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1.  未来を生きる君たちへ 《ネタバレ》 
「ボウリョクはイケマンセンね!」と言われて、はいそうですかとは言えません。ガンジーのような非暴力主義であれ、マルコムXのような暴力主義であれ、いずれにせよ2人とも暗殺されています。つまり暴力が原因で、復讐の連鎖が起こるわけではない。例えば、みんなの大好きな「バック・トゥ・ザ・フューチャー」について聞いてください。あのいじめっ子のビフに対して、主人公が「復讐は無意味である」と言い出したらどうなりますか?チキン(弱虫)と言われたら、すぐ暴力をふるう主人公は間違っていますか?そもそも暴力を、暴力で返すような真似が、もし愚かだというならば、世の中の映画の大半は存在しないことになる。シュワちゃんやスタローンだって暴力に対しては暴力で問題を解決してきた。ムスカだって、未来を生きるシータとパズーたちの、バロス一発で、木端微塵になりました。2人の子供が暴力によって問題を解決したのです。そうしないと反対に大勢の人が殺されていたからです。いじめられている子を、暴力によって救ったクリスチャン。彼も悪くない。しかし確かにクリスチャンは憎しみの王様でした。その憎しみが大爆発し、友だちを傷つけた。テーマは、復讐の連鎖ではなく、赦しです。つまり、ダークサイドに堕ちた子供に対する赦しなのです。未来を生きる子供たち、それでも君たちは生きなくてはいけない、という子供に対する大人のメッセージが込められています。しかしもし、ケガをした子供が死んでいたら?そうしたらあのヒステリックな母親は、クリスチャンを赦しただろうか?首を絞めて殺していたのではないか?あの両親が、クリスチャンに報復しないのは、単にわが子が助かったからだと思う。従って、依然として「赦し」が成立するのか不透明だ。この映画には納得のいくような哲学が感じられない。しかしテーマがあまりにも難しい。むしろよくぞチャレンジした。私が言いたいことは、考えることができる映画は、やはり良い映画だということです。  
[DVD(字幕)] 8点(2012-11-25 20:03:23)(良:1票)
2.  メランコリア 《ネタバレ》 
トリアーの作品の多くは、神経の弱ったアウトローの人間を、まわりの複数の人間たちが、「もっと周りの人間たちと協調しなさい」と注意したり、「かわいそう」と同情したり、憎んだりする描写が中心に描かれている。鬱とは何か?それについて他人は「悩むな」とアドバイスを与える。「もっと頑張れ」とも言う。しかしそのアドバイスには、憎しみと軽蔑が含まれていることに、言っている本人たちが気が付いていない。これを偽善という。トリアーはこの「偽善」を描くために生きているようなものだ。社会の一員になれない異端児を攻撃する本能が、われわれ社会にはある。地球破滅願望の心理は単純です。今、鬱病の自分が持っている不安を凌駕する不安が起これば、小さな不安は消えるからです。しかもそれは自分だけの不安ではなく、自分に対して「もっと頑張れ」とアドバイスをおくる憎悪すべき人々まで巻き込むことができる。姉のクレアの「滅亡」に対する恐怖は、さぞかし主人公にとっては心地よかったと思います。反対にメランコリアが地球から離れていこうとしたとき、彼女は少しがっかりした様子さえ見せます。トリアーはどの作品でも一貫して、社会の一員になりきれない弱者を描いてきた。そしてそういう弱者を周りの我々が、同情や軽蔑によって攻撃する様子を、偽善を交えて描いてきた。偽善こそ憎むべき存在であり、それは人類そのものを意味する。メランコリアは主人公の期待通り、すなわち彼女の敵である我々を滅ぼすために、再び地球に接近する。そして滅亡!ついに出たよ、トリアー流のハッピーエンド。彼の頭の中は人類に対する復讐心でいっぱいなのでしょう。そして私はそういう彼に共感するのだ。勇気を持って爽快感を味わえる映画だと断言しておきます。
[DVD(字幕)] 10点(2012-08-18 20:18:55)(良:1票)
3.  エヴァとステファンとすてきな家族 《ネタバレ》 
