378.《ネタバレ》 イーストウッドが素晴らしいのは、この映画に描かれた人生のすべてを、感情のすべてを、肯定していること。「復讐」を賛美しているわけでも、「教育」の重要性を啓蒙しているわけでもなく、ただ、そこにある人生を受け止めること。 継娘を殺された女性は、夫が間違って友人を殺してしまったことに善悪の判断を求めず、ただこれからの家族の幸せを願う。「あなたはこの街の支配者だ」と。そしてその夫は、心の底で罪の意識を感じながらも、多分、彼女の言葉通りに幸せに暮らしていくに違いない。あるいは、自分の夫を殺された女性は、その犯人だと知りながら金を貰い、息子の幸福だけを願って、同じ小さな街で生き続けていくのだろう。 イーストウッドが提示した幾多の人生は、まさに圧倒的だ。色を抑えたコントラストの強い画面の中で、役者たちは完璧にイーストウッドによって統御される。その人物の動かし方(カフェテリアでショーン・ペンを尋問する際のローレンス・フィッシュバーン)、どこを切り取っても完璧な構図(ティム・ロビンズとマーシャ・ゲイ・ハーデンの階段の上下での切り返し)、カッティングの冴え(死体を発見したケビン・ベーコンのアップから階段を上がるショーン・ペンのロングへのつなぎ)、そして、酒屋の親父(イーライ・ウォーラックだ!)から人生を放棄したかのような母親まで、すべての人物の圧倒的な存在感。 そしてパレードが行われる。ある男の人生を狂わせた場所と、ここは同じ通りなのだろうか。華やかなパレードの中で、父を失った息子は、父親と同じように背を丸めじっとうつむいている。母親を発見し、やっと彼は微笑みを母に向ける。悲惨と絶望の中の唯一の救い。 生きていくことは残酷で哀しく、善も悪も正義も大きな流れの中に混在している、そしてふとした偶然からその多くが変わっていく。もしかしたら変えることが出来たのかもしれない。しかし眼前の人生は必然だ。この世界はパーフェクトではない、それでも、ただ受け入れ、生きていくしかないではないか。 【まぶぜたろう】さん 10点(2004-01-18 18:37:41) (良:10票) |
377.イーストウッド作品だけに過剰な期待はしないようにと思ったが、よだれもののキャストにやっぱり期待して観た。裏切らなかった。最初から最後までたっぷりと「映画」を堪能しました。3人の微妙な関係を演じた役者も素晴らしかったが、必要以上に語らずに人間を描いたイーストウッドに脱帽です。抑えた演出から一転、緊迫感をあおる演出も冴えていた。例えば、教会と殺人現場という「幸」と「不幸」が同居したシーン。例えば、事件の全容が観客に明かされる、二人の容疑者を何度も切り替えて見せるシーン。全体を支配する「静」と新たな動きをみせる「動」のバランスが絶妙。賛否両論のラストですが、ジミ-の妻の言葉は、一度足を洗ったジミ-の復活、ジミ-ファミリー(ギャングやマフィアで使うところのファミリー)誕生を意味するものであって、サングラスをかけてパレードを見るジミ-はまさに暴力の世界に返り咲いた親分を彷彿させるもの、と感じました。つまり暴力が暴力を生むという負の連鎖を象徴するシーン。背中の十字架は「十字架を背負う」という意味だろうか?それもあるだろうが、神を信じる者の殺人という現実に、私は宗教大国アメリカにおいて、神を過信してはいけないというようなニュアンスで受けとりました。この非情な世界は神ではなく人間がつくりあげたものというある意味現実主義的な考えのもと、どう生きていくかもそれぞれが考えていかねばいけないという。前年作品『ブラッド・ワーク』でも十字架は二度(猟奇殺人現場の窓から見える光る十字架と被害者のイヤリング)出てきます。『ブラッド・ワーク』以前だと主人公が言葉で語っています(くわしくは書きませんが)。 ラストの重々しさに賛否分かれるのも解かります。でも不条理な世界を不条理だと言って終わらせる映画はたしかに納得はできるが、不条理な世界を見せるだけで終わるこの映画のほうが考えさせられるような気がしません?人間を描くと重い作品になってしまう、これも現実です。 【R&A】さん 8点(2004-09-01 14:55:43) (良:7票) |
