20.神木君と大後ちゃんが、ほとんど変わっていなかったので嬉しかったです。神木君はSPEC以来、大後ちゃんに至っては、セクシーアンドロボ以来ですから、かなり久しぶりです。子役の人は大人になるとイメージが変わる人が多いけど、この2人はそういう事は全然ないですね(大後ちゃんは、ちょっと太ったかな?)その他では橋本愛さんですね。あの独特の雰囲気は、一昔前の栗山千明さんを彷彿させます。今後の活躍に期待です。その他では宏樹役と実果役の人がよかったですね。独自性はまだないけど、いい雰囲気を持っています。今後も脇役をやっていて、いつか主演を張れる俳優さんになっていってほしいですね。作品についてですが、面白いというリアルといった方がいいでしょうか。桐島は何者?と思わせる所が今作の味噌です。僕が思うに、意外に地味で、だけどいるだけでみんなを安心させるそんな人物じゃないかなと想像します。その安定剤がいなくなったので、みんな不安でいてもたってもいられなかったのでしょう。そんな中そんなの関係ねえって感じで映画の撮影に没頭する前田君達は強い。スポーツはダメダメで、女子に全然モテないけど、真の勝ち組は彼らだと思います。 【Yoshi】さん [映画館(邦画)] 6点(2012-09-17 03:24:59) |
★19.《ネタバレ》 非常に面白かった。しかし、どんな映画だった?と聞かれた時に答えに詰まってしまいそうだ。
本作には多数の学生が登場していて、それなりに奥行きをもって描かれている。クラスの主役級も脇役もみんなそれぞれに思いを抱えている。それぞれが決められたランクからはみ出さないように学園生活を送っている。 学生生活を送ってきた人なら覚えがあるだろう。そんなところが、本作特有の面白味である。 本作ではこのヒエラルキーがリアルに描かれ、そのヒエラルキー自体は認めた上で、下層部の人間より、 「上層部の諸君、あなたは充実してますか?」と投げかけているような映画だ。
もう一つのポイントは「桐島」である。 桐島不在で大きく翻弄された人っていうのは、実はヒエラルキーの上層部の人間だけ。 もともと桐島と深く関わっていない中層部以下の人々は、上の人間がバタバタしている横で普段と同じように自分の打ち込むべきものに打ち込んでいるのである。 したがって本作においての「桐島」は、「自分で考えることなく与えられた既存の価値観」を表していると考えられる。桐島をヒエラルキーの頂上として崇めている者には別軸の価値観が存在していないため、突然なくなっちゃうとガタガタになってしまう。他者に依存した価値観はかくも脆いものなのである。
スポーツ万能。女の子にもモテる。でも、どちらにも夢中になれず、親友の桐島にないがしろにされる男子生徒。 彼が野球部のキャプテンや映画作りに打ち込む男を観て、自分には何もないと気づくシーンでは胸が熱くなった。一種のヒエラルキーの逆転を、いやヒエラルキーなど無価値であるということが描かれていたのだと思う。 イケてようとイケてなかろうと、うまくいこうといくまいと、好きなモノに打ち込むという、それこそが素晴らしいのだ。 ある意味、ヲタクからリア充(モドキ)への挑戦状のような映画かもしれない。俺たちヲタクのが充実してるぜ!っていう。 学生時代どのポジションにいた人が見ても、何かを感じられる。語りたくなる青春映画。 【すべから】さん [映画館(邦画)] 8点(2012-09-15 19:03:32) (良:3票) |
18.《ネタバレ》 男前、スポーツ万能、彼女あり。将来の展望が見えず、才能はあるのに、好きなものから逃げている。 一方、ちび、不細工、運動音痴、非モテ。でも、打ち込むものがある。譲れないものがある。勝ち負けがどうの、他人の評価がどうのではなく、プロになれると思っているわけでもなく、でも好きなものとつながっていられるから、こだわる、努力する。 どっちが格好いいのか。それに気づいた宏樹。 ラストシーン、宏樹が桐嶋に電話をして伝えたかったことは、「またやろうぜ!」だろうな。 【ビアンキ】さん [映画館(邦画)] 10点(2012-09-12 19:31:48) |
