68.《ネタバレ》 伊野を偽者と知っていながら告発しなかった、あるいは疑問を持ちながらも無意識に真相から目をそらせた者がいた。
それはなぜか?
偽医者が村を支えていたという事実。
本物だと信じたかった、思い込みたかったのだろう。
看護師、製薬会社の営業マン、研修医。
そして、村人も自分たちの望む医師像を伊野に重ねていた。
伊野もそれに応えて御輿に乗って神様を演じていたといえる。
伊野は患者や家族の本心に寄り添うことができる。
死にかけた老人の救命処置をしようとした研修医に、このまま逝かせてあげたいと望んでいる家族は困惑する。
伊野はそうした本音を察しながら、老人の死を悲しむ小芝居に付き合ってあげる。
嘘の世界をうまく演じることで、誰も損をせずに幸せになることもある。
ただ、偽者では治療にも限界がある。
伊野もそれを実感して重圧を感じ、途中で抜け出したくなることが何度もあったのではないか。
緊急性気胸の施術では経験豊富な看護師の協力で何とかしのいだものの、一歩間違えば患者を死なせていた。
僻地の診療所なので今まで問題が表面化しなかったが、専門家としての知識や技術が足りないために患者を死なせるリスクは常につきまとう。
それでも、伊野は危ういながらも成立している擬似世界を壊すことができず、土壇場まで居残るはめになったのだろう。
かづ子の娘りつ子は、すぐに訴えることはしなかった。
それよりも、助からないであろう母とどう向き合えばいいかを悩み、伊野なら母にどうしてあげただろうかと医師としても知りたいと思っている。
そこには伊野をある意味認めるような心情が汲み取れる。
ラスト、素っ気ない病院のベッドで横たわるかづ子の前に、偽給仕として現われる伊野。
二人の交わす笑顔に妙に感動してしまい、不覚にも涙が出そうになった。
伊野は本気でかづ子と向き合っていた。
医師免許を持つ医者でもなかなか成しえないことをしたのだ。
鶴瓶と八千草薫がたまらなく良い。
その二人を含め絶妙のキャスティングが作品の完成度を高めた。