く最後は、観ていて途轍もなく身体が熱くなるアクションとドラマを畳み掛ける。
それは無論カタルシス的な何かであって、ここまでの蓄積がある故に、それが典型的なフォーマットだろうが、
そこへ落し込む力、それを納得させるという巧さがあるから、泣ける。兎に角、泣ける。
過去の自分の化身と満身創痍で戦うのだが、その化身の息の根を止めるのが、今の自分ではなく、
娘であるローラだというところが泣ける。それの意義たるや泣ける。
そして十字架を傾け、Xの文字になったとき、誰もが詠嘆するだろう。
それはきっと、あれだけであるひとりの男の人生がそこに一気に立ちあがってしまうという、
マンゴールドのひとの生き様やその深度を描くことの巧さなのだろう。
素晴らしい。