17.《ネタバレ》 話題沸騰『桐島、部活やめるってよ』を見る。実際は解らないが映画好きオタク監督の青春時代に生じた後悔・嫉妬への復讐・妄想に感じた。「みんな、この世界で戦っている」という御旗の説得力でねじ伏せた日常劇。ギャルをゲスに扱う視点に嫌悪感。下品。キャプテン好きです! 【reitengo】さん [映画館(邦画)] 6点(2012-09-11 15:31:00) |
16.around50のオバサンがひとりで観に行くには切なすぎたかしら? 自主映画サークルで8ミリ撮っていた人間には、けっこう苦笑いの連続。でも、あの頃抱えていたコンプレックスとプライドの両方の気持ちが、懐かしく思い出されました。そして「戦おう。僕たちは此処で生きていかなくてはならないのだから」の台詞には胸が思わずキュンキュン。そう。あの時期があるから今があるのです。生きていかなくてはならないと思い込んでいた「此処」という場所も、自意識ひとつでどうとでも変わっていくものだったりするのです。進め!若者。ところで、神木君の内股走りかなりカワイイ! 【showrio】さん [映画館(邦画)] 8点(2012-09-09 12:02:48) |
15.《ネタバレ》 2012.08.30鑑賞。原作未読。「鬼龍院花子の生涯」を思い出させる、タイトルの「桐島」が主人公ではない紛らわしい映画。しかし、傑作です!説明セリフの無いリアルな会話、ラストしか音楽使われていない(はず)のに、一切ダレることなく、あっという間でした。公表されたアンケートでは評価が真っ二つ(ワケわからんの意見・・・)に分かれていましたが、この監督には年1本ペースで撮ってもらって、邦画、日本の若い観客を高めていってほしいですね。 【かんちゃんズッポシ】さん [映画館(邦画)] 9点(2012-09-01 00:37:41) |
14.《ネタバレ》 「僕たちに青春映画は撮れない」中盤付近で眼鏡君は言う。そこには重層的な意思がある。まず「この映画は青春映画ではない」という意思表示。日本映画界が量産する絵空事な“自称青春映画”に対する憤りの念とそれらに対する嘘っぱちだ!という反感精神。そこと絡んでくるのは映画部顧問の「半径1m以内の話を作れ」という台詞。映画部にとって上記でも述べた意思と共にゾンビ映画こそ普遍だ、という意思がある。「ナイト・オブ~」は、ゾンビにより窮地に立たされた人々の負の願望から炙り出されてゆく人間の“本性”を描き出しており、これは絶対的にいつの時代も変わらない普遍的なものに昇華している。“ゾンビ”の定義は「腐った死体のまま動き回る人間」で、喰らう為に生きる存在だが、ぼくらは本来、生きる為に喰らう存在。 「桐島」は、彼を必要とする人々にとって現状の位置を高め、維持する「ステータス」に過ぎない。そんな彼らと対比するように登場する映画部を始めとする者達は「ステータス」に関心が無い。それぞれの金曜日を通し、それぞれの目線が丁寧に描かれる。 クライマックスで、彼らの後ろにワーグナーのローエングリンが流れる。想いが届かぬ事を理解しながらも、むしろ断ち切るため、痛みの中へ身を投げた彼女は演奏する。彼女の想いだけでなくローエングリンは、屋上に集う者たちの姿も重層的に描き、そして寄り添う。「桐島」に吸い寄せられた者達が「桐島」に関心のないゾンビ達によって喰い殺されていくカタルシス。屋上でむき出しの“本性”が炙り出されていく。ぼくらがあの頃執拗に隠していた“ださい”姿。前田が未来に明確なビジョンを持っているだろうとヒロキは思っていただろうが、前田の言葉は意表をつかれる。これは現代を象徴する意識をも具現化する。レンズ(非直接的な物事のメタファー)を通し見た気になり、決めつけ、思い込んでいる。好きだけど今しか出来ない、痛みを彼は知っていた。本作は、進路を決め、大人にならなければならない子どもの尊い狭間の物語でもある。 (追記)カーストは描いているけど、映画部、吹奏楽部、野球部キャプテンらはその内側にすらいない。いると思っているのは内側にいる者。メタ構造的にも、カーストに捕われているから重視するのだ。 【ボビー】さん [映画館(邦画)] 10点(2012-08-30 21:26:40) (良:3票) |
