155.《ネタバレ》 高揚感を覚えながら、この映画を観終えて、二つの「悔恨」を感じずにはいられなかった。
一つは、これほど映画的なエンターテイメント性に溢れた秀作を今の今まで鑑賞できていなかったこと。
そしてもう一つは、今作を描き出したトニー・スコットという映画監督の新作をもう観ることが出来ないということだ。
タイトルが指し示すもの以上に、ストーリーそのものは荒唐無稽であり得ない。下手をすれば相当に陳腐な映画に成り下がっていてもおかしくはないだろう。
でもこの映画は、与えられたすべての要素を最大限まで高め、上質で忘れ難い娯楽映画に仕上がっている。
これぞ長年に渡りハリウッドのエンターテイメントを牽引してきたトニー・スコットの真骨頂だと思えた。
悲劇的な爆破事件において、主人公は一人の女性の亡骸と“出逢う”。
その瞬間、妙な既視感と共に確実に生まれた恋心。この映画のすべては、この時の主人公の感情に端を発する。
即ちこれは紛れもない“ラブ・ストーリー”であり、まだ見ぬ自分が愛した人を、道理も常識もぶっ飛ばして「死」という事実から救い出そうとする破天荒なエンターテイメントだ。
無理もあるし、矛盾もあろう。けれど、そんなことはどうでも良いと心から思わせる映画としての「面白味」に溢れている。
「死体」としての姿がファーストカットとなるヒロインが、主人公に恋心を抱かせたシーンに、観客が「納得」した時点でこの映画の成功は約束されたとも言える。
そういう意味では、殆ど無名のポーラ・パットンという女優を抜擢し、彼女の魅力を引き出したことも、監督のファインプレーだったと思う。
そして、全編通して心理も言動もフル回転を余儀なくされる主人公をデンゼル・ワシントンがドスンと安定感たっぷりに演じている。これも中途半端な俳優が演じていたら、ただただ落ち着きの無いキャラクターになっていたことだろう。
レンタルショップにて、それこそデジャヴを感じる程に何度も何度もこの映画のパッケージを手に取っては、結局棚に戻し続けていた記憶が思い起こされる。
その時の自分に「さっさと観ろ!」とメモでも送ってやりたい。
最後に、愛すべき娯楽映画を生み出し続けたトニー・スコット監督の冥福を祈る。