2.Janisが衝撃のデビューを果たし、The Whoが過激なパフォーマンスでアメリカを驚かせ、Jimi Hendrixがその超ド級のギターワークで時代を切り裂き、Otis Reddingが「音楽は感動そのものだ」ということを世に知らしめた。
それがSummer of Love'67の奇跡、Monterey POP Festivalである。人々はこの史上初のロックの祭典により、ロック・ミュージックが一種の衝撃であるとともに、一体感というある種の幸福感を共有できる麻薬的な幻想であること知ったのである。そのキャッチフレーズは"Love"である。
その幻想も2年後のWoodstockで賞味期限を迎え、1969年最後の月(僕の生まれた月だ)のオルタモントで完全に終わる。MontereyでMCをつとめたブライアン・ジョーンズはWoodstockの直前に死んでいる。ロックは商業ベースとして、別のステージに移行していく。
ロックにとって、奇跡的に幸福な時代。それがSummer of Love'67であり、Montereyだったのである。
今、僕らはMonterey POP Festivalの映像記録をDVDで観ることができる。以前は切れ切れにしか観ることが出来なかったシーンも今ではより多くの連続した演奏として追うことができる。
演奏そのものについては、挙げたらキリがないほどに充実しており、演奏シーンを集めたライブ映像としても卓越した作品と言えるだろう。
しかし、この映像記録は、音楽そのもの充実感以外にも僕らにある感慨をもたらす。確かに音楽そのものであれば、出演者達のオリジナル・アルバムやライブ盤を聴けばいい。この映画は確実に時代の空気、その幸福感を映していると言えないか。Montereyの映像がもたらす空気の色は明らかにWoodstockと違うのだ。それがSummer of Love ‘67、過ぎ去った一時の高揚感、その始まり。それは単なるノスタルジーとは違う、幻想という可能性、その幸福感を僕らに垣間見せる。過去にそこにあったはずのものが確かにある、ということが、その無に対して「有り得る」という豊穣を浮かび上がらせる、そういう幻想を僕らに呼び起こさせるのだ。
人間は幻想によって生きている。それは僕らを生かし、そして殺す。それもまた幻想。その全ては「心々」であり、また、それが僕らの心を震わす源泉なのである。
Summer of Love'67、Montereyという奇跡。この映像は確かに僕らに何かを語りかける。その何かを考えさせる。そういう映画としての力を僕は感じるのである。