チャップリンの独裁者のシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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チャップリンの独裁者

[チャップリンノドクサイシャ]
The Great Dictator
ビデオタイトル : 独裁者
1940年上映時間:126分
平均点:8.20 / 10(Review 205人) (点数分布表示)
ドラマコメディ戦争ものモノクロ映画政治もの
新規登録(不明)【シネマレビュー管理人】さん
タイトル情報更新(2019-06-10)【イニシャルK】さん
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監督チャールズ・チャップリン
キャストチャールズ・チャップリン(男優)アデノイド・ヒンケル/床屋のチャーリー
ポーレット・ゴダード(女優)ハンナ
ジャック・オーキー(男優)ベンツィーノ・ナパロニ
レジナルド・ガーディナー(男優)シュルツ司令官
ヘンリー・ダニエル(男優)ガービッチ内相兼宣伝相
ビリー・ギルバート(1891年生まれ)(男優)ヘリング陸軍元帥
バーナード・ゴーシー(男優)マン氏
チェスター・コンクリン(男優)床屋の客
ハンク・マン(男優)突撃隊員
ウィーラー・ドライデン(男優)ハインリッヒ・シュティック通訳(ノンクレジット)
山寺宏一アデノイド・ヒンケル/床屋のチャーリー(日本語吹き替え版【BD】)
愛川欽也アデノイド・ヒンケル/床屋のチャーリー(日本語吹き替え版【TBS】)
富田耕生ベンツィーノ・ナパロニ(日本語吹き替え版【TBS】)
脚本チャールズ・チャップリン
音楽チャールズ・チャップリン(ノンクレジット)
メレディス・ウィルソン
撮影ローランド・トザロー
カール・ストラス
製作チャールズ・チャップリン
配給ユナイテッド・アーチスツ
字幕翻訳清水俊二
あらすじ
ヒトラーを激怒させた作品。世界大戦の敗戦国トマニアは世界大恐慌の打撃に耐え切れず、独裁者ヒンケル(チャップリン)の台頭を許す。ヒンケルは言論統制とユダヤ人弾圧によって、ユダヤ人の床屋チャーリー(チャップリン)とそのガールフレンドの生活を脅かし、友好国バクテリアと協働で隣国オストリッチを侵略する。だが、大戦中にチャーリーに命を助けられ、ヒンケルに良識を説いて失脚した政治家シュルツはチャーリーとヒンケルが瓜二つだということに気づいていた。入れ替わり後のヒンケルの自由と人間性を讃える演説が見事。
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205.1940年の作品となっているが1939年の前半には既に完成していたという。つまり同年9月1日に起こったドイツのポーランド侵攻以前からチャップリンはナチスを批判していたという訳だ。当時のアメリカ政府はポーランド侵攻まではナチスに対して友好的で、本作の撮影時にもさまざまな圧力があったという。今でこそ皆がナチスを糾弾し、「シンドラーのリスト」や「ライフ・イズ・ビューティフル」といった映画に涙を流している。現代の映画監督にナチス批判の映画を作るなと言うわけではないが、どうにも「後出しじゃんけん」という印象が拭えない。先日亡くなった「民族の祭典」の監督レニ・リーフェンシュタールが「戦前は皆ナチスを支持していたくせに戦後はこぞって批判するのはおかしい」という旨のことを生前話していた。同時代においてナチスを公然と批判したチャップリンの勇気に敬意を表したい。
Copperfieldさん 10点(2003-09-27 07:46:08)(良:7票)