376.事件のすべての真相が明らかになり、物語が一応の「結末」を見た後、映画はあたかもエピローグのごとき短いシーンを用意する。それは街の感謝祭の日のパレードで、そこには映画の主要人物たちが一堂に介するのだ(ただ1人を除いて…)。そして、そこでマーシャ・ゲイ・ハーデンが、パレードに参加している自分の幼い息子の名前を呼び、手を振る。声に気づいたのか、きょろきょろと見回す息子…。この映画の中で、誰もが何か取り返しようのない「間違い」を犯している。それがひとつの殺人事件を“複雑”なものにしていくのだけれど、中でも、いちばんその「間違い」によって一生を苦悩の中に生きねばならないのが、たぶんマーシャが演じるこの彼女だろう。そんな彼女が映画の最後に見せた哀れて痛ましい姿に、文字通り魂がペシャンコに潰れる想いがしたのは、きっとぼくだけじゃあるまい。物語の中心にある事件は、まさにひとつの“悲劇”だが、それ以上の“地獄”を、イ-ストウッド監督はマーシャ・ゲイ・ハーデンの役柄に描き出してみせる。一体、これまでの映画にあって、ここまで残酷で、悲痛で、過酷な「深淵」をありありと見せつけるものなどあったろうか。ベルイマンやシュトロハイムですら、ここまでの凄みと痛みを与える作品は作り得なかったとぼくは断言したい。…確かにショーン・ペンをはじめとする役者たちの演技も、25年の時を経て繰り広げられる運命的な巡り会いを緻密にドラマ化した脚本も、文句なしに素晴らしいと思う。けれどそれ以上に、このパレードのシーンを、最後に、しかもあくまでさりげなく置いてみせたクリント・イーストウッドにこそ、ぼくは畏怖する。これを、イーストウッドの作品だからとか、ミステリーだからとか“色眼鏡”でもって見ることだけはやめてほしい。これほどの映画は(いや、他のどの芸術ジャンルにおいても!)そうはない。いや、もはや唯一無二だとすら言ってもいい。当然の満点です。 【やましんの巻】さん 10点(2004-01-14 18:39:24) (良:6票) |
375.俳優としての才能と監督の才能と言うのは、当然別な分野なんだが、イーストウッドの場合はそういう議論は無意味だな。彼の監督としての力量とセンスが感じられる作品だ。特に最後のパレードの場面。この蛇足とも思える何気ないシーンに、強烈な主張が感じられる。運がいい奴不運な奴、偶然に翻弄される者。弱い者は何かにすがり、理不尽でも力のある者が生き残っていく。正義は気まぐれだ。これが人生、これが人間社会というものだ、と。見事だね。所々、未熟な点も見受けられるが、敵ながらアッパレ。恐るべし、イーストウッド。(スコセッシ談) 【パセリセージ】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-05-25 11:58:18) (良:3票)(笑:2票) |
374.《ネタバレ》 イーストウッドの低俗さには、本当にあきれ果てました。 イーストウッドの誤っている点は、まず「法律なんて関係ねえ。やられたらやり返してやる。」というダーティーハリー式の発想です。 それはすべて勘違いです。このさいだから、この映画を記念して、ぜひ、ミステイク・イーストウッドと改名してもらいたい。 さて、イーストウッドさんに質問です。警察に密告された人が、復讐のために殺人を犯すことは良いことでしょうか? 勘違いをして人を殺しても、自分の心の中で反省していれば、刑務所に入らないで良いのでしょうか? 警察官のケビンは、殺人犯が誰か分かっていながら、放置していて良いのでしょうか? イラクを懲らしめるために、彼らを戦争で殺すことは良いのでしょうか? よく考えてみて欲しい。 弱者の視点なんて、まったくありません。 この映画はすべてが自分本位です。 さらに人を殺した夫をひきとめるショーンペーンの妻の台詞に、呆然とさせられます。「私たちは強いのよ。間違いなんて認めてはいけないわ。強い私たちは、自分たちの幸せのためだったら何もしても良いのよ。」 ・・・。 もしかしてそれはブッシュ大統領の演説でもパクッたのかっつーの! まさにアメリカの大バーゲンです。 そして最後のパレードの場面は、ティムロビンスの妻の弱さと、ショーンペーンの妻の強さが映し出されました。強いショーンペーンは、殺人者と言われずに、これからも生きていく。 しかし弱いティムロビンスの妻は、夫が死んだ後も、殺人者の家族のレッテルを貼られて生きていく。そして自分の夫を殺した強者のショーンペーンから、お金を送金してもらって、ひっそりと子供と生きていくのでしょう。 人間の弱さをさらけ出したショーンペーンの妻のような惨めな思いをしたくなければ「強く生きろ!やられたらやり返せ。でも自分の罪は認めるな!」という強烈なメッセージ。 これぞアメリカ、これぞイーストウッド。 【花守湖】さん 0点(2005-03-21 02:04:06) (良:4票)(笑:1票) |
