270.《ネタバレ》 「その深さ30cm」
見終わった後の率直な感想です。
この深さは物語の深度のことです。
何か脚本がいい、仏陀の教えが入ることによってグッと良くなっている・・・等々のレビューが散見します。
そのようなレビューを読んで、観たからか、とても浅薄な感じを受けてしまいました。
何がそうさせたのかというと、それは「結末」です。
「無間道」「インファナル・アフェア」という題材を扱ってしまったところが、まさに「無間道」にハマってしまっている・・・
釈尊は「無間道」ということを本質的にどう、説いていたのでしょうか?!
そして、それを元に、どう生きるべきなのかを、問いていたのでしょうか?!
ついつい、そこに思いを及ばせてしまいます。
確かに「生きる」ということは「地獄」なのかもしれなません。
しかし、釈尊は天国はどこにあるのかということを、どこでもなく、その人の中にあるとも説いています。
つまり、その人の思考や、行動で天国にも、地獄にもなるということです。
最後に生き残ったラウは、生きることに執着しました。
仕えていた、ボスを殺し、助けてくれた仲間も殺し、そして生き残ったのです。
改心したかに見えましたが、心根は「生きる」ことを何よりも優先した人物です。
その人物が生き残ったところで「無間道」と言われても腑に落ちない。
具体的に言うと、あのエンディングを見て、
「なるほど、そうか、そういうことだよな」
とはならなかったということです。
先に書きましたが、その人が生き様を地獄とするのか、天国にするのかは、その人自身によると釈尊は説いています。
ラウはそれだけ、生きることに執着をしていました。
生き残った段階で、ラウから「シメシメ」というフィールングが伝わって来るわけです。
むしろ、ヤンが生き残れば、なにか「生きる」ことへの葛藤が伝わって来たなぁ・・・と率直に感じました。
なので、とっても浅薄で、その深さ30cmぐらいかなぁと感じたわけです。
釈尊好きなので、なおさらそう感じてしまったのかもしれません。
釈尊の哲学というか、真理とでも言うべき教えは、3000年経った今でも生き続けています。
これは、成熟させ、洗練させるには、10年や20年ではどうにもならない深遠さがあるわけです。
いわば、シンプルでありながら、底が見えない深さがあるわけです。
それを何か、片鱗でも伝えられるメッセージを感じれれば、奥深さを感じたのではと思います。
しかし、ラウが生き残った時点で、それで「無間道」を伝えたの?
という映画自体のテーマに、疑問を持つわけです。
サムの犬という時点で、生粋の悪なわけで、少々改心したようなパフォーマンスをしてみせたところで、説得力はありません。
出家して、仏門にでも入るという展開なら、また違ってましたが、人は口では、色々言えますからね。
まして、人殺ししちゃう人が何言っても、説得力はないわけです。
何か下心ありありで「チャンスをくれないか」という時点で、だめでしょ。
本当に改心する気があるなら、ヤンが言ったように「法廷」でしかるべきジャッジを受けるべきです。
その覚悟があれば、なるほど「改心」する気があるだ・・・ということが伝わってきます。
その「法廷」を逃れようとした段階で、深さ30cmになるわけです。
生きることに執着して、最後に生き残って「無間道」と言われてもね・・・ということです。
刑務所入って「無間道」となれば、別ですけど、堂々と警官として存在しているわけですから、それはラウにとって「天国」ですよ。
あのエンディングは、ラウにとって、最高のハッピーエンドであって、見てる方にとっては、なんとも釈然としない気持ちにさせるのではと思いました。
ヤンは、堅気に戻りたかったわけです。
そして、唯一自分の存在を証明出来る、ウォン警視を失います。
その中で、心の葛藤を持ちながら生きるのは、ヤンだとばっかり思っていました。
どちらかが死ぬのではなく、どっちも生きれば「無間道」になったかもしれませんね。
物語自体は、引き込まれるし、展開もいいし、サスペンスの緊張感もあるので、もったいないです。
しかし、釈尊の「教え」を中途半端に取り入れてしまったところが、残念さを倍増させていると感じました。