52.《ネタバレ》 似たような作品に「博士の異常な愛情(米国での公開は同じ1964年)」があるが、本当かどうかわからないが、脚本を書いた者同士は双方ともお互いの映画のことは知っていたらしい。あちらはコメディ。こっちはくそ真面目。
様々な問題で、この作品は日本公開が結構遅れたと言われている。
冒頭の闘牛の牛の夢。それが何を意味するのか。闘牛士の手によって牛に槍が突き刺さる。倒れ込む牛。
牛とは我々なのか? 闘牛士とは神なのか?それとも我々自身なのか?
いけ好かない教授がマッソー兄い ソ連に向かう爆撃機を見て、顔は落ち着いているが、なんとなくヒャッホー状態。
当然のごとく「いま、攻めるべきよ」といい、好戦派の将軍(なんとなくルメイ氏に似てる 知らない人は調べてね)が「やりましょうよ」という
「良識派」の軍人が「何を考えているんだ?」と問いただす がこの人が最後に命令されることが、、、
その中、通訳と二人で秘密の通信部屋にこもる大統領。事故であることを伝え、書記長に話すが、どこか少し軽めに話す。
が、その態度は相手と対応に柔らかく話すための作成。通訳の「雰囲気解説」がこの電話会談をさらに緊密なものにしてゆく。
脚本が良いねぇ
電話会談はさらに緊張をしてゆき、在モスクワ米国大使 ソ連国連代表 戦略爆撃指令室 ホワイトハウスの戦術会議室 そして爆撃機隊長機 と電話が順々につながって行き、緊張度が増してくる。
戦略爆撃指令室の内で、ソ連攻撃機撃墜で喜ぶ管制官 すかさず大声で叱る司令官 彼と電話相手の通訳将軍だけがその場の良識人であり、悲痛な指示を心を殺しあいながら出していたのだった。
爆撃機からの最後の通信。その時隊長の奥さんが話をするが、お話はもう結論が見え見え。周りの人物にも焦りはあるがあきらめが見え隠れする演出。
モスクワは「消えた」 アメリカの良識と謝罪と意志を示すため。NYへの爆撃を自国で行うという選択。
それはないがな他にアイデア無かったのか?
結局「戦死者の数」ありきなのか? 戦死者減らすために核を作ったという言い訳の裏書か?
そうぢゃないだろ? と被爆国の小市民は叫ぶが、物語は淡々と終了に向かう。
エンドクレジット前に「こんなことは今は起こらない」と言う但し書き出るけど、
クリムゾンタイドでもそんなの書いてあったけどなぁ
偶発核戦争は確かに起こっていないが、あわや寸前は数多くあるようだ
原子炉についてはもう言わずもがな だ
「十二人の怒れる男」との対比も考えれば面白い 正義とは真実 真実とは正義 が、この映画での真実・正義とは何なのだ?
と言う 密室劇 長いよ暗いよオネエチャンほとんど出ないよ
東欧で、東アジアで 核が出るや出ないやら の時代にゆっくり見ることをお勧めします
映画の続きを作るとしたら、どうなるんだろうねぇ