1.映画の冒頭、緩やかに進む平底舩の船首低位置に据えられたカメラが
掘割の景観を映し出していく。
木々から漏れた陽光が水面で反射し、
水路沿いの民家の軒下に光の揺れを作り出している。
子供たちが戯れ、ご老人が寛いでいる。
また夕焼けの水田では、逆光の中で一人の男性が足踏み水車を回し続けている。
かつては映画の最初期にも撮影されたそれらの風物は、柳川の景観として以上に
映画の被写体として、動的かつリズミカルで尚且つ美しい。
古くから培われた掘割の合理的なシステムが、アニメーション・図版を活用して
解説されるのも勿論アニメーション監督の特色だろうが、
大半を占める実写部分のレイアウト、動きの捉え方にその資質が表れている。
高度成長期の危機に瀕した掘割。その汚れきった死相は、静止した一枚写真の
数々で提示されるのも高畑流の演出だろう。
流れ、巡ってこそ生きる水が、動きあってのフィルムを通しての生として語られる。