39.《ネタバレ》 冒頭の殺し屋に致命傷を負わされても、死ぬことも無く
まったく意に介さず逃げてしまう野見は、妻に先立たれ
侍としての矜持も捨て去った状態だった。
しかし、三十日の行を行ううちに
侍としての自分を取り戻し、切腹をして果てる。
なにをされても死ななかった男が、自分を取り戻すことで
やっと死ぬことができた、という点に「百万回生きた猫」という
絵本を思い出した。
冒頭の殺し屋は、最初は不要な描写と思ったが、野見が死ぬというラストまでみると
冒頭の殺しても死なないという描写はラストと対をなす描写として必要だと思う。
野見は、藩を勝手に抜け出した罪で三十日の行を申し付けられる。
自分の犯した罪の償いとして、三十日の行を受け入れ、恥を晒すことを
受け入れ、そして三十日の行を失敗した時点で、自らの行為の結果として
野見は死を受け入れたと思う。
だから、ラストの辞世の句で笑いを取るとるという、殿の情けを受けるために
恥を晒す行為は、受け入れることが出来なかったと思う。
それが侍としての野見の矜持・意地なのだ。松本の笑いに対する姿勢にも
つながるのではないかと思う。
ずっと侍の娘として振舞ってきたたえは辞世の句を言わない野見に「なんかいって」
と叫ぶ。この言葉使いは侍の娘のものではない。この瞬間、たえは父の娘に戻ったのだと思う。
腹に突き立てた刀をさやに戻し、野見は侍として死んでいく。この描写は
いままで見たことが無い、すごい描写だと思う。
作品としては、冒頭の殺し屋の登場時に、殺し屋の名前がテロップで出るとか、
エンドロールのカメオ出演などの描写がマイナスに感じた。そして野見が自害するシーンでたえのモノローグが入るが、これではたえに言われたから自害したように感じられる。
たえのモノローグは不要だと思う。しかし、描こうとしている
ものは決して嫌いじゃない。
あと、熊田聖亜は演技がうまいと思う。