373.本作は“犯罪もの”のスタイルをとってはいるが、所謂その犯行の手口や犯人探しといった事よりも、ある殺人事件に端を発した濃密かつ緊密な人間ドラマにより焦点が充てられている。そういう意味から敢えてこの作品をジャンル分けした場合、“幼な馴染みもの”に“トラウマもの”がミックスされたものと言える。で、平たく言えば、内容的には決して珍しくもなく、かつて何処かで観た事のあるような印象をすら感じられ、ストーリーラインそのものはいたって他愛無く、それらだけを取り上げれば、とりたてて特別な作品だとは思えない。それは、如何にも安手の犯罪映画といった趣であり、しかもその描き方は極めて通俗的ですらある。で、そこからイーストウッドだからこその高い支持ということが汲み取れる。彼の作品の一つの特徴は、決して奇を衒うことなく、評論家ウケするような技巧にはしる事もなく、ましてや大向こうを唸らせるようなケレン味などとはほとんど無縁の、むしろ誰が観ても解かり易いほどのオーソドックスさこそが身上なのであり、その純朴さが多く支持される理由なのだと思う。それにしても本作でのS・ペンの小悪党の極み!(その何という凄味)そしてT・ロビンスの人生破綻者!(その何という曖昧な性格付け)といった役柄は、彼等の演技のいつもながらの得意分野でもあり、まさに本領発揮といったところ。が、彼等以上に惹かれるのはK・ベーコンの従来のイメージを覆した演技である。覆したと言ってもそのアクの強さと万年不良青年ぶりは不変だが、幼馴染みながら両者とは疎遠になっているという微妙な距離感を感じさせる演技は見事だった。ただ前者二人に対しての、「キャラに合った演技を当然のように演じるきることは、なかなか評価され難い」というイーストウッドのコメントには重みを感じるし、彼等の演技力を最大限に引き出した監督としての手腕には、ますます円熟味を増してきたと言える。人間とは根源的には“変わらない”“変われない”ということを、名前を悪戯書きさせることで、彼等の性格とその後の人生を一瞬にしてシンボリックに表現してみせた冒頭の歩道板のシーンなどは、彼のキャリアの中でも最高の仕事だと言えるのではないだろうか。川の流れのように人々を呑み込んでゆくパレード。その晴れやかさ、華やかさの両岸に様々なドラマがあり、秘密があり、謎がある。これもまた見事なエンディングである。 【ドラえもん】さん 8点(2004-02-11 16:44:50) (良:5票) |
372.映画を見ていると自分が何を考えているのか分からなくなる時がある。「ドッグヴィル」ではあれほど高揚し自ら道徳の破壊を二コール・キッドマンに託したにもかかわらず、この映画におけるショーン・ペンの罪を川底へ沈めようとする姿勢には苛立ちを覚える。「スリーパーズ」でのラストのパーティーで、復讐の後のたった一瞬の安息に胸を下ろし「これでよかったんだ」と思いつつ、「ミスティックリバー」におけるパレードでの人間模様の重層にただ戸惑う。この映画には見えやすい形としての厳然な罰がない。もし私がこの映画の脚本をやったとすれば、ジミーに対し厳然たる罰を与えてしまうだろう。そうすれば人物達の悲劇が見せかけ上では、等価になる。しかしそれは映画を完結させるための逃避であり、多くの映画はそこで作品への誠実さを失う事になる。「ミスティック・リバー」はそういう見せかけの倫理の奴隷になることなく、運命のおもむくままに25年間変わらない場所でうごめいていた悲劇の胎動を、それこそ厳然とした態度で我々に見せつけた。そこに平等や等価はあるはずがないのだ。と書きつつも心の中では何も消化されていない。多分私はこの映画を全く理解していないのだろう。10点というのはイーストウッドの映画術に対してあげたものである。ここに書いたレビューだって所詮はイーストウッドという本格の周りをただうろついているに過ぎず、この映画に対しては否定も肯定もできない。ただ、一つ言えるのは終盤のシーン――ジミーとその妻が支配者云々を語り抱き合う――は前半のデイヴが犯した罪にたいして妻と語り合ったシーンと「弱さ」という点で酷似しているということ。そう考えるとこの映画は正義とか、アメリカの傲慢さという話とは全く無関係だと思うのだが・・・ 【Qfwfq】さん [DVD(字幕)] 10点(2005-04-15 16:33:45) (良:4票) |