13.《ネタバレ》 何とも痛快なのは、この映画が「ハリウッドよこれが日本映画だ」というキャッチフレーズを掲げていることだ。「日本よ、これが映画だ」というキャッチフレーズは日本の代理店のボンクラが、よりによってアベンジャーズのキャッチフレーズとして考えたものだ。夏休み大作がいくつもある中、何故よりによってアベンジャーズなのか?ダークナイトだったらまだ見過ごせたんだが、いちばんのスカスカ映画にこのキャッチフレーズはまさに日本の映画業界のプライド喪失を表している。アベンジャーズを観てからというもの、外国人とすれ違う度に穴があったら入りたい気持ちになる。「ほら、あそこに日本人がいるぞ。アベンジャーズ程度の映画を、これが映画だ、と崇め奉る民度の低い人種だよ。かわいそうに」という囁き声が聞こえるのだ。 この映画は出演者の出演料を全部まとめたとしても、たぶんロバート・ダウニー・Jrの一万分の一にも満たないだろう。アベンジャーズが何千万ドルを費やして表現した神の世界は、どうひいき目にみても神というよりは宇宙猿人ゴリだ。それに対し、この映画では桐島=0円で見事に神がカリカチュアされているのだ。さらに高校生の自主制作映画みたいな箱庭世界で繰り広げられる人間模様は、単なる内輪もめを描いたアベンジャーズの貧しい人間模様と比較して、未来に向かって5億倍も広がりを持っている。なんと痛快なことか!一流の洒落で切り返してくれたコピーライターに感謝。これで枕を高くして眠れるというものだ。 【正義と微笑】さん [映画館(邦画)] 8点(2012-08-28 22:04:41) |
12.《ネタバレ》 いわゆるメタ映画であり、尚且つ、それ以上のものが感じられる映画。 桐島とはいったい何者なのか? 映画部の彼らはなぜゾンビに拘るのか? 野球部幽霊部員の彼は何故、最後に涙を流したのか? いくつかの事象を帰納的に反芻することで、この映画の見事なまでの構成が見えてくる。 映画の解釈については、その高い評価と共に、既にネット上で広まっている。 代表的なのが、不条理劇『ゴドーを待ちながら』(ゴドー(GOD)の不在をめぐる物語)を下敷きとしつつ、その変容としての桐島=キリスト=希望というメタファー。そしてその対立軸としてのゾンビ=虚無=絶望という図式である。桐島の不在にオタオタする多くの登場人物たちと、それを自明なものとして、ゾンビ映画に拘るオタクの映画部員たち。そういった構造でみれば、この映画はとても分かり易い。それは他の解釈を許さないほどに。但し、僕がこの映画に感銘するのは、そういった構造を超えたところに、実は彼らのアカルイミライが垣間見えたからである。 最後のシーン。 映画部の彼と野球部幽霊部員の彼が夕日をバックに対峙する。そこでの映画部の彼のセリフが僕らの胸にすごく響くのだ。彼は高校生にして、既に絶望を知っている。でも、それに負けない自分というものを持っている。周りをゾンビに囲まれたショッピングセンターの中で、彼はそれでも闘い生きていこうと決意する。それは何故か?彼は撮ることによって常に希望と繋がっているから。彼は絶望を知りつつ、同時に希望と繋がっている。桐島=キリスト=希望。 映画部の彼こそ、桐島と唯一繋がっていたことが最後に明らかとなる。彼こそがアカルイミライの細い道すじをただ一人しっかりと見据えていたのだ。野球部の彼は、そのことを理解し愕然とする。桐島に電話して繋がらないことで、自分がゾンビに喰われてしまった側であることを悟り、そして涙する。 なんて素晴らしいラストシーンだろう。僕らのミライも少しアカルイと思える。 この映画の冒頭の多視点による物語の反復。世界を本当に捉えようと思ったら、たとえやみくもであろうとも、その世界なるものを多くの視点で囲んでいくしかない。そこには桐島と同じように「不在」しかないかもしれないけど、その中空構造の周辺から、浮かんでくる様々思い、そのさざめき、その切実さを僕らは、それによってこそ目撃することができるのだ。 【onomichi】さん [映画館(邦画)] 10点(2012-08-27 23:55:25) (良:1票) |
