1.自分の“娘”と初めて映画館へ映画を観に行った。
おそらく、世の中の映画ファンの多くがそうだと思うが、自分の子どもと、初めて映画館へ行くということは、一つのビッグイベントだと思う。
あまり表立ってそういう感情は出さなかったけれど、その“イベント”に対する高揚感は、自分の中でじわじわと、確実に、高まっていた。
映画館での“初鑑賞”として観に行く映画として、まったく不満は無かった。
曲がりなりにも映画ファンとして、「観たい映画」以上に優先されるべき映画など無いことをよく知っている。
彼女が観たい映画であることが最優先だと思うし、僕自身、こういう機会でもなければ絶対に観ない映画に対する好奇心も大きかった。
映画は、前シリーズから新シリーズへの改編期のものらしく“オールスター”と銘打った、良い意味でも悪い意味でも“お祭り映画”だった。
アニメーションの技術的にも、ストーリーテリング的にも、お世辞にも「クオリティが高い」なんてことは言い難い。はっきり言って「低い」。
でもね。
そんなことは、この映画において“ナンセンス”だということを、愛娘と並んで観て、段々と思い知った。
今作の大半は、都合よく集められた歴代プリキュアによる「歌番組」のような描写で占められる。
何も知らない“オトナ”は、たぶん九分九厘「なんじゃこりゃ」と思うことだろう。
しかし、その“ミュージックステーション”よろしく繰り広げられる歌とダンスシーンを目の当たりにして、3歳の愛娘は、初めての映画館の座席の上で歌って踊っていた。
“いつも”の一人で来る映画館の場では決して見ることのない光景に、僕は一寸戸惑った。
けれど、次の瞬間には、“この映画の観方はこれが正しい”と理解した。
この映画の全く正しい観方をする愛娘を、心底微笑ましく眺めた。
それだけでも、僕のこの“映画体験”は何ものにも代え難いものだと思える。
そして、初めて映画館に訪れた3歳児に対して、そういう衝動を起こさせたこの映画の在り方は、全く正しいのだと思えた。
エンドロールまでちゃんと観終えた後、途端に「トイレ!」と言い放った愛娘を連れて走った。
作品自体のクオリティーを超越して、高い満足感を得られた。
そういうことも含めて、映画を観るという価値だということを、改めて思った。