371.《ネタバレ》 この映画の本質は、最後の最後のショーンペンの妻のせりふの中にある。社会的には小さな単位である家族の中の仁義を貫いた夫は、社会的には、またはほかの家族からは憎むべき殺人犯である。しかし妻は夫の行動を支え賞賛する。あなたは王なのだと.強く有らねばならないのだと.だからあなたは正しいことをしたのだと. この構造,身内の中での正義,幸福の追求が全体の不幸をもたらすという構造がアメリカの底を流れる深く黒い川であり、社会的矛盾を引き起こしていると監督は警告しているのだ。近年のアメリカの横暴はおそらくアメリカにとっては正義なのであろうが、それでいいのかという問いかけではないか。 幸福の追求が、現在の不幸と報復、復讐の連鎖によっていかに阻害されているか実感させられる作品である。サスペンスでもドキュメンタリーでもない、社会派映画はとかく薄っぺらになり勝ちなのに、この映画はアメリカの病理、アメリカの社会の破綻を圧倒的な説得力、ものすごいインパクトで訴えかけている。 かつて自らの出演する映画で悪党を憎みたくさん撃ち殺してきた監督であるが、こんなことを考えていたのかとびっくりです。知性派なんだね。もう一回見るのには気合がいります。 【take1】さん [映画館(字幕)] 10点(2004-12-23 16:49:52) (良:4票) |
370.最初、観終わった後「あれ?何か大事な伏線を見落としたかな?」とまず思った。その位このラスト・シーンは映画の約束事(観客に何らかの結末、結論、ある種の満足感を与えること)を破っているからだ。自分が見落としただけで、本当はジミーの妻がケイティー殺しの真犯人なのでは?と思ったくらいだ。しかしその視点で再度見直しても、そうではないようだ。通報電話の不自然さを見逃していたショーンにデイヴへの殺意があったと思える描写も無い。とするとこの不可解なラスト・シーンで監督は一体何が言いたかったのだろうか。唯一考えられるのは、現実の世界はこの様に不条理がまかり通り、繊細で弱い者はどこまでも被害者であり続け、冷酷で、自己保身に長けた者が真実を忘却の彼方に追いやるのもまた彼等の弱さなのだ、という全く映画的でない「現実」を表現したかったということだろうか。しかしいくら屁理屈をこねたところで、1800円と引き替えに誰もが薄々知っているこの世の不条理を観客に見せつけただけのイーストウッドを支持することなど到底出来ない。この映画を観た後に一体どういった種類の感動や、感慨を得ろというのだろうか。ハッキリ言って私はこの映画は名優の演技力でコーティングされたタチの悪いクズ映画だと思う。 【トマシーノ】さん 0点(2004-11-22 00:40:34) (良:4票) |
369.《ネタバレ》 私は充分楽しめました。そして他のレビュアーと同じ様な感想も持ちましたが、ふと違った見方に気づきました。それは映画の定番「一番の悪者はやっぱりケビンベーコンだろうが!」から始まりました。一見すると一番まともそうなベーコンですがそれは違います。まず冒頭でショーン(ベーコン)がデイブを恨むべくして恨んだというシーンがあります。自宅からオレンジのボールを手に出てくるショーン。このことからボールはショーンの物だと思います。そして路上ホッケーの場面。あんなにおとなしいハズのデイブが何故かこのシーンに限ってボールを勢いよく打ち返し、下水道に落とすのです。それによってデイブを恨んだのです。そしてデイブが車に乗ってしまった事件です。原因はデイブだけ現場から離れている本当の住所を教えてしまったからです。他の二人は現場から近いウソの住所を言ったので難を逃れました。ジミーは悪い子なのでウソを言って当然ですが、ショーンは計算高く賢いので本当の住所を言うと連れていかれると解かっていました。だから自分は一番安全な住所を、つまり「ここが家だよ」と絶対に連れていかれないであろう回答をするのです。そしてデイブ一人をハメたんです。よく観ると車が発進する時、ジミーは心配してますがショーンは横を向いて「へへっ」と言わんばかりです。そして大人になってもショーンはデイブをハメようと必死です。ショーンは犯人が解かっていながら、ジミーがデイブを殺すまでタイミングを計っていたんです。だから劇中電話で「友人の娘が死に、また誰かが死ぬ」と言っています。誰か=デイブと予言しているんです。そして終盤になってわざとらしく通報テープの「なぜ彼女だと知ってるんだ」なんていう箇所を指摘して「初めて気が付いたよ、俺」なんていう白々しいことをやってるんです。実際は初期の捜査でテープを聞き、その時に「せいぜい頑張って捜査しなよ」と不敵な態度で通報してきた奴を既にチェックしてました。そしてデイブが殺害されたと同時にジミーに「ほんとの犯人捕まえたよ」などと報告に行くのです。よく思い出してください。劇中、何故か彼は不必要なまでに「友達ではない!」と声を大にして嫌がってた事を。本当に嫌いなんです、デイブが。そしてエンディングを観てください。妻と寄りも戻り、何もかもが思い通りにうまくいき、不気味な笑みで指鉄砲する彼の姿を。 【べんちゃんず】さん 8点(2004-11-10 00:48:01) (良:4票) |
