11.《ネタバレ》 鑑賞後、自宅に帰り着き、とっときの日本酒を開けた。そして、今作に登場したすべての“名も無き者たち”のために献杯を捧げた。
「スター・ウォーズ」の正史から離れた「番外編」として、最高の映画だったと思う。
「スター・ウォーズ」とは詰まるところ、“ジェダイ”という選ばれし者を描いた映画であり、ひいてはその中でも更に選ばれし血統である“スカイウォーカー一族”を描いた映画であったと言えよう。
しかし、それと同時にこの壮大なスペースオペラには、当然ながらおびただしい数の名も無き者たちの命が瞬いていたということを、この映画は熱く物語る。
善玉、悪玉問わず、持たざる者たち、名も無き者たちの意地と矜持に心が揺さぶられっぱなしだった。
そして、最強兵器による“絶望の炎”を“希望の光”に転じさせてみせた「英雄」たちの最期に涙が溢れた。
エピソード4のオープニングロールの映画化という報を聞いた時は、SWファンとして多大な興味を得た反面、番外編とはいえ果たしてSWシリーズの最新作として成立するのかという疑問符を拭えなかった。
オープニングロールで記された内容の映画化ということは、とどのつまり世界中総てのファンは“事の顛末”を知っているわけで、それはエンターテイメントとして非常に高い障壁になると思われた。
またSWの正史に登場するような大人物は描けないことも明らかで、必然的に地味な作品に仕上がることは避けられないのではないかと想像していた。
しかし、それは大きな見誤りだった。
“ジェダイ”がただの一人も登場しない今作が、こんなにも娯楽と感動に溢れ、しっかりと「スター・ウォーズ」として成立しているとは。
SWというスペースオペラの根幹を成すものは、“ジェダイ”でもなければ、“スカイウォーカー一族”でもなかったのだ。
ひたすらに「希望」という言葉を掲げ、勝利を信じ、広大な宇宙で瞬いた命の一つ一つこそが、SWをSWたらしめるものだったのだと思い知った。
そういう意味では、この映画こそが、最も「スター・ウォーズ」というタイトルに相応しい作品であるようにさえ思える。
この映画で主人公たちが得たものは、「勝利」ではない。
「きっと誰かに伝わったはずだ」という、本当に微かな、だけれども何よりも重く重要な「希望」だった。
かろうじて繋ぎとめたその「希望」を胸にして、彼らは“光”に包まれる。
あまりにも悲しく無慈悲なシーンである。
でも、彼らが成したことの「意味」を既に知っている我々は、そこにシリーズ最高のエモーショナルを感じずにはいられない。
「希望」は、持たざる者たち、名も無き者たちによって、文字通り一人ひとり継がれていった。
そして、無双そのものの“絶望の権化”による追従をすんでのところで何とかかわし、ついに「新たな希望」へと辿り着く。
そりゃあ、泣くしかないじゃないか。