97.《ネタバレ》 デヴィッド・フィンチャーで何が一番好きかといえば、この「ゾディアック」。
60年代・70年代テイストのこの映画は、車上のカップルがいきなり射殺されてしまうファースト・シーンにはじまり、ゾディアックは次々に人を殺していく。
目撃はされても大きな証拠を得られない、何故連続殺人を続けるのか、総てが謎のまま終わってしまうのか。
劇場型犯罪によって警察、マスコミといったあらゆる人間が巻き込まれ、疑われる。
プロセスとしては「セブン」に何処か似ている。
説教めいた事を言うのも共通している。
ただ、決定的に違うのは犯人が解らないまま終わってしまうということであり、むしろゾディアックが自首する話が「セブン」なのである。
「殺人鬼は誰か?」ではなく「殺人鬼を付き止めるようとする人々」を焦点にしている点も注目だ。
得たいの知れない恐怖に挑み続け、事件を風化させないために戦い続けた人々の物語。何故彼等は同僚や家族を失ってまで事件を追い続けたのか。
まるで歴史の真相を暴こうとする歴史学者やマスコミのように諦めようとせず、どんどん狂っていく。
それは「何故俺はこんな事をしているんだ」という己の存在意義を見出すための孤独な闘いでもある。
時が流れ人々が忘れ去ろうとも、彼等は忘れる事を止めなかった。
彼らを突き動かすのは、ゾディアックの残した膨大な手がかりと情報だ。
「もしかしたら事件を解決できるかも知れない」という淡い希望。
ただ、「セブン」の「安心して子供を産める社会」のためにとか、他人のための意思とは少し違う。
謎を追うのはマスコミや漫画家といった人間がゲーム感覚で参加しているようにも思える。
マスコミは特ダネを掴んで出世するためだったし、漫画家は本を執筆するために。
警察が協力してくれたのも、真相を解明する手掛かりになるのではと利害が一致したに過ぎない。
それにしたって、あのハンバーガーの美味そうな食い方は何なのだろうか。