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368.映画に理想や予定調和を求める人にはオススメできひんかな。すっきりしてないし。後味も悪いし。でも俺はなぜかはまった。こーゆう多面的なとらえ方ができる映画、しかも終わった後、「だからなんなん?」って映画は苦手やったんやけど、最近はそれも悪くないかな~って。映画観終わった後、色々考えたり感想を誰かと話しあったりするのが好きになってきたらかも。この映画は話ガイありそー。んで映画のは方は、淡々としててるんやけど、ミステリー要素もあり、俳優さんも魅力あって、見ごたえあった。そして人の描き方が現実的かもしれん。パレードのシーンなんて、絶対誰もが不快に感じるはず。あえていれたんやろねそーいうの。あの妻の言葉も、自分の幸せを守るためなら自分の都合のいい理屈を作るってこと、誰もがやるでしょ?あの妻の立場にたてば、ほとんどの人があんな感じになるんじゃないでしょうか?精神を揺るがすよーな事件に巻き込まれると中々普通にはなれないってのもよくあることだし、付き合いにくい人には疎遠になってしまうってこともよくあることだし、勝ち組と負け組みの構図も事件や展開が映画的でも、現実の世界ではだいたいあんなもの。負け組み賛美、人間賛美の映画も好きだけど、人間の醜悪な部分や不条理な運命をきちっと描き、観てるものに何ともいえない感情を引き出すこーゆう映画も好き。感動とかはないけど、人の運命を考えずにはいられなく映画やったかな。思わず自分の過去を振り返って考えてしまったし。ただ、こーいう嫌なものを見せられて、観客はどなせいってゆーねん!てのもあるかもしれん。映画っていったいなんやろね。本やその他の芸術と同じく娯楽だけではないのは確かな気もするんやけどね。 【なにわ君】さん 10点(2004-09-15 14:54:48) (良:4票) |
367.《ネタバレ》 これは怒りと暴力の連鎖、それに関わる人々が非常にリアルに描かれていると感じる。癒えることなく血を流し続けるキズを持ちながら必死でそれに耐え、平静を装っているデイヴ。ジミーとショーンにとってはデイヴのその存在自体が重荷だったのでしょう。セレステは全てを予想し、告白する相手にジミーを選ぶ。アナベスは自分にジミーに言いきかせ、間違ってはいないと思い込むことで自分と家族を守る。毎月の500ドルの送金のために父親のことを諦めざるをえないあの一家。ラスト近くデイヴから開放されたかのように妻からの電話に初めて謝罪の言葉を口にするショーン。これらは自分はこうはなりたくない、なるまいと思いながらも、何かがきっかけとなって誰でもそうなりえる現実なのだと思う。同情はできないが娘を殺され、ショーンが語る納得できそうにない自白内容を受け入れるしかないジミー。アナベスの「あなたにはあと二人娘がいるのよ」という言葉からも想像できる義理の娘との確執。その娘がいなくなったことで自分と実の娘たちでジミーを独占できる満足感があの独善的な言葉となったように思う。デイヴがケイティ殺しの犯人と思い込んだセレステはそれを世間に知られることを最も恐れたのだろう。イーストウッド監督はこのような表には出にくい人の業を淡々と映し出していく。正義はないけれど深い作品です。しかし車で連れ去られた25年前と同じ光景は痛すぎる。忌まわしい過去の上に殺人者となってしまったことを抱え、救われることなく葬られたデイヴがなんとも痛ましく涙が出ました。一見平穏を取り戻したかのようなラスト、しかし何も解決はしていない。またしても臭いものに蓋をしてしまった人々。怒りと暴力の連鎖はデイヴの息子マイケルに繋がっていくのでしょう。決して忘れることなどできない不幸を忘れるんだ、忘れなさいと無かったこととして無理やり封じ込めることの不条理、恐ろしさを感じる。アナベスのあの言葉が象徴的です。ティム・ロビンスは秀逸。ショーン・ペンはハマリ役ですね。マーシャ・ゲイ・ハーデンのオドオドとした歯がゆい演技とパレードのシーンでローラ・リニーが見せたあの目、表情が凄い。ケヴィン・ベーコンが初めてシブく、かっこよく見えましたねえ。そして「グラディエーター」「アンブレイカブル」の大っ嫌いな子役のあの子。最初に出てきた時にイヤな予感がした。 【envy】さん [映画館(字幕)] 10点(2004-03-13 01:24:59) (良:4票) |
