266.《ネタバレ》 点数をつけること自体に気がひけてしまうくらいすばらしい映画です。
マルコム・セイヤー医師は、医師ではなく研究者であったから、序盤は常に優先順位が「真実を知ること」でした。そのセイヤー医師がこの病院に、勘違いから赴任してしまったことが、最初の奇跡だったように思います。
赴任後、セイヤー医師は、看護師や患者さんたちと一緒に病気に向き合っていくことで、次第に医師としての側面を持つようになっていきます。
序盤、どうしてもセイヤー医師の笑顔が、「新しい真実を発見した喜び」に見えてしまいました。ですが彼は、少しずつ心境の変化を見せていきます。
セイヤー医師は、日常の小さな気付きから仮説をたて、実証することを繰り返します。
これが、言葉を発することができない患者さんたちの心と、少しずつ触れ合っていくきっかけとなったように思います。
また、後半では、レナードが自分を実験台にするように申し出ます。
実際に痙攣が始まります。レナードは、セイヤー医師に自分を撮るように促します。
ところが、セイヤー医師はためらってしまいます。
ああ、この人はもう医師であり、レナードの友人なんだと思いました。
レナードをふくむ病気の方たちが目覚めた期間はわずかなものだったかもしれません。 だとしても、その期間、間違いなくこの方たちは自分の人生を享受していました。そして自分にとって大切な人達との再会を果たすことができたのです。
それは彼らだけではなく、彼らを支え続けた人々にとっても同じことが言えると思います。むしろ、長い年月寂しい思いをしてきたのは、周りで支え続ける家族や医師たちのほうだったかもしれません。患者さんたちは、ずっと自分たちを支え続けてくれた人達のために、ほんのひとときだけ目覚めてくれたようにさえ感じます。
別れは再びやってきます。ラストは、彼らに取り残されたような気分になりましたが、それは彼らが目覚めていたとき、一緒に彼らの人生を楽しむことができたからだと思いました。
100冊の自己啓発本を読むより、この映画を1本見るほうが、自分の中で何かが目覚めた気がします。