204.こんな事言うと誤解されちゃいそうだけど、チャップリンはホントはこんな映画作りたくなかったんじゃないかと思う。もしナチスの台頭→第二次世界大戦という歴史の悲劇がなければ、彼は多分この作品や「殺人狂時代」は撮らずに、ずっと涙と笑いで溢れた呑気で素敵な作品だけを作り続けた筈だ。この、映画史上最も勇敢な作品によってチャップリンは英雄視(偶像視)されるようになったけれど、それは彼の本意ではなかったと思う。彼は立派な英雄になんてなりたくはなかった。ただ単に彼の愛するもの―ささやかな平和や人々の笑顔―を守りたかっただけなんじゃないだろうか。「独裁者」というとどうしてもナチスに対する風刺やラストの「世紀の六分間」の事ばかり大きく取り上げられ過ぎて、ともすれば他の場面はどうでも良いかの様に思われがちだ。しかし、例えばヒンケルの一時的なユダヤ人迫害緩和政策によって訪れた束の間の平和のある日、床屋とアンナとの初デートを皆が祝福しているシーン。アンナに「彼の様子を見て来て」と言われた女の子が仕事中の床屋を見に行って、アンナに叫ぶ。「まだ、はげあたまをみがいてるわよ!」。僕はこの作品の、こんな何気ないシーンも大好きだ。そもそもチャップリンが好んで描いたのは、偉人でも英雄でもない、しかし善良で愛すべき市井の人々ではなかったか。冷静に「映画」としての出来を見れば、この作品は特に優れているとは言えない。何人の方が指摘されているように全体的なバランスが悪いように思う。しかしそれは、彼の「止むに止まれぬ衝動」によって生まれた「作らざるを得なかった」作品だからだ。僕はチャップリンも、この作品も大好きだ。でもそれは決して彼が英雄だからでも「喜劇王」だからでもない。彼の数々の映画が、僕のようなボンクラにも「夢を見ることの大切さ」を(少し恥ずかしそうな笑顔で)語りかけてくれるからだ。
ぐるぐるさん [ビデオ(字幕)] 10点(2005-08-15 16:08:51)(良:6票)
203.ごめん、実はこの映画、めちゃめちゃ苦手やねん。なんでか、ゆーたら、最後の演説シーンを頭に思い出すだけで、人前でも涙目になってまうから。嘘ちゃうって。これ、ほんまの話。淀川さんがこの映画の話してるだけで、俺、おお泣きしてもーたもん。メッセージ性とかヒトラーとか映画としてどう?とかもうそんなことはどーでもえーねん。役としてじゃなくチャップリンとして、天国の母へ平和を願って語りかけるあの演説には、ほんと俺の涙を誘う、この世界で、単純だけど大切な思いを感じるねん。もうそれだけ。それだけで、これ書いてる今も涙目やねん。やっぱりちょっと俺おかしーかな。
なにわ君さん 10点(2004-08-25 16:17:03)(良:2票)(笑:2票)
202.《ネタバレ》 断言するが、これはコメディではない。あえていえばニュース映画。彼はなぜ、6分間ものベタな長演説をぶったのか?笑いの作り手として世界最高峰にあった彼が、あの長演説が観客に野暮ったく聞こえることをわかってなかったはずがない。また彼は、あの演説を披露したところでヒトラーを止められないことも百も承知であった。ではなぜあの6分間のシーンをわざわざ撮ったのか?きっと「練達のコメディアンがコメディアンの文法を使わず、真面目なことを正面玄関から言わなければならないようになったときは、事態は取り返しのつかない深刻な段階まで進んでしまっている」ということをニュース映像として後世に残しておきたかったのだと思う。すなわち、練達のコメディアンがコメディアンらしく振舞える段階はまだ望みがあるが、そうできなくなってしまったときは、悲劇的な結末が待っているだけ、ということがこの映画のメッセージなのだ。今、日本のコメディアンは、まだまだ充分コメディアンしていられるように私には感じられる。ただ、彼らが、チャップリンほどの「練達な」コメディアンかどうかについてはあまり自信がもてない。そこが怖いところではある。
南浦和で笑う三波さん 10点(2004-02-21 00:35:11)(良:3票)
201.便宜上満点をつけたけど、本音を言えば、何点つけても足りないです。人類の財産みたいな映画。またこの世に戦争と言うものがあるかぎり「古く」なることを許されない映画でもあります。多くの方がいみじくも指摘されてるように、ドイツとまだ交戦状態になかったアメリカ、ナチスが猛威を振るっていたこの時代に、この映画を創られることは、アメリカにとっても困ることだった。ヒットラーは、チャップリンがこれを製作中との報を聞き激怒したといいます。何よりすごいのは、まるで神の目のようなチャップリンの視点です。ヒットラーをただ糾弾するのではなく、自分の中にある、そして人間の中にある「世界を征服したい。独裁したい」という欲望、その象徴として独裁者というものを完璧に描いているところ。歴史の結果の悪人としてのヒットラーを描いていない。引き合いに出すのも大人気ないけど、シンドラーのリストのような、テーマパークもどきのナチスの悪の単なる解説とは、天と地の差がある。