366.遺憾ながら、前評判とは全く裏腹にごく普通の地味なサスペンス映画でしかなかった。映像は重厚、演技陣は優秀、シナリオも良く練り込まれていて何一つ問題はないのだが、美しすぎる映像と音楽、演技者達の演技の素晴らしさにストーリーが全然追い付いていない違和感が大きい。これだけの重厚感で盛り上げておきながら、あのオチはないだろう、というのが率直な感想。のっけからショーン・ペンの絶叫する「She's my daughter!」に涙を絞り取られ、予告編で何度も観たはずのティム・ロビンスの苦悩に振り回され、マーシャ・ゲイ・ハーデンの混乱に翻弄され、実に役者の存在感が際立つ作品なのであるが、後に残されるのは人生観もへったくれもないベタベタのミステリー。要するに偶然が巻き起こす運命のいたずらについて、過去を仮定法で回顧する形で「誰の身にも起こり得たこと」として描きたかった意図はわからなくもないが、物語のたどり着く結論が結局人生を変え得るのは教育でしかないという言われ尽くしたメッセージであることの不毛さに脱力した。前半の展開の速さに、「スリーパーズ」の失敗をここで是正しようとしているのかな、という妙な納得はあったが、「スリーパーズ」で児童虐待に励んでいたケビン・ベーコンに、大学教育によって低所得層からの脱出を果たした「勝ち組」を割り振ったのは冗談としか考えられない。クリント・イーストウッド御大は既に1作1作を遺作のつもりで撮っているのに違いないし、それだけの気迫の込められた作品ではある。限りなく良い評価をされる可能性の高い作品だし、おそらく賞レースでも沢山の賞を手にするだろうが、御大と呼ばれるほどの巨匠になってから傑作をモノにする監督が極めて少ないのもまた事実である。イーストウッドよ、誰もあなたに厳しいことが言えない状況は理解できる。でもあなたは決してハリウッドを一括している場合ではないと思うよ。私はあなたのファンです。 【anemone】さん 6点(2004-01-13 06:44:41) (良:4票) |
365.《ネタバレ》 サスペンス的に言えば、『火サス』とあんま変わらない。ですがそこに出てくる人間の描き方がエグイい。 子供の頃に一人だけ誘拐。性的虐待を4日間にわたって受け、そのトラウマが元で精神不安定に。小児性愛者を偶然見つけ、突発的に幼少期の自分と重ねてしまい殺害。妻にそのことを告白。だけど運悪くケイティ殺しの日と重なったため、妻はケイティ殺しを疑う。結果、ケイティの父であり幼友達でもあるジミーから報復されてしまう。救いの無い話。デイブが悲惨すぎて、後味は悪いです。 ジミー、デイブ、ショーン。自分が誰と重ねあってしまうかで評価が分かれてしまいそうな本作。私はデイブ。だから良い映画だったとは言い難いです。 それにしてもショーン(ケヴィン・ベーコン)と奥さんのエピソード、これって必要だったんでしょうか。ショーンが奥さんからの電話を受けるたび、いちいちストーリーが止まる感じがします。で、その奥さんが事件や過去のエピソードとつながってくるわけでもありません。メインのストーリーが完璧なだけに、無言電話がジャマで仕方がなかったです。 また、事件の犯人は映画だから許されるような人物で、意外性があるのですが、動機が突発的なものっていうのは、オチとしていささか弱い気がします。いや、銃社会としてリアリティを感じさせるようなオチではありますが・・・ この作品は子供の頃から立場が違う3人の物語がメイン。その一方でミステリー要素が強く、犯人も全然わからないので、サスペンスとしても面白い。デイブのミスリードが効いていて、映画の緊迫感を増しています。ドラマとしても刑事サスペンスとしても緊張感のある良作。ですがオチが弱いのと後味が悪すぎるのがちょっと残念ですね。 映画としては◎ですが、好みとしては△といったところでしょう。評価しづらい作品です。 【たきたて】さん [ブルーレイ(字幕)] 7点(2017-11-12 13:04:42) (良:3票) |
364.《ネタバレ》 私の中で、イーストウッドという映画作家の評価に大疑問符がついてしまった作品です。イーストウッドは基本的には脚本を書かない人なので、まず原作があっての本作なのでしょうが、このいかにもアメリカ的なリンチが正当化される世界観はどうしても受け入れられない。ラストのショーン・ペンとローラ・リニーの会話、「パパは王様、王様はすべきことを行う」「皆、弱いからよ私たち以外は。私たちは決して弱くならない」、これは「パパ」「私たち」を「アメリカ」に言い換えてもしっくりする嫌なフレーズではありませんか。ティム・ロビンスに疑惑を抱いたマーシャ・ゲイ・ハーデンの描き方も、ラストではまるでイエスを売ったユダの様で、ショーン・ペンが犯した大罪を免罪するかの様な印象まで与えるのがはっきり言って不快です。カトリック教徒のコミュニティーが舞台で、ショーン・ペンの背中には十字架のでっかいタトゥーが彫られているなど、イーストウッドよりスコセッシの方が監督にふさわしい題材のような気がします。イーストウッドはスコセッシの様に、宗教的にテーマを掘り下げる感性は持ち合わせていないと感じました。 【S&S】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2010-05-16 00:02:09) (良:3票) |
