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クリムトとシーレだけではなく、世紀末から大戦までのウィーンの芸術文化を横断的に描いています。たとえばフロイトの「エディプスコンプレックス理論」とウィーン分離派による「父殺し」を関連づけたり、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」とクリムトの「接吻」を関連づけたりしている。映画というよりはテレビドキュメンタリーの体裁ですが、写真や映像資料はなかなか興味深い。
帝都ウィーンは、フランスにはじまる革命期の後も100年以上にわたって君主制を維持しつづけ、たとえば音楽では古典主義からロマン主義を経て近代主義へと変遷をつづけ、芸術上の黄金時代を築きました。ヨーロッパの辺境であるはずのウィーンが芸術革命の前線だったともいえる。「人間性の解放」から最後は「爛熟」「腐敗」「退廃」「狂気」へと至りますが、こうした近代化を推し進めたのはフロイトやウィトゲンシュタインのようなユダヤ人です。マーラーを米国へ見送ったシェーンベルクやベルクやツェムリンスキーやクリムトも全員ユダヤ人だろうと思います。とくにフロイトはスキャンダラスな無意識(性と暴力)の暴露に至った。カトリシズムの支配するウィーンは、それゆえに近代主義の矛盾がもっとも極限的な形で現れる都市でもあった。現在のウィーンはすっかり「伝統文化の町」みたいになってますが、そこはかつて天才たちがひしめきあう過激な文化都市だったのです。
1907年に(ユダヤ人迫害を避けて)マーラーが渡米し、1914年に皇太子暗殺を発端として戦争がはじまり、1918年に分離派のオットー・ワーグナーとコロマン・モーザーとクリムトが、さらにはエーゴン・シーレまでもがスペイン風邪で死去し、その直後に戦争が終わってハプスブルク帝国が崩壊します。これにてウィーン黄金時代が終わる。ヨーロッパの東側で君主制を終わらせた第一次世界大戦とロシア革命は、いわば「遅れてきた革命」だったかもしれません。