また、細かい部分でのチャップリンの計算も驚嘆すべきものがあり、例えばヒンケルが執務室で、大きな地球儀の風船を、「世界は我が物」と陶然と悪魔的なバレーを一人踊るところ。地球をお尻で突き上げる皮肉もすごいが、突き上げられた地球儀が、トメニア軍のマークに重なるところ。トメニア軍のマークは×がふたつ。これはダブルクロスといい、アメリカのスラングで「ペテン師、裏切り者」の意味らしい。今はなき、淀川さんが山田洋次監督との対談で「チャップリンは、ヒューマンな人だから、すごい厳しい怖い面もある。本当に悪い奴の苛め方はすごいからね」と言われたのが実感できる。とにかくこの映画でのチャップリンの独裁者をいじめる情け容赦の無さは徹底的です。いま言ったようなことを、大爆笑の中で完璧に描いているのは、もっとすごい。現実に対する緊張感の高さもあるのでしょうが、特に冒頭の十数分のマシンガンのようなギャグの速射はどうだろう!ラストの演説の素晴らしさは言うまでも無い。中学1年の時、超満員の劇場で本作品を見たけど、ラストでその場にいた誰もが拍手したのは、後にも先にもこの映画だけ。映画館で、あんな感動的で割れるような拍手を聞いたのもこのときだけ。あれは忘れられない。
ひろみつさん 10点(2003-05-24 20:37:48)(良:3票)
200.《ネタバレ》 ~The Great Dictator~偉大な独裁者。
冒頭の第一次世界大戦が結構リアル。あの威圧感ある長距離砲はセットだろうか?良く出来てるなぁ。
ヒンケル総統の、インチキ・ドイツ語によるスピーチが、いかにもそれっぽくて可笑しい。ヴィーナスや考える人の小ネタも笑える。
秘書の打つタイプライター・ネタ、コイン・ケーキ・ネタがシンプルだけどツボった。
独裁者なのに隣国の独裁者にはちょっと気を使ってるところとか、ヒンケルを憎み切れないキャラとして描いている。
だけど床屋の男とヒンケルがそっくりなことに、誰も触れないのが不思議。どう解釈すればよいんだろう?
突撃隊員によるユダヤ人への扱いは過激な暴力レベル。制作当時、ホロコースト大量虐殺の事実は世界に伝えられていなかったためらしい。
当時のドイツの社会的立場と勢いを考えると、今に例えると中国くらい強力だったんじゃないかな。
中国が香港や台湾、チベット自治区や新疆ウイグル自治区への過激な暴力を、習近平そっくりの主人公を出して、ユーモアを入れながらも真っ正面から批判できる有名人が、いま何人いるだろう?
サイレント映画の王が雄弁に語る。ヒンケルでも床屋の男でもなく、コメディ映画としてのストーリーなんかそっちのけで、チャールズ・チャップリン個人が、コメディを見て笑いに来た観客にぶつける演説のパワー。
結果的にヨーロッパ戦線は第二次世界大戦になり、約7500万人の戦死者・犠牲者とともに、600万人のユダヤ人が一方的に殺された。世界が笑いごとでは済まない事態に向かっているまさにその時に、チャップリンの情熱によりこの映画が作られた事実が凄い。
K&Kさん [CS・衛星(字幕)] 8点(2021-07-07 23:13:43)(良:2票)
199.《ネタバレ》 本作の笑いは、スラップスティックな面を多分に含みながらも、大多数は本質的に「風刺」であり、抱腹絶倒と言えるとまではいかないのが正直な所である(ヒトラーのモノマネなどはかなり笑えるが、何回も登場するたびに爆笑できるとまではいくまい)。むしろ本筋は結構シリアスな物語であり、その意味でもコメディとして観ると少し違和感を感じるといって過言ではないと思う。

本作の真の価値は、映画でヒトラーに立ち向かったチャップリンの映画人としての「心意気」にある。同じことを成し遂げた人間は、現代に至るまで皆無なのだから。
Yuki2Invyさん [DVD(字幕)] 9点(2020-01-19 15:43:02)(良:2票)
