6.《ネタバレ》 前作から引き続き、“シラット”を主軸にした“痛々しい”アクション性はこれでもかと繰り広げられる。
センセーショナルな前作により、かの伝統武術の虜になった世界中の格闘映画ファンの欲望に応えるように、格闘シーンのバリエーションは多岐にわたり、文字通りに「盛りだくさん」だった。
前作の死闘を生き抜いた主人公のヒーロー性はスケールアップし、彼に対峙する悪役たちも前作以上にユニークだったと言える。
今作の場合、その悪役たちこそが娯楽性の中心とも言えるので、少し言及したい。
まずは実質的なラスボスとして登場する“キラーマスター”ことナイフ使いの殺し屋。演じたセプ・アリフ・ラーマンは本物のシラットの達人らしく、動き方は勿論、その風貌に至るまで説得力に溢れている。愛用するカランビットナイフで切り裂きあう主人公とのラストバトルは、前作同様、達人同士だからこその“本物感”が凄い。
続いて、“ベースボール・バットマン”。金属バットを振り回す暴力者は珍しくもないが、この殺し屋は更に硬球をノック打ちし飛び道具として殺る。その殺り方は、馬鹿らしくも新鮮だった。(しかも左打者!)
そして、ベースボール・バットマンの妹の女殺し屋“ハンマー・ガール”。その名の通り、ごくフツーの金槌を両手に持ち、見事な体術を駆使して殺る殺る。彼女の場合も、ただ金槌振り回すだけではなく、金槌の“釘抜き”の部分をしっかりと使って突き刺し肉を抉るワザが、残虐かつ斬新だった。
この兄妹はどうやら幼少時の暗い過去を持ちつつ二人で支えあって血みどろの道を生き抜いてきたらしく、ふいに垣間見える兄妹愛には、思わずほだされる。
が、主人公との死闘の末に、それぞれが自らの武器を逆手に取られて、妹は金槌で首を斬り裂かれ、兄は金属バットが顔にめり込んで離れなくなるくらいに撲殺される。酷いや……。
更には、前作で最強の悪役“マッドドッグ”を演じ、シリーズの武術指導も担っているヤヤン・ルヒアン(主人公とともに「SW」にも出演!)は、大物マフィアに長年仕える浮浪者風の殺し屋として再登場しており、流石の存在感を放っている。
今作では役柄上、主人公との直接対決はないが、前作以上の大立ち回りが見せ場として用意されており、“死に様”に至るまで最高であった。
今作のストーリー展開の随所で起因となる大物マフィアのボスの息子の愚かさぶりも、演じたアリフィン・プトラの顔つきも含めて、味わい深さを出せていたと思う。(「親の心子知らず」とはまさにこのことである。)
と言った具合に、部分的なアクション性や、悪玉キャラクターたちの存在感のみを捉えたならば、前作以上の満足感を与えてくれる作品であったとは思う。
しかし、残念ながら、映画全体を捉えたならば、そこには「盛りだくさん」という言葉だけでは収まりがつかない「冗長」という一言が重くのしかかる。
とにかく長過ぎる。前作が100分少々でシンプルに纏まっていたことに対して、今作はたっぷり2時間半。
終わってみれば、紡ぎだされたストーリーは至極ありふれたものであり、カットバックを多用し、映画の尺を長引かせる理由と意味は全く無かったと思えてならない。
勿論そこに、尺と手法に見合うだけのストーリーの重厚感があれば問題ないわけだが、この映画においては、ストーリーに重厚感を求めること自体がナンセンスだと思う。
前作を世界が賞賛した最大のポイントは、センセーショナルなアクション性に尽きるが、それと同時に、ストーリー性を極限まで削ぎ落として、白眉なアクションそのものをストーリーテリングの軸として展開させてみせた潔い映画構成こそが、最大の「勝因」だったと思う。
その勝因が、この続編で大きく損なわれてしまったことは、やはり残念に思う。
とはいえ、兎にも角にも、前作に引き続き、色々と語りがいのある娯楽映画であることは間違いない。
加えて、どうやら自分が観たのは殺戮描写が抑えられたR15版だったらしく、映画が映画だけにちゃんとR18版を観なければ、真っ当な評価は出来ないなとも思う。
最後に、「GOKUDO」と邦題で銘打たれてはいるが、日本人俳優が雁首揃えた“ヤクザ”と主人公との絡みは殆ど無く、日本国内向けのプロモーションは完全にアンフェアだ。(遠藤憲一や松田龍平は意欲的に役柄に臨んでいた風に見えたのでもう少し活躍して欲しかった)
ただ噂レベルの情報ではあるが、「3」ではいよいよ“VSヤクザ”の構図が本格化するストーリーになるとのことで、日本人の“動ける”俳優たちに声が掛かっている……らしい。
「もうたくさんだ」と拒否感を示す主人公のラストのセリフが、次作にどう繋がっていくのか。まあ期待しておこう。