11.上映が終わり手洗いに行った。鏡にうつる自分の顔をまじまじと見て、「老けたな」と思った。 そりゃそうだ。三十路を越え、結婚をし子供までいるんだから、ついさっきまでスクリーンいっぱいに映し出されていた高校生たちの“若さ”が、今の自分にあるわけはない。 あるわけないのだけれど、入り乱れる彼らの思いは、もはやうすぼんやりとし始めている記憶の甦りと共に、自分の感情の中に入り込み身につまされた。 きっと誰しもが、この映画に映り込む高校生たちの“誰か”と同じ“立ち位置”で、生活をしていたはずだ。 それが誰であったかなんて事は重要ではない。重要なことは、誰しもが「高校」という奇妙な「階級社会」においていつの間にか与えられた立ち位置で、もがきながら生きたということであろう。 高校生は大変だ。時に過酷なまでに。 それに対して一部の大人は、「実社会の荒波の厳しさ」を安直に強調するのかもしれない。 しかし、そんなものは比較の対象にはならない。 限られた経験値、限られた世界の中で、盲目的に自己を顕示し、また抑え込む。それをひたすらに繰り返し、葛藤を繰り返す。 それは先が見えない暗がりを、時に孤独に、時に手を取り合い歩んでいくようでもある。 でも、だからこそそこには、何にも代え難い輝きが存在する。 葛藤の果てに、「こいつら全部食い殺せ!」と高らかに言い放った映画オタクの主人公は、結果として何かを得たわけではない。 しかし、何も選び取れずフラフラと自分の成すべきことを定めきれずにいた幽霊野球部員は、逆光を背にした映画オタクが眩しくて直視できなかった。 それは、高校特有の歪なヒエラルキーが生み出した「光」だったのか「影」だったのか。 人それぞれ、誰に感情を移入するかで、この青春映画の「感触」は大いに異なるのだろうと思う。 面白いと思えるかどうかも、実際人それぞれだろうし、それでいいと思う。 ただ、きっと多くの人が、この映画を観て、自らのあの“限られた世界”で過ごした日々のことを思うだろう。 それだけで、この作品は青春映画として明らかな傑作と言える。 【鉄腕麗人】さん [映画館(邦画)] 10点(2012-08-26 00:37:16) (良:5票) |
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10.《ネタバレ》 神木隆之介クン扮する映画部の高校生と仲間たちは、ジョージ・A・ロメロ(!)のような「ゾンビ映画」を撮ろうとしている。そして撮影機材は、今どき珍しい「シングル8」の8ミリカメラ。その時、ぼくたちはただちにもう1本の「ハリウッド映画」を想起しないだろうか。そう、スピルバーグが製作したあの『スーパーエイト』でも、少年たちは「スーパー8」の8ミリカメラで、ロメロのような「ゾンビ映画」を撮ろうとしていたのだった。 それは、それぞれの作品にとって取るに足りない些細なことかもしれない。けれど、スクールカースト上位の生徒たちに端から無視され、せいぜい嘲笑の対象でしかない彼ら最下層のオタク映画部員にとって、「ゾンビ」とは自分たち自身の鏡像なのだ。そう、片田舎で鬱屈した日々をおくる『スーパーエイト』の、ブルーカラーな少年少女たちがまさにそうだったように(だから主人公の少年は、エイリアンと「理解」し合えたのだった)。 そしてロメロのゾンビ映画が、人間たちの「生存闘争劇」からついに人間とゾンビの「階級闘争劇」へと至ったように、映画『桐島』もまた学校屋上における「ゾンビたちの反乱(!)」でクライマックスを迎える。もちろんそれで、学校内の何が変わるというワケでもない。明日からも映画部員たちは、相変わらず無視され嘲笑されるだけだろう。しかし、中心人物のひとりである野球部のイケメンだけは、神木クンにカメラを向けられ、「俺はいいんだよ。俺はいいって」と涙ぐむ時、確実に知ったはずだ。自分(たち)の方こそが彼らに“負けた”ことを。 高校生たちのリアルな日常と心情を描いた群像劇のようで、ここにあるのは各階層[カースト]に位置する者たちの、その「位相」ばかりだ。ある階層とある階層との“あいだ”にある決定的なずれと断絶。それが、しだいに動揺し衝突することのなかに産まれるダイナミズムこそ、この映画を、悲劇でも喜劇でもない真に「劇的」なるものにしている。彼らがどんな「人間」かじゃなく、彼らの「立ち位置=場所」が“不在の主人公”を前に揺らぎ崩れていくさまと、逆に“揺るがない”ことの強さと輝きを放ち出すオタク映画少年たちの姿を鮮明にしていくのだ。その光景は、奇妙で、残酷で、滑稽で、けれど何と感動的なことか。 ・・・そう、あの野球部イケメンの涙にナミダしない奴らなど、ゾンビに喰われてしまえ! 【やましんの巻】さん [映画館(邦画)] 10点(2012-08-24 11:22:42) (良:5票) |