198.《ネタバレ》 妻投稿■■「独裁者」・・・・なんと便利な言葉なんだろう。この映画には「独裁者を倒そう」とか「独裁者に対する怒り」とか「独裁者の愚かさ」というものがやたらと強調されている。これらは一見すればヒューマニズムに見えるけど、ようは独裁者って「独りで決めている人」という意味だから、私に言わせれば「全部あいつが悪い」と言っているようなものだ。■■その証拠に映画の中のヒンケルは確かに馬鹿な政治家だ。でもそれ、よーーーく見て欲しいんだけど「馬鹿な政治家」なのであって、決して「独裁者だから馬鹿」なのではない。見栄っ張りとか信用できないとか戦争とか、民主主義の政治家だってそんなのはいくらでもいる。なのにこの映画はさも「独裁者だから馬鹿なんですよ」というような展開を見せる。これ、「逃げている」よね。この映画が公開されたときの世界中の感動は、この逃げ道で枢軸国だろうと連合国だろうときっと等しく全人類が持っていたと思う「責任」から解放された感動だったんじゃないだろうかと、私は嫌な妄想をしてしまいました。■■そういえば谷川俊太郎は「未来はひとりが大勢を殺すこと」と定義していたけれど、本当のヒューマニズムって、時に人間そのものを否定する残虐なものなんだと思う。でもホロコーストや独裁国家に突っ走ったことによる惨禍を考えれば、私はあの時代こそ「一度人間性を否定する」作業が必要だったのだと思う。しかしこの映画は人間そのものを逆に肯定してしまっている。あの時代一度人間性を否定しなかったからこそ、現代でも差別や暴力、オウム事件みたいな事が起こったのではないかと、私は勝手に思い込んでいる。少なくとも私はこの映画を「ヒューマニズムの映画」としては評価しない。
はち-ご=さん [地上波(字幕)] 0点(2008-02-04 02:44:57)(良:2票)
197.◆僕は、大学で法学を勉強しています。憲法の時間はいつもたいくつです。なぜなら授業の内容が、「憲法の理念」や「文言の解釈の仕方」、といった堅苦しい事ばかりを、先生が淡々としゃべり続けるだけだからです。
◆そんなことから、いつのまにか「憲法を学ぶこと」=「理論と判例を暗記すること」という方程式が、僕の中で出来上がっていました。テスト一週間前、僕はひたすら判例と理論を暗記し、なんとか「S」の評価を取りました。
◆それから半年あまり、あんなに苦労して覚えた憲法の内容は、頭からほとんど抜けてしまっていました。いったい、僕が学習したことのなにが「S」なのでしょうか?僕に憲法の何が身についているというのでしょうか?
◆そんなことを考えているとき、僕は彼に出会いました。彼の前では僕の「S」評価は単なるお飾りに過ぎませんでした。彼は映画のなかで、憲法が最も大事にしている理念の一つ、「表現の自由」を、まるで手足のように使いこなしていました。
◆将来僕は教師になりたいと思っています。憲法の時間がきたら、僕は黙って教室を暗くし、一本の白黒映画を子供たちに見せようと思っています。
もりたろうさん [ビデオ(字幕)] 8点(2005-10-30 23:00:14)(良:1票)(笑:1票)
196.映画は時として映画の枠組みを超え、誰かしらの人生に大きな影響を与える。この映画が自分の人生に大きな影響を与えたように。
永遠さん 10点(2004-04-04 07:37:55)(良:2票)
195.《ネタバレ》 この映画を初めて観た時は、とても辛かったのを覚えています。体調ではなく、故淀川長治先生の本の中で「チャップリンが命をかけた映画」という内容のものがあって、観るべきか、果して観たとしても冷静でいられるものだろうかと。非常に悩み苦しんだ思い出が「辛い」ものとして残っているんですね。しかし、再見すると、中学生に観た頃とは違って、誤解を承知で言うなら清々しいものが自分に残ったのです。あのパントマイムで人を笑わせ、泣かせ、感動を与えてきたチャップリンがどうしても伝えなければならないことを、ラストの演説でしゃべります。これでもかというくらいにしゃべります。あのチャップリンが。初見の時はこのシーンが長く、重く、戦争批判の最たるものとしか映らなくて辛かったのです。しかし今では、いや、チャップリンは希望を持っている。このメッセージを託すべき人間になんら失望もしていないし、人をあきらめたわけじゃない。人を信じているからこそ、伝えようとしているんだ、と理解できて。うれしかったです。戦争はいけないことだ、と台詞に込めるのではなく、人が人として生きていける世界をつくろうみたいな、そんな素敵なメッセージに聞こえてくるのです。やはり偉大な人です。
映画小僧さん 10点(2004-03-25 17:47:01)(良:2票)
