606.《ネタバレ》 この映画はある意味ハッピー・エンドなのかも知れない。
フリッツ・ラングの「ビッグ・ヒート」にも通じる部分がある「犠牲と心境の変化」。
フィンチャーは「ゾディアック」とか00年代の作品の方が好きだが、彼の最高傑作を1本選ぶならコレになるだろう。
市川崑と宮川一夫の「おとうと」の頃から銀残しという演出は使われてきた。
非常にコントラストの強い画面は、見る者に閉鎖的な息苦しさを与える。
この映画に描かれる下品さ、人間の汚れた部分を徹底的に見せる映像には嫌悪感を覚える者もいるだろう。
だが、人間の心理に向き合わせようとする物語・・・アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーの哲学を絡めた見事なシナリオには唸らざる負えない。
それに美しいシーンもある。
莫大な情報が眠る夜の図書館の静寂とかさ。
凶悪な犯罪や殺人が耐えない現代社会。
サマセットはそんな世の中に嫌気が差していた。定年を迎え辞めようという時に起きた「七つの大罪」になぞらえた連続殺人。
奴は何故殺人を繰り返すのか、それが徐々に浮き彫りになっていく。
殺人犯の説教なんてクソ喰らえだ。
大量かつ複雑な情報をコンパクトにまとめてしまうフィンチャーは正に職人だ。
サマセットとミルズは早く平和な家に帰りたがっていたが、殺人を止めるため、「安心して子供を産める世の中」にするために犯人と戦う覚悟を決める。
サマセットは、ミルズの妻とそのお腹の中にいる新しい命に触れる事で「人を信じてみたい」と希望を持ちはじめる。
最後の戦いの前にフル装備で身を固めていくシーンのワクワク感は何なのだろうか。
それを絶望の淵に叩き落すのだから油断できない。
結末は残酷なようにも思えるが、ミルズの表情に“憤怒”は無く、かといって“哀しみ”にも染まっていなかった。
勝ち負けではない。
「もうこれ以上犠牲者を出さないためにも・・・このクソ野郎は俺がブチ殺す」という冷静な戦士の表情だ。
車の中で贖罪を求めていた筈の彼が、警官として責務を負う覚悟を決めたのだ。例えどんな絶望が待っていようとも。
フィンチャーが“アレ”を見せなかったのも俺は気になる。
実は犯行にはおよんでいなくて、警官に嫉妬する自分と憤怒にかられた刑事を“精神的”に殺そうとしただけだった可能性もあるのではないだろうか。
俺はそういう結末があっても良いと思うんだ。