1.《ネタバレ》 『おジャ魔女どれみ』シリーズを見て育った世代を通して(アタシはその時点で十分に育ちきってたけど)、子供の頃から今まで経てきた時間、そしてこれから生きてゆく時間について描いた映画。主役は3人の魔法の無いリアルを生きる女性で、作品世界としては『どれみ』と直接的な繋がりはほぼナシね。
まだ若いけれども人生どんづまり気味の3人が『どれみ』を通じて知り合って、意気投合して、でもケンカしたりもして、お互いが大切な存在になってゆく姿は感動的だし、『どれみ』に思い入れがあればその感動は更に大きなものになるわ。
ただし問題はいっぱい。これって「あー感動した」で済ませていいの?っていう。
まず、3人以外の登場人物が3人のドラマを描くためのダシでしかないのよね。レイカのクソ野郎な彼氏にしろ、ミレの会社のバカ達にしろ、ソラが告白する男にしろ、きちっとハナシにケリを付けずにほっぽりだすだけなのよね。それがたとえロクでもない存在であってもドラマとして雑だわ。
でも、いくらなんでもレイカのお父さん周りの描写に関しては雑過ぎるでしょ。お父さん、もう余命幾ばくもないのは明らかよね。再婚相手とまだ幼い娘がいて、当然そこにはレイカと母親の姿を投影していいハズなのよ。なのにそこはドラマにはせずにほったらかしで終了。あの母娘は映画の中で全く救われないの。
レイカはクソ野郎を捨てた直後にほいほいと東京のミレの元に行ってしまうけれど、いきなり辞められたバイト先のお好み焼き屋はどうなったのかしら?
ミレも会社をさっくり辞めたけれど、なんで前の上司に辞表出したの? 彼女の役職だと辞表じゃなくて退職願じゃなくて? レイカ同様いきなり辞めちゃえるモノ?
そして、そういう雑さの上で彼女達の選択って、過去の嫌なしがらみは全部切り捨てて、好きな者同士だけで閉ざされた世界を作ってそこで生きていきましょう、って結論なのよね。それでいいのかしら? 飛び立ってゆくどれみ達の姿とは裏腹に随分と内向きじゃなくて?
このところ、海外アニメーションの名作、傑作が次々と公開されて、それらに慣れた目にこの映画は良くも悪くも「アニメねぇ」って感じなのだけど、そしてその記号的アニメ表現は『どれみ』準拠なのは当たり前なのでしょうけれど、未来を指向する作品なのに先に進めてない、むしろ後退してると思うの。『どれみ』ノスタルジーならばそれでもいいのかもしれない、でも2020年という今にアニメという日本独自の文化がどういう道を選択すべきなのか、って点に関して、ちょっと無自覚過ぎる気がするのよね。御大やパヤオの嘆きも判んないコトもないわね。