9.少なくともリアル感はある。意欲的であり、かつその目的を達成している。 【枕流】さん [映画館(邦画)] 7点(2012-08-23 23:47:42) (良:1票) |
8.映画を観てから数日経った。思い出したりネットで予告編を観直す度に、この映画って相当面白いと感じる。 予告編にある日本映画史に残る圧巻のグランドフィナーレではなかったが、とてもよく出来ている。 大人の社会より厳しいとも思える彼らの世界は、狭い蜘蛛の巣のようなロープの上でバランスを常にとっている、通常はやや弛みがありショックを吸収できるが、些細な、桐島が部活をやめた如きの事で、一部のロープがピンと張られ、振動が全体に伝わってしまう、緊張を緩めるものはおらず、皆が張り詰めた上に立つことになるが・・・ 神木君の演技は安定したものだが、野球部の先輩などこっちがピリッとする演出、一人自分を見つめ直す帰宅部の彼をラストに見せたのもうまい。 大作ではないが記憶に残る映画っぽい良い作品。 【カーヴ】さん [映画館(邦画)] 8点(2012-08-20 10:36:32) |
7.気になる相手、想いを寄せる相手、その周囲の人間に気づかれまいと気遣いながらも、 つい瞬間的に目を注いでしまう窃視の視線。 目を背けつつも、全神経を相手に集中させ、意識し続ける身体。 そうした、乱れる内心を見せまいとするナイーヴな表情や振る舞いや言い回しが キャラクターに初々しくリアルな感覚を与えている。 見る者と見られる者・話す者と聴く者の姿が視点の変化の中で 反復によって映し込まれていくことで、 その登場人物の視線やファインダー越しの映像に倣って 彼らの想いが強く鮮明に伝わる。その仕掛けが卓越だ。 またBGMをほぼ皆無とし、環境音を効果的にドラマに活かすことで さらにこの映画なりのリアリズムが追求されている。 校舎裏のシーン、大後寿々花の背後でざわめく木々の音や、 彼女の独奏する管楽器の音色や息吹が彼女の心情を浮かび上がらせて秀逸だ。 バスケットボールの弾むリズミカルな音と、バレーボール特訓のハードな音響の対比。 クライマックスを盛り上げる、現実音としての吹奏楽の演奏。 そしてラストに遠く響いてくる野球部員の掛け声と、音が良く活きている。 群像劇としては、焦点が浅くピント送りが多々あるのがやや安易か。 そこはパンフォーカスだろうと思うショットがいくつかあった。 【ユーカラ】さん [映画館(邦画)] 8点(2012-08-20 00:32:14) |
6.《ネタバレ》 同じシーンを異なる視点から描き様々な情報を小出しにしていくという手法は「バンテージ・ポイント」を思い出させますが、結構ミステリーには良くある手法ですよね。本作もこの手法をふんだんに使ってはいるのですが特に桐島の正体は明らかにされず映画は終わる。桐島は単なる話を転がすマクガフィンに過ぎず、明らかになるのは日本の高校社会での明らかなヒエラルキー。何故か体育会系の部活が文化系の部活よりえばっていて、帰宅部にさえ小馬鹿にされる文化部。その中でも秘宝系の映画が大好きな映画部の前田達はヒエラルキーの最底辺に属している。前田はショートボブの美少女栗原と「鉄男」の上映で偶然一緒になりフラグが立った!(実際そんな訳無いのだが)と歓喜するが結局栗原は帰宅部のイケメンと付き合っていた。そして最後愛するロメロの「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」を夢想し栗原をゾンビに喰い殺させる、自分たちを馬鹿にしている体育会系の奴らもろとも。このシーンは前田の高校社会への憎しみが爆発するシーンとして非常に感動的でカタルシスを感じられる物となっていた。しかし結局それは夢想であり現実は何も変わらないのだ。非常にリアルな残酷なまでの現実、監督はそれを描きたかったのだろうか?体育会系の奴らにオタクが復讐する映画と言えば「ナーズの復讐」「アニマル・ハウス」を真っ先に連想するが、本作はそんな筋肉主義というか見た目主義な高校社会に文化部が復讐する話ではない。運動部は将来の展望が薄いのに努力を続ける素晴らしい存在として描いている。それは確かにそうかもしれないが、映画監督として映画部の彼らにもう少し救いを与えられなかったのか?単に夢想では無く現実として"ドラマ"を展開して欲しかったように思います。私も学生時代は吹奏楽部として文化部に属しており何となーく小馬鹿にされていた部分がありますのでここは文化部が救われる瞬間を少しでも欲しかった。吹奏楽部の部長も可哀そうだったなあ。 【民朗】さん [映画館(邦画)] 7点(2012-08-16 07:32:13) (良:2票) |
