6.《ネタバレ》 ミッキー・ウォードというボクサーについての知識は全くない。
そもそもボクシングについてあまり興味もない。
全く知識もないという状態だからだろうか、逆に新鮮な気持ちで鑑賞することができた。
肝心のボクシングの試合はそれほど熱いものではなかったが、ボクシング以上に熱いファイトが見られたのは、試合以外のその他の部分である。
兄と弟、母と子、恋人と男、娘と父の関係を、リアルで生の感情をむき出しにして、熱く描かれている。
それだけリアルで生の感情が表に出てくるのは、“世界チャンピオン”という栄光が彼らにとっての“夢”であり、自己の存在価値を認めるものであり、負け犬ともいえるような人生を変えることができるからなのだろう。
どん底から這い上がりたいという願う者の気持ちが渦巻いて、一つの形として成就する姿はやはり感動的と言わざるを得ない。
もろい物であり、円滑に働く物でもないが、それぞれの絆の深さ、太さが感じられ、“家族”という存在の大きさが浮き彫りとなっている。
ボクシング映画でありながら、ボクシングの試合がイマイチ盛り上がっていなかった気がするが、「ロッキー」のような映画ではないので、ボクシングの試合がやや地味でも仕方がないだろう。
現実に存在した選手の試合であり、試合を盛り上げようと思って、変な演出をしない方が逆によかったかもしれない。
試合よりも人間ドラマに重きを置いた監督の戦略でもあるだろう。
クリスチャン・ベールはアカデミー賞受賞も納得の演技。
最後に本人が出てきたときは、ほとんど同じ人としか思えなかった。
ただ単に似ているだけではなくて、登場人物の全ての者に影響を与えるほど、本作において重みがあり、本作の影の主役と言っても過言ではないだろう。
マーク・ウォルバーグもアカデミー賞から無視されたことが納得できる。
実際にファイトするのは本人なのだが、主役でありながら、板ばさみ状態で一番感情を押し殺さなくてはいけない損な役回りを引き受けたともいえる。
プロデューサーでもあり、仕方がないか。
カメラワークもなかなか凝っており、この視点からも楽しめるだろう。
久々に聴いた「ホワイト・スネイク」の曲も熱くなった。
タイトルは「ザ・ファイター」とシンプルだが、ミッキー・ウォードという固有名詞を使うのではなくて、戦っているのはボクサー一人ではないということを込めているのかもしれない。