7.きっと多くの人から“叩かれる”タイプの映画なのだろうとは思う。
ストーリーに新しさがあるというわけではないし、粗も大いにある。
ピークを過ぎたスター俳優が、自ら築き上げてきた“ヒーロー像”にしがみついているように見えなくもない。
“ただし”、僕はこの映画を大絶賛したい。誰が何と言おうとも。
エイリアンの侵略により崩壊した地球。侵略に対して何とか勝利はおさめたが、他の星への移住に向けて、残された資源の“監視”をする任務に就いている二人きりの男女。
絶望的な未来世界を描いたいわゆる“ディストピア映画”は、長いSF映画史において数多生み出されているので、この映画の設定自体もやはりどこかありふれている。
それでも、何とか観客を驚かしてやろうという気概は確実にあり、工夫は凝らされていると思う。
結果として、ストーリーの「真相」において驚きがあったかどうかは、必ずしも重要ではない。
多少ベタなストーリーであっても、その展開において真っ当なプロセスを踏み、相応の娯楽性をきちんと生み出してくれたならば、当然感情は高揚するし、存分に映画世界を楽しむことが出来る。
この作品の勝因はまさにその部分で、見せるべき娯楽性を、見せるべきタイミングとビジュアルでしっかりと見せてくれたからこそ、ベタ的なラストの顛末で高揚出来たのだと思う。
そして、今作におけるそういった“真っ当な映画づくり”を牽引しているのは、やっぱりトム・クルーズに他ならない。
ピークを過ぎようが何だろうが、このスター俳優の「存在感」があるからこそ、この映画のエンターテイメント性は成立している。
どんな“裏技”を使っているのかは知らないけれども、まあとても50歳には見えないし、スタントなしのシーンでの動きや肉体を見る限り、相当の鍛錬をしていることも明らかだ。
映画製作に対してのその真摯な姿勢こそが、彼が“トム・クルーズ”であり続けられる「理由」だと思う。
「否定」は多かろうが、この映画の方向性と存在意義はまったく間違っていない。
「oblivion」の意味は「忘却」。ストーリー的な未熟さをカバーし、「絶望」の中に取り残された人々の叙事詩として導いてみせた“SFセンス”が素晴らしい。
声高らかに、新たなディストピア映画の傑作だと断言したい。