194.名作です。やはり感動しますが、それと同時に悲しさも感じます。それは、映画というメディアの限界と無力を感じるからです。こんなにすばらしい作品を作ったのに、結局ナチスの悲劇は防げませんでした。今、我々があの時代にこんな作品を作れたことを評価しても、現実の歴史はチャップリンが恐れた結果になってしまったのです。映画は同時に多くの人に訴えることができる影響力のあるメディアだと思っていますが、こと戦争に関しては、あまりに無力のような気がします。映画が誕生して以来、多くの名作と言われる「反戦映画」が作られていますが、戦争は相変わらず続いています。見る人の心に訴え、感動を与えるだけで、政治を動かすまでには至っていないのでしょうか。
パセリセージさん 9点(2004-01-18 22:58:14)(良:2票)
193. チャップリンがそんじょそこらのコメディ役者ではなかったことが素人目にもハッキリ分かる映画史上空前の傑作。実際に記録映画でアドルフ・ヒトラーの演説を見たことがある者なら、ヒンケルのドイツ語風パロディ演説は爆笑モノだと理解できるハズ。床屋のチャーリーが、ラジオから流れるブラームスの「ハンガリー舞曲・第五楽章」に乗って客のヒゲを剃る至芸のパントマイムも絶妙で唸らされる。ナチスドイツ絶頂期に堂々と人類愛を声高に訴えたチャップリンの勇気を安っぽい戦後(しかも相当経過した後)の反戦テーマの映画とゴチャ混ぜにして語らないで貰いたい!一歩間違えば命取りになりかねない危険な賭けに彼は確かに勝った。しかし、その代償としてアメリカを追われたのである!スイスに亡命した彼は世を拗ねた老人となり、以後二度とドタ靴に山高帽のチャップリン・スタイルを銀幕で見ることは出来なかった…。娘(ジェラルディン)、息子(シドニー)とも俳優になったが、喜劇俳優としても監督としても、その才能は全く受け継がれなかった。矢張り天才はそうそうお目にかかれないから天才なのだろう。
へちょちょさん 10点(2003-01-01 14:46:31)(良:2票)
192.ナチスが正しいとは思わないが、かといってアメリカが正しいわけでもない。チャップリンはこのことをその後思い知るわけだが。最後の演説では知性や知識を批判しており、「反知性主義」的な印象も受ける。そういった民主主義がどうなるのかは、トランプ登場で具現化されている。そもそもヒトラーを生んだのは民主主義であって、そこに知性や知識はあったのか?情緒的な感情に基づく大衆民主主義こそ知性や知識によって常に懐疑し、ポピュリズム的モンスターが登場しないように監視すべき対象であると思うが。安易な民主主義礼賛は警戒すべきである。実は最後の演説までもがコントであり、民主主義の愚かさや危険性を皮肉的に表現しているのならば、素晴らしい作品ではある。
東京50km圏道路地図さん [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-05-28 11:49:47)(良:1票)
191.あんなにもトーキーに抵抗しパントマイム芸の優位を説いていたチャップリンが、ただ顔のアップだけでしゃべり続けること。そのことの衝撃も、広い意味での「芸」であろう。おどおどしたものが勇気を出す、という、キートンやロイドとも共通したアメリカ理想の型を使って、演説に持っていった。なにより感心するのは、このときアメリカはまだドイツと戦争していないのだ。そしてドイツは一番威勢のいいときなのだ。もしこのままドイツがヨーロッパを圧伏したら、アメリカはドイツと外交交渉によってその後の世界を探っていく可能性もあった。そのときこんな映画を作っていた作家は、困難な立場に追い込まれたことだろう。それでも発言した勇気、これは開戦後に「安心」して量産された反ナチ映画と一緒にしてはならない。この勇気の前には、作品としてどうこう言うのもはばかられ、とにかく映画史が持った偉大なフィルムであることは間違いない。ただ映画芸術史の流れで捉えると、なんか、音楽史におけるベートーヴェンの「第九」に相当するんじゃないかと思うことがある。純粋な律動を楽しむ芸術であった西洋の器楽曲、しかし第九のラストに演説のように登場する合唱で、不純な言葉=意味が入り込んできた。そしてバロック・古典派という、天上の世界を写し取って頂点に達していた音楽史は、ロマン派という作曲家個人の心の内面を歌う地上の世界に下降してくる。映画史も、このラストの演説を切り替えどきにしたように、天上のパントマイム芸から地上のセリフ芝居へと移ろっていく。もちろんそれでいいのだ、歴史とはそういう変化を受け入れ展開していくものなのだから、それでいいのだけれど、あの無垢な無声の時代がやたら懐かしくなるときも当然あるわけで。