5.これは素晴らしい日本映画! 本作は、バレー部に所属している「桐島」がいなくなり、それによる変化が起こる様を描いています。 桐島をよく知る人物には直接的に、ほとんど接触がない人物には間接的にそれは訪れます。 その変化は初めは「ほんのちょっと」だったけど、やがて大きな波となり、登場人物に襲いかかります。 その過程に、ゾクゾクしっぱなしでした。 高校生の「格差社会」がしっかり描かれていることも面白いです。 特に作中の「映画部」はヒエラルキーの底辺にいるような存在で、他人に蔑まれていいるような描き方にはニヤニヤしてしまいました(こう言うと意地悪ですが)。 構成も特殊ですが、それも成功しています。 本作は同じ時間軸をたびたび繰り返し、複数の視点から登場人物の行動を描くという「羅生門」スタイルです。 このおかげで桐島がなくなった日のそれぞれの登場人物の「反応」が多角的にわかるのです。決して奇をてらっただけの演出になっていません。 高校生以下だとこの映画の面白さはわからないかもしれないけど、大人になると「自分の高校生活を思い出すと似たようなことがあったなあ」と回想できる面白さがあると思います。 ある意味大人よりもやっかいで、うっとおしいような人間関係。 それは大人になった今になると、なんとも愛おしく感じる「痛面白さ」なのです。 ラストも素晴らしいと思います。観たあとは最後の「あの人物」の行動を思い返してみることをおすすめします。 あとアベンジャーズに対抗して「ハリウッドよ、これが日本映画だ」と銘打ったキャッチコピーもGJ。 【ヒナタカ】さん [映画館(字幕)] 9点(2012-08-15 18:56:46) (良:2票) |
4.《ネタバレ》 本作で描かれている“群像”を、リアルに実感できる世代の観客ではない評者としては、辛口の点数になります。キャスティングに冴えがあって、現実のステロタイプなアナロジーとしては長けていると思いますが、それ以上の中身のない映画です。正直、どうでもいい部類の映画でした。それだけ、日本が平和なのだと思えば、よいのだと思いますが、時間潰しにもなりませんでした。少しは、まっとうな映画をとってみてほしいものです。いわゆる『やおい』 の系列に属する、駄作になりかねません。 (つづき)鑑賞する前から抱いていたやな予感を裏切らない、みみっちい話の展開に失望しました。この程度の仕掛けに、作り手がほくそ笑んでいる姿を想像して、寒気を覚えました。限られた予算で、若手主体でギャラも抑えて、いっちょあがり的なのりがみえみえです。記号化したキャストを型どおりに組み合わせる、テレビドラマ的手法のテキストのような映画です。邦画だか、TVドラマだか区別つかない時点で、『オワコン』化していることに気が付いてもらいたいです。 (つづき)娯楽ですから、いっときの満足が得られればいいと思いますが、好きか嫌いかでいえば、間違いなくNOですね。もっと骨太の邦画を期待していますが、活字メディアと映像メディアが寄せ集まって作られた映画に、これ以上を期待するのは無理なのだということでしょうか。筒井康隆の『幸福の限界』というショート作品がちらついてしまいました。 ぶっちゃけ、冒頭の映画研究会のシーンと、最後の群衆シーンのきっかけとなる飛び降りの映像は、なんだったのでしょうか? (つづき)仕掛けがみえみえで、spiritsを欠いた隠喩は、苦笑を禁じ得ないくらい滑稽でした。映画を作るのなら、技術か、映像か、ストーリーか、何が言いたいのか、めりはりを利かせて、容易には妥協しない本編を作ってみてはいかがでしょうか? 評者は、立腹しています。何に対して立腹しているかというと、迂闊にも本作を鑑賞してしまった間抜けな自分に対して、一番立腹しているのでしょう。 【クゥイック】さん [映画館(邦画)] 3点(2012-08-12 20:19:35) (良:2票) |
