67.《ネタバレ》 名画の誉れ高い絵画を発想の原点とした作品としては最高傑作だと私は思う。
史実を齧ってみると、諸説あるらしいが「真珠の耳飾りの少女」を世に残したフェルメールと言う画家の人となり・生涯に関しては未だに謎の部分が多く、
ましてや彼の作品の背景などは謎ばかりらしい。
一枚の素晴らしい絵画を前にしてあれやこれやと想像を働かせる事が絵画鑑賞の醍醐味で有り、
中でも「真珠の耳飾りの少女」は題材とされた少女自身のその何とも表現のし難い儚さや透明感、
複雑な心境で画家に相対しているであろう事を雄弁に物語る目の光など、
鑑賞する人のイマジネーションを刺激するという意味では絵画芸術の最高傑作なのではと私は思っている。
翻って本作、この手の作品に必要不可欠な時代考証を緻密なまでに行った事の表れか、画面からは今にも強烈な生活臭が漂ってきそうだ。
掴みは充分な中、スカヨハ演じる架空の人物である女中のグリートは絵画のそれよりも少々骨ばった感は有るものの、
絵画・そして映画の世界観にはぴったりで絶妙なキャスティングと言える。
コリン・ファースが演じるフェルメールもパトロンに取り入らなければ生活が成り立たない家庭環境の中で、
複雑な思いを抱きながら生きる一人の男を上手く演じていたと思う。
自らの生活に疲れ切り創作意欲も湧かなくなった男が、グリートの様な若いだけでは無い内に秘めたものを持つ女性に出会い、
創作意欲を掻き立てられるのは至極当然な事。
アトリエで一緒に空を見る場面、二人で黙々と絵画用の画材を調合する場面等々、
雄弁なセリフなど皆無ながら二人の間に流れる微妙な空気を表現する「間」がなんとも言えず素晴らしい。
そう、おどろくべき事に二人の間は終始プラトニックなもので、下世話な人間たちが期待する様な事は一切無い。
だからこそ、正婦人の耳飾りを下の身分である女中に身に着けさせる事の意味、それに対する家族の反応、
そして本作の白眉とも言える耳飾りを付けるピアス孔を開けるシーンが、何とも言えず胸に迫る。
ラスト、フェルメールは家を離れ暮らすグリートに真珠の耳飾りを人づてでプレゼントする。
この行為の表す意味を考えると、ただただ私は切なくなるのみ。
半ば強制的に家で過ごさなければならないこの環境下、じっくりと映画に向き合うには最適な作品ではないだろうか。
蛇足 キリアン・マーフィーが何か悪い事をしでかすのではないかと終始ハラハラしていた(笑)