363.《ネタバレ》 「許されざる者」と同様、正義など曖昧でいい加減なものだということでしょう。家の中でも一番かわいがっていた娘を殺された父親の怒りや喪失感から物語はスタートしますが(幸せだった日常と、突然それが壊された衝撃を見事に描写したイーストウッドとショーン・ペンの実力には脱帽なのです)、見ている私たちはここでジミーに目いっぱい感情移入し、「必ず犯人を殺してやる」と娘の遺体に誓う父親の決意に賛同します。しかし彼は誤った相手に復讐をしてしまう、しかもそれはかつての親友であり、家族ぐるみの付き合いをするデイブだったという絶望的な展開を迎えます。では、ジミーは間違っていたのか?最愛の娘を殺した相手への復讐心は、親であれば誰もが持ちうるものです。また、犯人に対してジミーが何をするのかをわかった上で、デイブの妻は「うちの夫が犯人です」と告白し、さらにデイブは警察からマークされ、問い詰めると意味不明なことを言い出す状態。少なくともあの夜、あの場で、デイブを犯人だと決め付けたジミーの判断は妥当なものだったといえます。しかし結果としてジミーはとんでもない判断ミスを犯してしまった。人間は神様ではないから、わかった気でいても真実のすべてを知り得ないし、そんな脆弱な認識を基礎に人の生死を決めると、いつか取り返しのつかないことをやってしまう。いかに正当な理由を持つ者であっても、過ちは犯してしまう。人が人を裁くこと、善と悪を区別することがいかに難しく、不確かなものであるかをこの映画は説きます。監督もまた、物語の登場人物に善悪の色づけをすることなく、すべての生きざまを淡々と描いていきます。。。と、ここまでは「許されざる者」と同一の主張なのですが、さらに無情感を押し出したのがラストのパレードです。自分の誤解が原因で夫を失いながら、その現実を受け止めきれずに人ごみの中に夫を探す哀れなデイブの妻。一方、事件が解決し、家族と共に新たな生活をはじめようとするジミーと、夫婦の絆を取り戻したショーンは、そんな痛ましい姿が目に入ることを意図的に避けようとします。恐ろしく冷酷でありながら、人間というものを鋭く描いた場面ですが、ここで唯一デイブの妻と目を合わせるのがジミーの妻です。夫の過ちを受け入れ、kジミーを後悔から立ち直らせた彼女は、夫を信じ切れなかったデイブの妻に対して勝者のまなざしを向けます。ここは本当に怖かったですね。 【ザ・チャンバラ】さん [DVD(吹替)] 9点(2009-12-22 20:40:07) (良:3票) |
362.言うまでもないが、映画とは虚構・嘘んこである。だからこそ時に観客は、画面の中の犯罪者やアウトローに対して共感したり憧れたり愛したりできる(そうじゃなかったら任侠モノの主人公なんてみんなただの大量殺人犯ということになっちゃうもんね)。で、この作品、僕は登場人物の誰にも共感は出来なかったけれど、まるで現代のアメリカを舞台にしたギリシャ悲劇のような物語に対して「共鳴」はした。クリント・イーストウッドは各々の登場人物の行為や過ちを「正当化」しているのではなく「赦し」を与えているのだ、と思う。ただしこれは「オッケーオッケー、許すよ~ん」という類のものではなく「お前の過ちは、それを一生背負って生きてゆくお前のものだ。何をすべきかは、自分で決めろ」という、ある意味罰せられるより残酷な「赦し」だと思う。僕はただただ、この重厚な物語とそれを支える名優達の演技に圧倒されました。 【ぐるぐる】さん 9点(2005-02-16 14:01:06) (良:3票) |