共同生活をしている人たちの存在感が凄まじい。フリーセックス主義の女、神経衰弱気味の共産主義の若者、フェミニストが嵩じてレズビアンになった女、おかっぱ頭のゲイなど個性的な人たちというよりも変態的な人たちの濃密な人間関係を堪能できる。まず冒頭から衝撃的なシーンがある。レズビアンの女は「性病にかかった」といって下半身を平気で人前で露出している。(毛がもさもさのためモザイクなし)それを見苦しいと思った元夫は、そのことを相手に分からせるために自分も下半身を露出する(もちろんモザイクあり)そんなときにこれからここに住もうとしているエヴァとステファンがやってきて見てしまった。まさに変態ハウスにようこそという様相でした。まずここでこの混沌(カオス)を見て、観客は引き込まれるか引いてしまうかに選別される。それからエヴァの父親は、宇宙戦争のトムクルーズの駄目パパぶりをさらに磨き上げたようなスーパーダメオヤジでした。実際に世の中には子供から孤立してしまう父親というのはとても多いと思う。父親というのは、母親が「あなたは父親ですよ」と認めることではじめて子供たちは父親を容認できる。逆に母親が父親に対して、親失格の烙印を与えれば一瞬にして父親は子供たちの前で親の権利を剥奪されてしまう。この映画の父親はなんとか家族を取り戻そうとするが焦れば焦るほど子供たちの前で失態を繰り返してしまう。そういう父に対してエヴァは現実的な子供の対応をし、ステファンは映画的な子供の対応を見せる。車の中でステファンと父親が抱き合っている姿を母親が窓から見守るシーンは映画的であり感動させられますが、反対にエヴァは冷めた目で親の離婚騒動を他人事のように眺めている。私もエヴァタイプの子供だったし多くの子供も同じだと思う。親の離婚騒動を客観化するのが現実の子供の姿です。ラストのサッカーシーンは泣けます。ゲイもレズもダメオヤジも隣に住むセックスレス主婦まで参加してボールを蹴っている。彼らはボールをどちらのゴールにいれるかに全くこだわっていない。そこに監督のメッセージを感じる。 
[DVD(字幕)] 9点(2007-08-29 20:59:35)
4.  マンダレイ 《ネタバレ》 
黒人が「自由」よりも「奴隷」を選択したのは奇異に映りますが、「奴隷」とはどういう意味でしょうか?たとえば会社にコキ使われるサラリーマンも、ある意味で奴隷です。つまりグレースが黒人たちに言ったことは、「あなたたちから自由を奪っている会社を廃業にしてあげますから、今日からあなたたちは起業してください」と宣言したのと同じだといえる。「ママ」という存在はワンマン社長のメタファーだと考えればいい。このように見ると日本人のほぼ大半が黒人たちと同じ行動をとることが安易に想像できます。ようするに会社を離れて独立して生きていく自信がない人が大勢いるように、黒人たちも不安だった。グレースはそれを「自由に慣れていないために戸惑っている」と解釈した。 しかし「自由」を得ている人間などは昔に限らず、現在においてもほんのわずかな人間しかいない。私たちは知らず知らずのうちに「自由」と引き換えに、自分を庇護してくれる何かと契約を結び「生きる保障」を得ている。黒人が白人に従属するように、我々は「組織」に従属している。たとえワンマン社長の愚痴を言おうが自分で独立して働こうとは思わない。だからグレースの「自由」の押し売りに黒人たちは戸惑う。ちなみにアメリカが自由の国だと言われる所以は銃社会と表裏一体の関係にあるからです。この国には自由を得る代償として自分の身は自分で守るというリスクが存在している。そう考えると、グレース=アメリカであり、黒人=日本という構図が自然と浮かび上がってくる。だからといって「グレースは偽善者だ」と言い切ってしまうのも単純だ。すべての人間は偽善者であり、また自分が善人だと思っているからこそ人は生きていけるのだから。監督のトリアーがアメリカという悪を批判できるのも自分だけは善人だという観点に立っているからです。一番正しいのは現実主義者のグレースの父親であり、理想主義者のグレースは間違っている。しかし一方でどんなにグレースが過ちをおかそうが理想の高さこそが人間の器を大きくしてくれる。  
[DVD(字幕)] 8点(2007-08-18 18:34:24)(良:2票)
5.  奇跡の海 《ネタバレ》 
トリアーの映画は、罪を背負った無垢な女性が、大勢の人間たちから、痛めつけられるものが多い。子供たちがベスにむかって石を投げつけるシーンをみたとき、それはなんというか、控えめに言っても、私の心は引き裂かれるように痛かった。 そしてベスが死んだあとに、夫がケロリと回復するシーン。不条理の表現方法が、トリアーらしくて憎らしい。 なんて言ったらいいのだろうか・・。うまくいえませんが、トリアー映画の中核を担う女主人公たち、つまりベスや、セルマや、グレースたちには、なにか共通したものがあるように思う。彼は、そういう女性たちを、徹底的に痛めつけることによって、集団ヒステリーの残酷さを炙り出しているように感じる。他のレビューワーさんも言っていましたが、彼の映画の構図は、常に、1対多数です。1人の女性を、よってたかって「常識」や「道徳」というキーワードを持ち出して、徹底的に叩きのめす。そして、彼は観客に対して、「お前ら、これを見てもまだ分からんのか」と叫ぶ。考えすぎかもしれないけど、トリアーの目的は、女たちのジハードなのかもしれない。私の買いかぶりすぎだろうか? でも僕は自分の、この考えが、けっこう気に入っている。 トリアーは、間違いなく女性の側についている、そしていつも女性に温かい視線を送っているように思います。
