8.《ネタバレ》 主人公は正義を貫いて潔く会社をやめる、そして「外地」(満州)に移る。この「爽やかな」決断が拡張主義的時代に支えられているわけだ。松竹小市民映画のモダニズムが戦争の犠牲になるというよりはむしろ同じ枠組みを積極的に共有していたとは、小津や成瀬(→PCL)でも。 【ひと3】さん [ビデオ(邦画)] 7点(2015-01-26 20:23:14) |
★7.《ネタバレ》 以前録画して長らくみていなかったので、消そうかと思い確認のため見始めたら 意外にも面白く、最後まで見てしまいました。 平凡なタイトルに、最初の10分ぐらいは平凡に見える家庭そのもの… やっぱり消そうと思ったところで、妹の出勤服を見てびっくり。 さらに、その出勤風景、妹の仕事ぶりと驚きの連続でした。 1939当時、彼女は相当なキャリアウーマンだった筈で、 しかも、英語能力は上司の日本語をその場でビジネス英語でタイプ。 現在でも、これだけの技能を持った人は男女関係なくそうはいません。 兄の方はずっと木訥とした感じですが、 妹は正反対。主人公はいわば彼女で、当時の観客には相当インパクトがあったと思います。
先日、小津の「生まれては見たけれど…」をテレビで再見し、 それと合わせて考えると、1930年代は僕等が想像しているより遥かにサラリーマン生活が定着していて、それが前提の物語です。 社内での誤解や嫉妬で、会社を何度も飛び出す兄。 最後には、満州を目指しますが、 一般の人間にとっては満州は、チャンスの土地で、 現代のアジアと同じ感じだった。 (この辺りの編集表現は同じ頃製作された「新しき土」と較べるとはっきり違いがわかります) 中国も十年前はマスコミ、経済界こぞってそういっていましたが、 今では雰囲気違います。
何だか歴史は繰り返しているように思え、 兄が抱えている閉塞感は、失われた三十年間に突入の現在、 このプロットは今でも使えそうな気がします。 【ろんべえ】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2013-02-16 17:48:19) |
6.淡々と続く他愛のないエピソードの数々、この映画はいったい何を見せたかったのか?たぶん最後のシーンがやりたかったんだろうな…。商社マンのサクセスストーリーというか?妻や妹の描かれ方も、その添え物と思えば納得がいく。いかにも作ったような不自然な会話、退屈な映像、今頃になってほじくり出してくる意義もよくわからないような、凡作としか思えず…。 【且】さん [CS・衛星(邦画)] 5点(2012-06-30 21:16:51) |
5.>2012.01/29 鑑賞。大戦前の昭和14年、一時の平和な時代をリアルに感じさせる。また良き家庭の和やかな生活感が素晴らしい。でもこの生活も一般に比し、かなりエリート家庭であろう。 またこのような兄、妹の家族愛は私の家庭とはかけ離れ理想像に近い。ラストシーンは本来明るい未来が期待されるであろうが、車輪の野草と台詞が大戦の突入と苦難を暗示してるように現代から見ると感じられるのは何故だろう・・・。 【ご自由さん】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-29 21:05:44) |
4.《ネタバレ》 お洒落でモダン。女声合唱のタイトル音楽が、それを象徴しているように思います。主舞台となる間宮家は、戦前のことゆえ日本家屋で和服の生活ですが、洋装の妹・文子が思いっきりモダンな要素となっていて、三宅邦子の義姉と好対照になっています。兄も含め、それぞれを思いやる三人の心の機微がよく描かれていたと思います。特に、文子役の桑野通子が素敵でした。前半は大きな事件がなく、状況説明や伏線とはいえ、やや間延びした印象となったのが残念でした。よく言えば、伸び伸びしているのですが。 最後に大陸に渡るというのも、その後の経緯を知っているだけに、めでたしめでたしとは思えず、尻切れトンボな思いが残りました。間宮家はけっこう裕福な家庭のようでしたが、そうした層の方が現地の情勢についてうとかったのかもしれません。まあ、当時のスタッフがこの最後になにを託していたかというのは、私にはうかがい知ることはできませんが……。 ちなみに、文子が同窓生とウェルナーの「野ばら」を歌う場面があるのですが、詞が現在一般に知られている近藤朔風の訳詞ではありません。誰の訳なのでしょう。 【アングロファイル】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-22 21:53:47) |
3.《ネタバレ》 日本映画は「坊っちゃん」パターンが本当に好き。主人公佐分利信は曲がったことが嫌いで、姦計を弄する赤シャツ的河村黎吉がいて、碁がたきの重役坂本武がさしずめタヌキ校長、友人の笠智衆が山嵐って感じ。「曲がったことが嫌い」な主人公も、国策としての曲がったことには鈍感になってしまうところに、同時代に生きる者の限界がある。取ってつけたようなラストはどこまで作者の責任なのか、当局に強いられたものなのか分からない。最後に不意に植民地が浮かび上がるのは『隣の八重ちゃん』もそうだった。国策への迎合と言うより、家庭劇の狭さから飛躍したいという作者の平衡感覚かもしれない。兄と妹との気の遣い合いがテーマだけど、家庭の描写の自然さが素晴らしい。会話もそうだが、沈黙が自然に描かれる。普通のドラマだと「気まずさ」を表現してしまう長い沈黙も、この監督のテンポだと自然。だいたい普通の家庭の中ってドラマほどしゃべり詰めじゃない。別に気まずくなくっても黙ってる時間がある。そういう時間を描くのが一番難しいんじゃないか。それに成功している。健康な娘ってのもいいんだ。「おいしい」ではなく「うまい」と言う。ハイキングは、もしかするとこれが三人での最後の外出になるかも知れない、という予感が微妙な切なさを醸していたが、それをあっさり健康な妹の兄想いが凌駕してしまう(現実の桑野通子はあと十年も生きられなかった)。観終わって冒頭シーンを思い返すと(夜の帰路での背後の靴音)、会社勤めをしている者のけっこうモダンな心理描写だったわけだ。当時の機材での暗い路上の移動撮影は大変そう。だいたい夜のシーンってのは昼間撮影してそれを夜っぽく処理するもんだけど、これは本当に夕方くらいの暗い中で撮影してたみたい。違うかな。かつてスクリーンで観たとき、上原謙のキザな写真が出てきたとこで場内が大笑いになった。戦後得意とした二枚目半役はすでにこの頃からやってたんだ(もうこの時は小桜葉子と結婚していて桑野とのロマンスは上原が振った形で終わっていた、本作での桑野が上原を振る設定に特段の意図はないんだろうな)。 【なんのかんの】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-21 10:29:51) |
2.当時の人々の自然な生活様式や思考がいろいろ見られたのは興味深かったのですが、それ以外のところでの見るべき点がないのです。 【Olias】さん [CS・衛星(邦画)] 4点(2012-01-19 00:42:04) |
1.まさに「兄と妹」とについて綴った内容で、抑揚がない。 佐分利信の演技もまた抑揚がない。 当時のサラリーマン社会も、現代と変わらない悩みや衝突があった、分かったのが貴重ではあった。 【にじばぶ】さん [ビデオ(邦画)] 4点(2009-10-22 01:18:43) |