7.《ネタバレ》 ショットガンという武器は好きです。
映画に登場するありとあらゆる武器の中で、どれか一種類を選べと言われたら、数多の非現実的な武器を押し退けて、ショットガンを選んでしまいそうなくらいに好き。
そんな魅惑の武器を引っ提げて、ルトガー・ハウアーが大暴れしてくれるというだけでも満足させられる一品ですね。
主人公が芝刈り機という心の癒しではなく、ショットガンという武器を選んだ気持ちも、実に良く分かる。
やたらと血飛沫が飛び散ったり、敵が本当に胸糞悪い悪党だったり、ラストが尻切れ蜻蛉に思えたりする辺りは、如何にもグラインドハウス的なノリで、少々苦手だったりもしたのですが、そんな不快感も吹き飛ばす程の勢いがありました。
冒頭、穏やかで牧歌的な風景と音楽から始まって、主人公が無法都市へと迷い込み、残虐な私刑現場を目にするという流れの早さ、急転直下っぷりには呆気に取られましたが、どこかそれが突き抜けていて、気持ち良いんですよね。
プラスの感情とマイナスの感情、両方を刺激してくれる作風なのですが、ギリギリで前者の方が上回っているというバランス。
例えば、中盤にて悪役がスクールバスをジャックし、火炎放射器で子供達を焼き殺す場面なんかは、この映画にしては珍しく直接的な殺害シーンを描いていない。
それが中途半端で格好悪いというか(何だよ、結局子供には遠慮するのかよ)という白けた想いに繋がる面も、あるにはあるのですが、やっぱり観客を心底から不快にさせない為には、そうするのが正解だったのだろうと思えます。
何にも考えずに好き勝手に撮ったように見えても、そういった見極めというか、匙加減が、きちんと出来ている印象ですね。
終盤にてヒロインが行う
「浮浪者はホームレスでは無い。ストリートをホームとしているのだから、彼らにはホームを掃除する権利がある」
という演説も、妙に説得力が感じられたりして、印象深い。
穿った見方をすれば、銃による自衛を積極的に肯定している、如何にも米国的な作品だと定義付ける事も、可能だとは思います。
でも、それよりは単なる娯楽作品として観賞し、素直に楽しんだ方が、ずっとお得だと思えるような映画でありました。