21.《ネタバレ》 シネは引越してきた当初から嫌われる女の要素はあった。
初対面の店主に店のインテリアのアドバイスをする無神経さ。
夫が他に女を作っていたという事実を認めようとしないプライドの高さ。
お金を持っていると思われたいために不動産取引の嘘を吹聴する見栄っぱり。
子供の前髪に金メッシュを入れる母親なんてのも印象が良くない。
だが、そんな女だからといって、わが子が殺されていいはずがない。
どうしようもない苦しみ悲しみの中で、宗教に救いを求めるのはよくあること。
ようやく心の安定を取り戻したかに見えたが、自分が許すために面会した犯人が、既に神の許しを得ていたときにすべては変わった。
どんな罪人も神に懺悔すれば許される――。いや、許されてはいけないのだ。
わが子を殺した犯人を許すことができるのは、神ではなく自分だけ。このシネの思いはごく自然な人間らしいものに感じる。
罪には許されるものと許されないものがある。わが子を惨殺した犯人に親はどうなってほしいと願うだろうか。
罪を反省して更正して幸せに生きることか。それはウソだ。絶対に幸せになんかなってほしくない。
後悔の地獄の中で苦しんで苦しみ抜くことだけが、被害者の救いになる。安息を得た犯人に、シネの心が再び壊れ始めたのもよくわかる。
シネは神に復讐心を持ち、神を試す。自分を教会に勧誘した執事の夫を誘惑する。
いくら容姿が良くてセクシーに迫られても、メンタルを病んだ女は容易に抱けない。獣ではなく人間ならば。
どんどん壊れていくシネが本当に痛々しい。
ソン・ガンホの能天気な田舎の俗物キャラが、陰鬱なムードに救いをもたらしている。
意味ありげなラストシーンは、最初はそこに何かが埋まっているのかと思ったが、シークレット・シャイン(密陽)にかかっているのに気づいた。
そんな片隅にも密かに陽がいっぱいに射しているということを象徴的に表したかったのだろう。
その陽はジョン・チャンのことだろうか、その陽にシネは気づくのだろうか。
ここで映画が終わったのは少し拍子抜け。まだ何も解決しておらず、途中で放り出された感じ。
終わり方の好みもあるのだろうが、シネがもっとハッキリと克服できるまで描いて欲しかった。
ジョン・チャンがシネの傷を癒すシーンを見たかった。