361.《ネタバレ》 結構最後らへんまでまで、「やっぱデイブが!?いやっそんな事はないやろ・・彼氏?!はほんまに愛してたっぽい・・う~んやっぱデイブ。。ええっ彼氏の親父!??」と私の乏しい脳みそを刺激してくれた作品でした。実は彼氏弟が・・え!実は話せた!?う、うん(汗)まあいいやんいいオチ・・が!ラストのパレード周辺ありゃないだろ!!ペン嫁あんたなにいってんの?!パパは王様?支配者なのよてナンナノそれイイ嫁っぷり?デイブ嫁なに表現したいんですか?ショーンなんで上目BANGポーズ!?俺が車に乗ってれば。。ってそれよりデイブ川から出したれよッ!・・・・・何を伝えたいんだか・・ここまで演技派そろえといてそりゃねーだろクリントン。。 【マミゴスチン】さん 5点(2004-07-31 18:29:16) (良:1票)(笑:2票) |
360.《ネタバレ》 もう気分最悪です(涙)この映画のせいでイライラがおさまらず、いきなりうつになって一晩中泣いてしまいました。私はデイブに完全に感情移入してしまっていたので…この悲惨さをお分かり頂けるでしょう。最初は曖昧な態度と意味不明な発言ばかりのデイブにいらいらしてましたが、最後の真相で一気につながりました。真相を知った上で改めて全編に渡る彼の過去の思い出と犯した罪に対する痛みと葛藤を考えると本当に耐え難いです。デイブが生きて帰れることをひたすら祈っていたのに…やってくれました。その翌朝のシーンの時点で、これでジミーは深い罪を背負って悔いて生きていくんだな~と後味が悪いなりに納得してましたが、何ですかあの後のパレードシーンは!本当に意味がわかりません。ジミーも刑事さんもすっきりした顔しちゃって、デイブがあまりにも救われません。ていうか考えてみると最初だってコンクリートにいたずらし始めたのはジミーだし!よって全ての元凶は彼なのに何よ一番おとなしいからってデイブばっかり(>_<)!コンクリートの名前も一人だけ「デ」で終わってんのに扱いひどすぎ(泣)。救いのないジャイアンとのび太を見ているようでした。 あと気になったのは通報テープ。あやし過ぎます。通報された時点であまりの不自然さがひっかかったし「彼女」の矛盾にも一瞬で気付きました。絶対なんか関わってるなと思ってたのですが、まさかあれが切り札になるとは…脱力しました。ショーンペンの演技は本当にすばらしかったのでしぶしぶ3点。パレードのシーンの前で終わってたら7点。 【涙姫】さん [DVD(字幕)] 3点(2004-07-19 03:22:18) (良:1票)(笑:2票) |
359.殺人事件が絡んでいるので、サスペンスと勘違いして観るとピントがずれるでしょう。 自分の殺した男の息子が自分の娘を殺してしまうという悲劇の連鎖という意味はあるけど犯人なんてどうでもいいのかもしれない。 後味が悪さはあるが、人生の不可思議さ、人間としての弱さ、哀しさ、愚かしさ、業の深さを描いているので安直なハッピィエンドには終われない。 唯一の救いは、ショーンが妻を失いかけているその時、妻が出て行ったのは自分にも原因があったという現実を直視できたことではないのか。 人生の苦しみという現実を直視できない人々が数多く登場する。 ジミーは元妻の死に立ち会えない悲しみをただのレイを殺すことで、娘を失った悲しみをデイブを殺すことで慰めようとしている。 アナベスは夫がやったことに対して、「家族のためにやったこと」と現実逃避をし、セレステが変なことを言ったから責任を転嫁する。 セレステも夫と向き合うことができずに、疑い続け、信じられず、「殺したのは夫かも」と苦しみをジミーに解決してもらおうとしている。 デイブは少年時代の想像を絶する痛みから逃れることが出来ずに、現実とは向き合えずにいる。 ジミ-が最後にデイブを見たのはいつだとショーンに尋ねられた時に、子供時代に連れ去られた時を思い起こすシーンやデイブが夢や青春を失ったと告白するシーンから象徴されるように主題は少年時代に受けた苦しみは決して消えることなく、大人になってもその苦しみから逃れることは出来ずに襲い続け、それは被害者だけでなく、その周りの人々にも大きな影響を与えるということだとは思うが、登場人物を見ると現実を直視できない人間としての弱さを感じずにはいられない、ラストのパレードでの父親がいなくなり深い悲しみを抱えた少年がどういう人生を送るのかと考えずにはいられない。悲しみは続いていく…ミスティックリバーはジミーにとっては罪人の罪を洗い清めてやる死体を沈める河なのかもしれないが、自分にとっては人生こそ不思議な河のようなものかもしれないと感じた。俳優の演技に注目が集まっているが、ショーンペンの娘を失った悲しみを最大限に放出するシーンや喪失感、苛立ちを抱えた演技。ティムロビンスの過去の呪縛から開放されることなく、苦しみと怒りを抱えながら抜け殻のようになってしまった表情や演技は素晴らしいとしか言いようがない。 【六本木ソルジャー】さん 9点(2004-06-25 14:59:27) (良:3票) |