4.《ネタバレ》 ヒロインの不倫がメインテーマですけど、まずなぜ画家が好きになったかの理由づけに説得力がなく、その時点で感情移入できない。
「ピアノレッスン」のように、夫が性格が悪くてヒロインをぞんざいに扱っているなら、優しくしてくれた男に惚れていくのは分かる。
あるいは「マディソン郡の橋」のように、夫の性格は普通でもそれが退屈で、趣味の話しが合う男に惚れていくのも分かる。(キーツの詩を理解するとか)
しかしこの映画えは、夫(クリストフ・ヴァルツ)はひたすら優しくヒロインをお姫様のように大事にしてるのでダメだ。
画家と話しが合って惹かれたわけでもないからほんとダメだ。
つまりは、”おじいさんの刺激のないエッチより、若い男の激しいエッチのほうが、すっごくイイわぁ…”っていう、うすべったさ。
だから、ヒロインが死んだフリして画家と駆け落ちをするつもりが、急に熱が冷めたのもよく分かります。
だって画家とは、ただエッチが良かっただけですもんね。
そんな相手のために、エッチがムードがないとはいえ自分に尽くしてくれた真面目な夫をだまして、
召使の子供をヒロインの子だとだましたあげく、夫にその赤子をヒロインの子だと押し付けて、
死んだフリして、駆け落ちしようなんて、若い男とエッチざんまいの日常を手にするだけのためにそこまでするかい…って
どんな単細胞な脳でもわかりますよね。
そもそもあの画家、頭相当悪いし。
(彼女との駆け落ち資金を、彼女を育ててくれた修道院からチューリップ盗んでお金にしようとか、もう人としてアウト)
状況次第で高騰したり暴落するチューリップは、まさにヒロインの気持ちの象徴だと思えば
このなんの感情移入できない作品も、あらての不倫映画としてはアリといえなくもない。
ヒロインに裏切られても、ヒロインとグルになって自分をだました召使と、その彼氏の魚売りの魚くさい男に
いきなり家と資産をあげちゃう人の良さは意味不明だし
その家にのうのうと居座って
元魚売りの男と夫婦になって、おしゃれな洋服を着込んで子供をワラワラ生んで生活してるマリアも、まぁ調子がいいこと…って意味不明。
(マリアの性格がピュアで優しいならともかくとして
マリアが妊娠したことをヒロインに告げたら「もし私を追い出したら、あなたの不倫を旦那様にばらすぞ」って
ゆすりをするような、雑草みたいにたくましくていやらしい貧困層の女ですからね)
ラストシーンでは、修道院で、絵の仕事を頼まれてやってきた画家が、修道女になっていたヒロインと再会したわけですが
まぁあのヒロインの性格からして、修道院の夜の庭でまた画家とめくるめくエッチを楽しんで
「やっぱりまた死んだフリして今度は修道院から逃げ出してあなたと一緒になるわ!ひゃっほ~!」
ってなりそう。