1.《ネタバレ》 15世紀に朝鮮国の世宗王が自国語の固有文字を作った話である。冒頭のテロップでフィクションと明示されるので、具体的に誰が何をしたかのレベルで史実と思わない方がいい。
まともに習ったことはないので細かいことはわからないが、劇中の文字製作過程はなかなか興味深い。ゼロから国王が考えたわけでもなく、表音文字の先行例である梵字や大陸諸民族の文字を参考にしたというのは現実味がある。最初に言語自体の音素がどれだけあるかを整理して、次いでそれぞれに当てる字母を考えていたが、点と直線でシンプルに作ることにしたのが記号的な外見の理由になっている。
先に子音が決まった状態では、若い僧とツンデレ宮女のメッセージ交換も子音だけのようだったが、その後に母音をどうするか一生懸命考えて、できた母音と子音を並べて書いた場面ではアルファベットと同じ音素文字の状態らしかった。そこからさらに視認性を高めるため「合字」して現在のような音節文字になり、最終的に「ㅇ」に新たな役割を与えて画竜点睛的な印象を出していた。本当にこういう順序だったかはともかくとして、音の種類で系統立てて作るといったポイントも押さえていたように見える。ただ使用方法として漢字との関係をどう考えたかは説明がなかった。
この文字が公的に使われるようになったのは19世紀末頃とのことだが、その頃すでに一般民衆の間では使われていたとのことで、劇中王が「諺文」という名前に込めた願いはかなえられたことになる。なお字幕で王都の名前が「漢陽」と書かれていたが、現名の서울(ソウル、漢字なし)を発音のまま書けるのも世宗王のおかげということだ。
ところでこの映画では文字製作が仏僧の功績だったことにして、儒教に対する仏教の存在を大きく扱ったように見える。しかしだからといって仏教が全面的に正しいわけでもなく、少なくとも他人様の門前で迷惑なデモンストレーションをして金品をせびるタイプの托鉢は否定的に扱われていたらしい。劇中僧侶が「物乞い」を蔑んでいたのも、自分らがそのように扱われていたことへの強烈な反感があったからと思われる。
しかしその「物乞い」の役をわざわざ外国人にやらせる必然性があったのかは疑問である。特に歴史を扱う場合など、まずは隣の島国を貶めてみせなければ済まない特殊事情でもあるということか。ちなみに映画本来のテーマである文字に関していえば、わが国の仮名文字は劇中文字ほど理屈っぽく作られてはいないが、開音節の言語としては十分に実用的かつ美的な表音文字として9世紀頃にはできていた。
ほか「先代王の約束を守れぬとあらば文明国の名折れ」という台詞は全くその通りで笑った。これは反論できないはずだと思ったら結局適当にごまかされて終わっていたが、筋を通して言うべきことは言う、という態度はこの映画に学ばなければならない。