6.《ネタバレ》 正面の顔に対してのよこがお。別の側面の意。本物語においては、正面が「少女連れ去り事件」であり、よこがおが「市子の復讐」と考えます。まず正面の顔、本筋の連れ去り事件の方から整理しましょう。連れ去り事件を市子の立場で捉えた場合、殆ど何もやれる事が無い事に気づきます。後悔は尽きないでしょうが、だからと言って事件を未然に防ぐことは出来なかったでしょう。事後対応についても最善とは言えないまでも悪手でもありません。彼女は常識範囲の損得勘定と倫理観をもって対応をしていたと思います。ただキーパーソンだった基子の心情を読み違えただけ。でもそれに気づけというのも酷な話。市子にとっては失ったものが多い辛い結末でしたが、事件の発端をつくった道義的責任を考えればある程度の罰は受けざるを得ず、その程度が過大だとしても甘んずるより他ないと考えます。正面の顔=連れ去り事件〜報道被害はショッキングでしたが、(主人公にとって)不可抗力な要素が大半を占めていたように思います。
一方「よこがお」=「市子の復讐」はどうでしょうか。彼女が能動的に行動しているため検証しがいがあります。市子が試みた復讐は、基子の彼氏寝取り作戦でした。メンタル的にもフィジカル的にもアラカン女性が選択できる報復手段とは思えませんが、何故か成立してしまう奇跡。豪快に空振りしたかと思いきやスッポ抜けたバットが基子に直撃するという部分まで含めてミラクルでしょう。でも残念ながら狙ったダメージではないのでカタルシスはありません。復讐の第2ステージは偶然の産物でした。まさに鴨ネギ。実に簡単に復讐相手に致命傷を与えられる大チャンス到来です。偶然であるが故に必然性を感じさせます。しかし彼女は復讐を思いとどまりました。冷静になれば当然の判断ですが、追い詰められた人間は間違うのが常。彼女はよく自制したと感心します。そんな彼女に、福本伸行先生の漫画『賭博覇王伝ゼロギャン鬼』の喜十郎さんの名言を捧げたい。『最悪さえ避ければ人は結構幸せだ』。少女連れ去り事件も、市子の自殺未遂(自殺願望)も、復讐劇さえも、全て最悪の結末だけは免れています。これは幸運なこと。やり直しが効くのですから。復讐の誘惑から逃れた市子に明るい未来が訪れますように。