112. いやー…エクソシストを観終わった…。
しかし、もう何度くらい観ただろう?
幼少の頃……震えながら観てた時期から数えても、もう相当な回数だ。
それなのに、未だ新鮮な恐怖を得てるってのは、やっぱりこの映画が「本物」だからなんだろうと思う。
映画の中でメリン神父が言う。
「(彼女の)中に居る悪魔は多数を装っても一人だ。
決して悪魔に騙されてはならない。
会話をするな、必要以上の言葉を交わすな。
奴らは嘘に真実を織り交ぜて、我々を混乱させる。」
多数を装いつつも、実は悪魔は単独……なるほど。
嘘に真実を入れる…まさに詐欺やペテン師の極意だなぁと納得。
そして、この映画は「神秘主義」でありながらも「科学的」な側面を見せる。
ある意味この映画自体が「エクソシストに出てくる悪魔的」とも言える。
混乱させる、惑わせる「本物」であるがゆえに、両極端の視点を決して捨てないのだろう。
作品に、デミアン・カラス神父が居る。
年老いた母親を想い「何とかしてあげたい」との葛藤がある。
そして、精神も疲弊してるせいか信仰にも疑問を持ちだした。
いつも疲れた表情を見せているカラス神父。
そのデミアン・カラスが、ただただ切なく、そして悲しいのは…きっと俺の年齢が彼に近くなったのもあるのかもしれない。
母親の件も…職に対する信仰の件も…うん。
この年齢になって考えてない奴は、きっと居ないだろうから…彼の疲弊が痛いほどに伝わってくる。
そして冒頭から出てくる「シルバーのメダル」がある。
これは、カラス神父も付けていたんだが、紋章はイエスを抱くヨセフの姿だった。
たぶん、これは「父性」を表現してるのかな、と思えた。
悪魔に憑依されたリーガンも、カラス神父も母子家庭というのは同じだから、そこに「作品の根底となるテーマ」が隠れている気がしてならない。
いやー、やっぱりすごい。
年齢を重ねると、作品から受け取れる精神情緒も、日々の生活で得てた情報から新発見がある。
50代で新発見できるってのは、本当に凄い作品だなぁーと思う。
なんにせよ、この作品が如何に凄い「本物」なのか?…その監督に焦点を絞ろう。
そう、本物の中の本物…「ウィリアム・フリードキン」監督。
この「本物」の意味は、本当に「何かに、このオッサン憑依されてたんじゃないか?」って意味。
あの制作時って、現在と国交もまったく違ってたし、倫理概念やコンプラもまったく違ってて「制作したい」と思っても出来る状況、許される状況じゃなかったのに、それを押し通した精神性、執念は、計り知れないほどのクレイジーさ。
例えば、ざっと…
常に少女の部屋の室温を息が白くなるように、と氷点下にするとか、当時はアメリカと国交が無かったイラクで撮影するとか。
俳優に内緒でピアノ線で引きずり倒し大怪我をさせるとか…休憩中の俳優(カラス神父)の傍で実弾を発砲して驚く表情を捉える(撮影後フリードキンは爆笑してたらしいw)とか、更にはラストで…スタッフに隠し撮りをさせた上で、本物の神父に「ちゃんと演技せぇや!」とビンタを食らわせ、動揺して落ち込む姿を捉え苦悶のシーンにするとか、まさに鬼畜のごとき所業。
アンタ、カーちゃんに怒られるで!と言いたいw
けどけどけど、これだけ凄い監督でも、ずーっと着いて来てるスタッフは居ないらしい。
そりゃそーだw
けど、俺は想うのだ。
確実に「映画を創る世界に狂人はいる」と。
そう、フリードキンにこそ悪魔が憑依していたのではないか?と。
ンなわきゃねーか……多分w