131.《ネタバレ》 見始めて少し経ってから、「フェイスブックの映画だ」と気付きました。
フェイスブックそのものに興味は有りませんが、ジェシー・アイゼンバーグの演技に説得力を感じて作品に引き込まれていきました。
主役の彼が演じるマーク・ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げるきっかけや拡げて行く理由の殆どは負の感情から来ています。
物事の行動原理は主に欲望や感情に起因していますが、天才が世の中の新しい常識を創るような発明も凡人と何ら変わらない理由がきっかけとなっているのは面白い所です。
バーニングマンというアートイベントも彼女に振られた男の行動がきっかけで始まったという話も思い出しました。
そんな天才マークが作中唯一表情を緩める相手は友達のエドゥアルドでも彼女のエリカでもなく、ナップスターを立ち上げた山師のショーンです。
エドゥアルドがフェイスブックを単なるビジネスツールと考えていたのに対して、ショーンはフェイスブックを『クール』なものとして捉えています。
マークにとって彼のプライオリティの頂点に位置するフェイスブックを肯定し、その本質とも言える部分を見抜く事の出来るショーンは最高の理解者と言えたのではないでしょうか。
また、マークにとっての『クール』とは彼の最大のコンプレックスで、フェイスブックに『クール』を見出したショーンに無意識のうちに傾倒していくのは極めて自然な事だと思います。
ショーン・パーカーは欲しがっている相手に最も欲しがっている物を与える天才として描かれています。
彼の周りにいつも女の子が居るのも納得です。
物語はフェイスブックの成功の過程と並行して、この3人にウィンクルボス兄弟を加えての醜い人間ドラマを描いています。
フェイスブックを立ち上げた理由がもっと社会的に意義の有るものだったらここまで酷い事にならなかったのではないか等と甘い理想論の様な考えを抱かせる程に彼等の争いは虚しく映ってしまいます。
ジェシー・アイゼンバーグの演技や編集、音楽、タイムリーな話題性等の優れた要素を軸にテンポ良く色々なイベントを矢継ぎ早に見せてくれますが、正直内容的には見終わってからも印象に残るものは余り有りませんでした。
脚色はされているものの実話という事で話に惹きつけられますが、もしフィクションだと仮定してしまうと物語自体はそれ程魅力のあるものではないように感じます。
作中では上記の登場人物の中でもエドゥアルドが最も好意的且つ良心的に描かれていると思います。(マヌケな部分はありますが)
マークと彼の間の示談条項は非公開で彼は本作の監修に携わっているとの事です。
条項内容に映画製作等があった場合、他の関係者を除外しての単独検閲権限も含まれていたのではないかと勘繰ってしまいます。