2.実在した“殺し屋”を描いた映画であることは聞いていたが、想像よりもずっと重く、冷ややかな映画だった。
組織の殺し屋として生きた男を主人公にしたハードボイルド映画を想像していたけれど、映し出されたものは、呪われた「運命」と、己が密かに育んできた「狂気」に翻弄された一人の男の悲し過ぎる「慚愧」そのものだった。タイトルから受ける印象を遥かに凌駕する“冷たい”映画世界に打ちのめされた。
主人公が辿った人生とその末路は、組織に利用されいいように使われた故に見えるが、実際はそうではない。
組織の歯車に組み込まれたことは、ただのきっかけに過ぎない。
元来、この男が培ってきた内に秘めた「狂気」そのものが、すべての顛末を引き起こしたと言える。
そして、それを誰よりも理解しているのは、他の誰でもなくこの男自身であり、悲しい。
己の運命を呪い、己の狂気を呪い、それでも彼が生き続けられたのは、紛れもなく愛する家族があったから。
もし愛する人と出会うことなどなく、家族など端から存在しなければ、この男はもっと分かりやすく冷淡な“殺人者”として短い人生を全う出来たのかもしれない。
ただ運命はそれを許さず、“愛する者の悲しみ”という彼にとっての「最悪」を与えることによって、この男の“業”を際立たせた。
その「最悪」を何とか避けようともがき苦しむ終盤の主人公の姿は、あまりに悲愴感に溢れている。
それでも、この映画で描きつけられる「業苦」は、主人公にとって必要なものだったと思える。
何を置いても主演のマイケル・シャノンが素晴らしい。
殆ど出演作は観たことはなかったが、昨年の「マン・オブ・スティール」でのゾッド将軍役は記憶に新しいところ。
あまりに印象的な風貌は一度見たら忘れられないが、今作では、その風貌と体躯を存分に生かして、一目で異質感溢れる主人公を見事に演じ切っている。
そんな主人公の最愛の妻を演じるのはウィノナ・ライダー。
このところ時に驚くくらいの小さな役での出演が続いていたが、一時のスキャンダルに塗れた低迷期を抜け、女優としての円熟味を見せてくれていることは、中学生時代に自室にポスターを貼っていた長年のファンとしては嬉しい限りだ。
副題を含めた微妙なタイトルが、何となくB級感を醸し出しているが、良質な掘り出し物だと思う。