5.こりゃヒドい。誰だよ「ニコラスケイジ映画にハズレ無し」とか言うヤツは。いや待てよ、そんな事、誰か言ってたっけ?
もっともこの作品、ニコラス・ケイジは主役とは言えず、特に前半は出番も少ないんです。だからギリギリ、ニコラスケイジ映画とは呼べませぬ。
世の中の親が突然、我が子を殺し始める。そこに理由もヘッタクレも無いってのは、いいと思うんですが、元をたどればコレ、永井豪の「ススムちゃん大ショック」ですよねえ。原作使用料として永井豪が何がしかを要求できるとまでは思わないけれど、でも、このネタでこの映画の出来。いや、怒ってもいいと思う。永井先生、叱ってやってください。
だいたい、見るからに親が子供を殺す気満々なのが、面白くない。何せ、親が我が子を殺そうとするんですよ。そんな恐ろしいことが本当にあり得るのか?何かの間違いじゃないか?せめて自分の親だけは・・・みたいなタメこそが、物語のキモになると思うんですが、まーそういう要素の乏しいこと乏しいこと。だって親がニコラス・ケイジなんだもん。暴走するに決まってる。
まずこの時点で、あまりコワくない映画になってしまっているのですが、後半の攻防戦も、グダグダで盛り上がらない。だってニコラス・ケイジなんだから、しょうがないよね。
予兆?みたいなものとして、映像の途切れた画面上の「砂嵐」が提示される。このデジタル時代にアナログ画面? 『ポルターガイスト』の見過ぎじゃないでしょうか。ってのはいいとしても、発想としては陳腐なイメージで、これと言って意外性がありません。
親子関係があればそこに殺意あり、という変なルール付けがこれまたつまらない。理屈先行でサスペンスも何もあったもんじゃありません。それともこれは、ギャグのつもりなんでしょうか。ギャグとしても面白くないけど。
劇伴として思わせぶりに、場違いなドビュッシーの「海」を挿入するのも、違和感しかない。「わざと狙った違和感にしちゃ、イマイチ違和感が足りないんだよ!」という違和感。
ぬる過ぎ。