2.《ネタバレ》 まず装置があってシーンが創り出されたのか。あるいはその逆か。
いずれにしても、このエレベーターの鮮やかな用法には唸るしかない。
章の切り替え時に入る軽やかなエレベーターの到着音なども含めて、
その装置が映画に頻繁に登場するのには途中で難なく気づく。
映画の中盤、オフィスのエレベーターでヒロインのチェン・シャンチーと
ワン・ウェイミンとが決裂するロングテイク。
これと対になる形で見事にラストのショットを決めてくるのだから、楊徳昌もまた
ルビッチらと並んで『ドア』の映画作家と呼んでもいい。
構造物によって、人物を画面から一旦消し、そしてまた現れさせること。
それを長回しで撮ることで、様々な意味での奥行きと実存の感覚が生まれる。
溝口健二の襖のように。
本作のいくつかの場所でこれをみせる楊徳昌もまた一流であるということだ。
ラストの再開は、その極めつけと云える。
ヒロインの笑顔が現れた瞬間、扉の背後に遮られて見えなかった彼女の翻意の姿が
間接的なだけにより強く迫ってくる。
ほとんどシルエットに近い、表情の判然としない半逆光のロングショットの芝居の数々。
その絶妙な光の感覚もまた素晴らしい。
大っぴらに見せないこと、観客に想像させることで、逆にドラマに、キャラクターにと
引き込んでいく。
そこには観客に対する信頼がある。