なんのかんのさん [映画館(字幕)] 8点(2010-12-16 10:03:43)(良:1票)
190.《ネタバレ》 チャップリンはヒトラーと同年同月生まれで(4日しか誕生日が違わない)身長までほぼ同じだったという。本人に扮するというアイディアはそこから出てきたのかどうか知らないが、床屋との一人二役というアイディアは秀逸である。さすがにチャップリンだから笑わせる場面が多くて、いきなり敵陣に一人で侵入してしまう場面、飛行機で水を飲むシーン、デタラメなドイツ語の演説(笑)、ハンガリー舞曲第五番などなど思い返すだけでも笑える。かなり肥満した部下やこれまたお調子もののムッソリーニ(ナパローニ)と合わせてコントばかりなのだが、冷酷な部下(ゲッベルスがモデルだろう)の存在がうまく引き締めている。
が、もちろん本作は単なるコメディではなく、いささかその後の展開を考えると物語的には破綻していると思われる最後の演説が核心となる。どうしてもチャップリンはああいいたかったのだ。全世界に向かって。そして母に向かって(ハンナはチャップリンの母の名前である)。そのメッセージは極めて率直でわかりやすいので、それをどう受け取るかは、あえて論評する必要はないだろう。……ただ、チャップリン亡き後数十年経過した2010年現在いまだ世界は悲惨である。インドや中国など内面に大きな問題を抱えた国が勃興しているのはよいことでは全くない。なぜならどこかで決着をつけねばならず、その決着には流血も予想されるからだ。またルワンダ虐殺をみてもいかに我々が白人中心の人種差別から逃れられないかがよくわかる。安っぽいヒューマニズムで満足することは、もはや我々には不可能なのだ。誤解のないように書いておくと、私はチャップリンが安っぽいと言っているのではない。それを我々が安っぽく解釈してはならぬと言いたいのだ。なおチャップリンは「もしナチスの実態を知っていれば、こんな作品は作らなかった」と言っているそうだが、それを差し引いてもこれをつくった勇気はやはり称賛に値すると思う。この作品以降、チャップリンはアメリカ追放までアメリカの一部の勢力ににらまれ続けることになる。追加:上記投稿からなんと12年が経過した(ここも長寿ですねほんと)。そして「2022年現在いまだ世界は悲惨である」と付け加えなければならない。露宇戦争(勝手に命名した)は戦火の止む気配がなく原発までもが攻撃の対象となる危険も出てきた。世界は二分され、10年前に「問題を抱えた国」と指摘したインドや中国はロシア側につき、このまま第三次世界大戦に突入するという意見すらある。国内もコロナで疲弊し、ロシア制裁からくる影響を受けじり貧となっている最中に元総理が凶弾に倒れ、その後で政治とカルトとのありえない関係が明るみとなり、移民が増え格差が広がり凶悪犯罪が増えつつある。日本は、世界は本当にどうなるのだろうか(2022年9月10日)。
空耳さん [DVD(字幕)] 9点(2010-07-15 08:00:03)(良:1票)
189.チャップリン演じる主人公の散髪屋。戦争で記憶喪失になり入院していた彼は、まだ入院して数週間しか経ってないと思っている。その彼がある日、「例のチャップリンスタイルで」、自宅に帰る。彼が「そのチャップリンスタイルの服を脱ぎ」、ふと自宅の理容店を見回すと、数週間しかたっていないはずなのに「いつのまにか」、理容店はホコリまみれ、クモの巣まみれ。それでも彼は営業を開始する・・・。これって、何か、この映画自体と重なるものを感じます。もはや時代遅れとなったサイレント喜劇。『モダン・タイムス』では、トーキーでありながら意味のあることは全く喋らないという荒業を用いたが、そんな手が何度も通用したりはしない。しかし、当時の暗雲漂う社会情勢に、黙っていられなくなったチャップリン、河島英五のごとき、“良き時代遅れ”の彼が、敢えてトーキー作品を引っさげ、映画界に復活する・・・。その姿をふと思い起こさせます。その本作、やはりサイレント映画風のパントマイム喜劇と、その一方で「しゃべっていいんなら、しゃべりまくってやるぜ!」とばかりの熱いメッセージ、両者が同居し融合した印象的な作品となりました。