[DVD(字幕)] 9点(2006-12-11 18:08:46)(良:2票)
6.  ドッグヴィル 《ネタバレ》 
私たちが最も嫌いなのは、「凶悪殺人犯」ではなくて、「偽善者」だと思う。ドッグヴィルの村人たちは、グレースを裁こうとしました。またグレースのほうも、自分の正当性を出張して、父の力を借り、村人の連中の裁きを断行します。よく考えるとドッグヴィルも、グレースも、お互いが相手の罪を指摘し、お互いが相手を裁こうとしていることが分かります。そして、ドッグヴィルはグレースを裁くことに失敗し、グレースは裁くことに成功した。その違いがあるのみです。グレースは子供の殺し方まで命令した。だからこそ、すべての人間は「罪を持った愚かな生き物だ」というメッセージが明確になったのです。もし、グレースが中途半端なことをして、観客に同情されてしまったら、この映画は、間違いなく失敗作で終わったはずです。監督が私たちに、分からせたかったことは、「人間は自分の罪には鈍感だ。しかし他人の罪には敏感なのである。」と、いうことに尽きると思います。それなのに「偽善者のトムが一番むかつく!」と、私たち観客が言い出したら、せっかくの監督の苦労も水の泡ですね。 監督はこの映画で、何度もこう叫んでいるのです。「世の中には、自分は善良な人間だ!と思い込んで、他人を裁こうとしている者が多いのだよ。それはドッグヴィルの連中であり、グレースであり、そしてあなたたち観客なのです。 みんな自分の罪を棚上げして、他人の罪を非難しているのです」 この映画をみて、自己嫌悪に似た嫌な気持ちを味わった人は、正しい見方ができた人だと思います。反対に、「僕は悪くないもーん。グレースは悪いやつだなー。いや、トムのほうがもっと悪いかな? やっぱり監督が一番悪党だなー。けしからんぞー」と考えている人は、虚無感を感じない正義感たっぷりの幸せ者です。そういう人には、トリアーの魔法も効かないでしょう。
[映画館(字幕)] 9点(2005-01-23 19:39:18)(良:4票)
7.  しあわせな孤独 《ネタバレ》 
孤独とは人を好きになることではじめて感じられる感情だと思う。自ら人を求めない人間は孤独など感じるはずもない。誰かを求める気持ちがあるからこそ常に寂しいという感情を人は持ち合わせている。 そこでここに出てくる登場人物について考えてみると、事故で二度と歩けない体になった男は婚約者が不幸になるから自分の側から遠ざけたのではなく、自分が愛されなくなるかもしれないという恐怖に似た不安が一時そうさせたのだと思う。主役の婚約者の女性はそれが分からずに寂しい思いをする。 不倫というのが1つのポイントになっているが私は誰も憎めなかった。 登場人物の誰もが強く人を求めているけど結局、最後は誰も何も手に入らなかったというのが結末。 不倫される加害者の妻も、夫とよりを戻すということはしなかったし、不倫相手にふられる夫のほうは家族も恋人も失う。事故で動けなくなった男も結局最後は婚約者を手放した。 主役の女性は不倫相手も婚約している男もどちらも選ばなかった。 誰もが強く他人を求めているのだけどうまくいかない。 手に入らない。 しかし手に入らない人たちはいつも側にいる。
9点(2004-12-12 13:20:20)(良:2票)
8.  ダンサー・イン・ザ・ダーク 《ネタバレ》 
「お盆」とは、ある母親が餓鬼道に落ちて苦しんでいたのを何とか救うために「七月十五日に亡き先祖や父母たちのために供養するように」と釈迦に教えられたことが由来しているそうです。ではなぜこの母親は餓鬼地獄に落ちたのか?その母親は我が子を愛していたから地獄に落ちたのです。母は我が子を愛し、我が子だけは幸せになって欲しいと願う。しかしそのために犠牲になる者もいるはずです。愛とは誰かの犠牲によって成り立つものだから。みんなを均等に愛せるわけなどない。誰かを見捨てて誰かを助ける。それが愛だと思う。監督はそういう事実を我々に見せつけ、愛することも罪の1つだと言いたいのでしょう。セルマが馬鹿にみえて自分勝手なのは彼女が真の母親だからです。真の母親は我が子を心から愛する罪人であり、地獄に落ちるしかない。このメッセージこそ監督の性格の悪さを一番表している。この監督は終始一貫して私たちが正義だと思っていることの中にも罪があるのですよ、ということを映画するのがうまい。
[映画館(字幕)] 9点(2003-10-15 23:01:53)(良:1票)
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