13.《ネタバレ》 ウィリアム・フリードキンの映画で唯一面白いと思えたのが、皮肉にも世間での評価が低いクルーゾー版「恐怖の報酬」だったとは。
いや、この作品こそ俺が求めていたウィリアム・フリードキンの映画だったのだろう。
それに、俺はクルーゾー版の「恐怖の報酬」におけるラストに大きな不満があった。
最初から最後まで退屈する暇も無いくらい最高の映画だったのに、あの幕引きだけは納得いかなかった。
あとどうでもいいんだけどさ、クルーゾー版のピチピチタンクトップにマフラーだけの格好が好きじゃない。熱いのは解るが、上半身まっぱの方が涼しいよな?中途半端に肌にくっついてて気持ち悪くないの?何て事を思ってしまった。
モチロン「悪魔のような女」は文句なしの大傑作です。
登場人物の掘り下げはクルーゾー版は人間ドラマしての面白さがあったし、フリードキン版はドキュメンタリー風の味わい。
他のフリードキン作品は、そのリアルタッチが真面目すぎてちょっと退屈に感じてしまった。けど、今回はダルむ事無く終始退屈する事が出来なかったんだ。
淡々とポンコツのトラックをチェーンナップする描写。爆弾を運ぶトラックは、下手をすれば運び屋の棺桶となる。その棺桶になるかも知れないトラックを黙々と整備していく様子に痺れる。
命にかえてもやり遂げなきゃならない事がある。金のため、夢のために。
そこにはジャン=ピエール・メルヴィル作品のようなプロフェッショナル集団しかいない。
嵐の中の渡橋シーンのスリル。橋が崩れ落ちるか落ちないか、渡り切れるのか渡りきれないのか。嵐のように吹きすさぶ風と猛烈な雨が、彼らの集中力や体力も奪っていく。、
クルーゾーは徹底的に渇いた砂、風、重油のねっとりした緊張。
フリードキンは湿り気というか、肥沃なジャングルや雨風、流れる血、濡れた刃が心臓を刺すような怖さ。正にクルーゾー版とは水と油。
例えば、中盤の渇いたニトログリセリンから流れる湿った部分。濡れた部分が「パンッ」と爆発する瞬間。クルーゾー版では固形とか液体といった部分にまで立ち入らなかった。
徹底的に渇ききった環境で液状なのは容器に入れられたニトログリセリンであり、重油であり、それに恐怖して流される汗だけ。それがクルーゾーの映画。
一方、クルーゾー版は散々濡れまくった後に渇いた大地を駆け抜ける。
最後の最後、クルーゾー版とは違う結末に俺は惹かれる。
未だに追われる不安と行く宛も定まらない者。受け取った“手紙”がその者の行き先を決める。そして現れる“追う者”たち。
主人公の運命は・・・暗示される未来は生か死か。そんな感じのラストが気に入っている。