2.《ネタバレ》 手術前の「切ったら生えてこないぞ。髪の毛やツメとは違うんだ」という台詞が、非常に生々しい。
ラクエル・ウェルチが性転換者を演じるブラックなコメディ映画という事で、ある程度覚悟した上で観たはずなのですが、冒頭のこの台詞の衝撃だけで、もう参っちゃった気がしますね。
想像以上に同性愛色が強く、しかもウェルチとファラ・フォーセットによる美女同士の絡みはおざなりなのに、男優のお尻はやたらと性的に撮っていたりするもんだから、ちょっと付いていけなかったです。
特に後半の、女性となったマイラが男性であるラスティのお尻を犯す場面なんかは、たっぷり時間をかけて、しかも力を込めて描かれており、正直言ってドン引き。
如何にもアメリカらしいマッチョ的な価値観「男らしさを誇示する男」に対する批判とか何とか、そういった建前があるのは分かるんだけど(これ、監督さんも同性愛者で性欲を発散させただけなんじゃない?)としか思えなくて、興醒めしちゃいました。
その一方で、今観ても斬新な場面が数多く存在しており、そちらに対しては素直に感心。
公開当時は結構な批判を受けたそうですが、その理由としては「演出が斬新過ぎて理解しきれなかった」ないしは「才能に溺れた自己陶酔的な作りが鼻についた」という面もあったんじゃないかなぁ……と思えました。
特に、古典映画の一場面やら曲やらを切り貼りして、登場人物の心象風景を表すというアイディアは、凄く良かったですね。
例として挙げると「マイラが耳を塞ぎたくなるような言葉を掛けられる」→「モノクロ映画で、耳を塞ぐシーンの映像が挟まれる」といった感じで、視覚的にも分かり易いし、非常にテンポが良く、御洒落でもある。
性転換前のマイロンの姿だったのが、ドアを潜ると同時にマイラの姿に変わったりする演出なんかも、楽しかったです。
「アメリカ人は男も女もレイプされたがっている」といった過激な出張があるかと思えば「1935年から1945年の10年間、アメリカ映画にクズはありません」「あの頃が全盛期ね。音楽の衰退は悲しいわ。映画の衰退も悲しいけど」なんていう懐古主義的な発言があるのも興味深いですね。
主人公マイラは「古臭い男らしさ」を嫌っている訳だけど、その一方で「古臭い映画」は礼賛している訳であり、そんな矛盾した考えが「男なのに女でありたい」「男が好きなのに男らしさを否定したい」という主人公の性的欲求とも合致しているという形。
マイラは念願叶って女になっても、結局は不幸な結末を迎えてしまう訳で、そんな根本的な矛盾を抱え込んだキャラクターを丁寧に描いているな……と感じました。
性別の壁を越えて愛した女性から「もし、あなたが男だったらきっと恋をするわ」と言われてしまう展開も、とびきり皮肉が効いていて面白いし、マイラが机の上に立って、下着を脱ぎ捨て「女になった証の股間」を男共に見せ付ける場面なんかも、忘れ難い味がありましたね。
そんな終盤の展開は好みだっただけに、最後の最後で「結局全ては、マイロンが見た夢に過ぎなかった」という夢オチに着地するのが残念なのですが……まぁ、これに関しては「大して美男子でもないマイロンが、手術を受けたくらいでマイラみたいな美女になれる訳無いじゃん」って事で、仕方の無い結末だったんでしょうか。
そういった「現実的な夢オチ」の後だからこそ、理想の美女であるマイラと現実のマイロンとが仲良く一緒に踊るエンディングは、陽気な中にも物悲しさを秘めた、独特の味わいに仕上がったというプラス面もある訳で、本当に評価が難しいです。
色んな意味で衝撃的な作りであるのは間違い無いし、出演者もやたらと豪華で、伝説的なカルト映画となったのも納得。
「映画好き」というより「映画オタク」というタイプの人に合うんじゃないかなぁ……って、まるで自分は「映画オタク」ではないかのような感覚で考えてしまう、そんな一品でありました。