3.《ネタバレ》 【注!激しくネタバレ】優秀でモテるバレー部員桐島という存在は最後まで作中に登場せず、つまりはマクガフィンなのですが、これはそのマクガフィンについての映画なのですね。登場人物達にとってはとても重要な存在であるのだけれど、物語に対しては仕掛けとしての要素でしかない存在。つまり学校生活というものがそんな感じで。傍から見たらくだらない事、どうでもいい事だけれども本人にしてみれば一大事であったり真剣な苦悩であったり。それぞれが抱えた全く別々のピリピリとした自我同士が接触する事で簡単に傷つき簡単に傷つけ。自分にとって大切な事と他人のどうでもいい事、自分に付いた傷、他人に付けた傷によって少しずつ他人の「どうでもいい事」(あの隕石が秀逸な象徴となっています)の価値とコミュニケーションの術を学んでゆく・・・。多感な時期の姿を多角的に描いていて楽しませて貰いました。開幕からしばらく続く『バンテージ・ポイント』のような構成が何かを解き明かしてゆくのかと思ったのですが、それぞれの立場・校内でのポジションの紹介といった感じで、そんなには効果的に機能していなかった気がするのは残念ではありますが。あれ、どうせならもっと徹底的にやった方が強い印象を残したと思います。登場人物に過度に思い入れるようにはなっておらず、どのキャラにもそれなりにイヤな面が存在している点を晒している状態は大変良かったと思います。もっとも自分自身は高校時代、映画研究会というヒエラルキーの底辺に存在していた訳で、あのリアクションの薄い面々にシンパシーを抱く事、大でしたが・・・。 【あにやん🌈】さん [映画館(邦画)] 7点(2012-08-12 17:33:00) (良:1票) |
2.よかった。リアルだけどリアル過ぎない、ドラマ性はあるんだけどあざとくなりすぎない、その絶妙な位置で高校生活を俯瞰したかのような描き方が素晴らしい。俳優陣も概ねよかったが、神木隆之介、前野朋哉、清水くるみ、松岡茉優あたりは“等身大の高校生”以外の何者でもなく、鳥肌物です(特にもう日本を代表する俳優になりつつある神木、まだこんな演技ができるとは...)。小説でしつこく綴られていた体育部、文化部、帰宅部の微妙なヒエラルキー、力関係。自然発生的に生まれ出るドラマの数々。それを的確に、自然に表現できていたのは俳優の演技なしにありえない。クライマックスのカタルシスも相当なものがあったのだが、これは私自身が学生時代、自主映画に悪戦苦闘した経験があるためか。神木隆之介の「食い殺せ!」には泣けた。とにかく、一見大きな筋が無いようにみせかけて“桐島”“将来”というキーワードがしっかりとクライマックスにつながってくる構成は圧巻。傑作だと思います。 【j-hitch】さん [映画館(邦画)] 8点(2012-08-12 16:15:30) (良:1票) |
1.《ネタバレ》 原作小説は未読。うーん、これまた評価に困る作品です。スポーツ万能の人気者桐島が部活をやめるという些細な情報をきっかけに、全く関係なさそうな同級生の人間関係までもが変化していく…という映画のキャッチフレーズそのままで、それ以上でも以下でもありません。話の部分部分での微妙な人間関係の変化(作中のセリフにもあった「訳分かんねえ、女子」の友人関係とか)は、高校を遙か昔に卒業した大人でもそれなりに共感出来る部分はあります。この「人間関係の微妙な変化」という要素が単体で楽しめるなら、納得できる作品なのかもしれません。が、この作品の場合、その要素だけがすべてで、それ以外には何も無いというのが問題で…。通常の映画のような「全体を流れるストーリー」というものが全く存在しません。青春群像劇でもなく、盛り上がる事件が起こる訳でも無く、何かが解決することも、恋が実ることも、映画部の自主映画が完成することもなく、肝心の桐島も一切登場しないまま、何気ないシーンで唐突に終了し、「は?」と開いた口がふさがらない人も多いことでしょう。神木君・橋本さん初め若手俳優達の演技は悪くないし、高橋優の主題歌もまあ雰囲気と合っていました。しかし、ある意味潔い「ストーリーの放棄」により、私としては評価を低くせざるを得ません。大甘で4点。 【蛇蟇斎狐狸窟】さん [映画館(邦画)] 4点(2012-08-11 16:05:05) (良:5票) |