残念ながら、正直言って“笑い”に関してはイマイチとなってしまったのは、セリフを持ったトーキー映画の分別クサさが、邪魔をしているのかもしれません。しかしサイレントで鍛えられた「見せる」ことへのコダワリは、確かなもの。やや被写体を追いかけ過ぎるカメラ(笑)。その一方で、例えば、主人公の店舗が焼き討ちにあうシーンでは、彼の顔を写さず後姿で絶望を表しているのが印象的でした。・・・・・・で、ではこの映画のメッセージをどう受け止めたらよいのでしょうか。確かにこの時代にこの映画を作るのは一つの「勇気」ではあるかも知れませんが・・・あまりに単刀直入に過ぎないか?という気も。ヒトラーをパロディにする、というのは、あまりに作品の意図が形式化され過ぎているのではないか。最後の演説は『モダン・タイムス』で訴えていたテーマにも相通ずるものが反映されていたにも関わらず、作品全体の印象は所詮、「ナチスドイツ反対!」という一過性のものになってしまった気がします。しかも、だからと言って例えば、この映画を当時のドイツの人々が観たとして、「ああ、戦争は良くない、止めよう」と思うでしょうか? 普遍性という深みに達しきれない憾みが残ります。
鱗歌さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2007-09-22 23:25:02)(良:1票)
188.《ネタバレ》 与えられた才能と使命によってチャップリンがとんでもないモンに喧嘩を売った偉大なる勇気の足跡。いまだに虐められる側の問題など提議するクソみたいな思考が残っている現代。たかだか社会や職場やクラスで起こっているイジメを傍観している金魚の糞に送る痛切なメッセージ。演説のラストはハンナに向けられた。せめて、せめて自分が関わっている小さな世界なら少しの勇気で変えられるんだ。傍観者なんて加害者となんら変わらない、まったく同じようなもんだ。自分だって僕だって同じだ。くそー!フライパンくらい振り回せるだろ!?
よし坊さん [DVD(字幕)] 10点(2007-02-24 21:36:29)(良:1票)
187.《ネタバレ》 カラー、トーキー映画が当たり前の時代になっても白黒のサイレント映画を撮り続けたチャップリン。多分それは自分の魅力を最大限に生かせる表現方法上、当然だった。しかしそのポリシーを棄てた時=それがこの映画。(モダン・タイムスなどから片鱗はあったが)この映画によって「役者チャップリンの輝き」を自らの手で終わりにしてしまったともいえる。でも彼にはそこまでしてまで訴えたいことがあった。それが最大の魅力。(個人的には映画的表現の凄み、という意味で最後の演説よりも地球儀を取る。)
Nbu2さん [映画館(字幕)] 8点(2006-09-22 00:01:08)(良:1票)
186.世紀の六分間。いや、世紀を超えた六分間。
Jumpさん [DVD(字幕)] 10点(2005-12-28 19:46:06)(良:1票)
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【点数情報】

Review人数 205人
平均点数 8.20点
010.49%
120.98%
210.49%
320.98%
441.95%
583.90%
6157.32%
72612.68%
84019.51%
93818.54%
106833.17%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 8.57点 Review14人
2 ストーリー評価 8.15点 Review19人
3 鑑賞後の後味 8.77点 Review22人
4 音楽評価 7.69点 Review13人
5 感泣評価 8.10点 Review10人
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【アカデミー賞 情報】

1940年 13回
作品賞 候補(ノミネート) 
主演男優賞チャールズ・チャップリン候補(ノミネート) 
助演男優賞ジャック・オーキー候補(ノミネート) 
脚本賞チャールズ・チャップリン候補(ノミネート) 
作曲賞(ドラマ)メレディス・ウィルソン候補(ノミネート) 

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