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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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21.  ザ・コンクエスト シベリア大戦記 《ネタバレ》 
1713~1716年頃のシベリアの話である。原題のТоболとは、当時のロシアがシベリア統治の拠点にしていた都市トボリスクТобольскを指しているらしい(正確には川の名前)。 映画宣伝では、スウェーデン・ロシア・ジュンガル(モンゴル系)・清国という強国同士の対決のように書いてあるが、実際は悪辣な清国の策謀のせいでロシアとジュンガルの間で戦いがあったというだけである。場所はほとんどトボリスクと前線の要塞なので壮大なスケールというほどではないが、それでもヨーロッパとアジアを一度に視野に入れた歴史物というのはロシアならではといえる。 どうせ適当に作った話だろうと思っていたら、実在の人物がかなり出ていたらしいのは意外だった。この映画は単なる娯楽大作に見えるが、これとは別に原作小説もあるようで、本来はもっと本格的な歴史劇だったのかも知れない。登場するロシア人にもスウェーデン人にも地誌関係の人物がいたのは、ロシアの東方進出が活発化していく時代の表現のようでもある(よくわからないが)。  物語的には、若いロシア人とスウェーデン人のダブル主人公にそれぞれヒロインがいて、特に序盤ではラブコメかと思わせる場面もある。中盤以降は要塞での戦いになるが、いったん丸く収まったと思わせておいて、終盤ではまた激戦になるので気が抜けない。戦いが中心の映画ではあるが、やはり人の生きる喜びは戦場では得られない、というのが一応最後の結論だったようである。 戦闘場面では、砲弾が直接人に命中するとか、本物の馬だとすれば心配になるような刺激的な場面もあって驚かされた。また要塞に関しては、近代的な星形要塞(四稜郭+1)の実物を映画のために作ったように見える。虎口の向かいにある稜堡を敵に奪われて、互いに大砲で撃ち合うというのが意外な展開だった。ちなみにジュンガル側の現地指揮官はカザフ人の役者とのことである。  登場人物では、最も有名なのは当時の皇帝ピョートル1世だろうが、その妻も次代の皇帝エカチェリーナ1世である(2世でなく)。 サンクト・ペテルブルクの最初の場面が造船所だったのはこの時代らしいと思ったが、そこで材木に斧をふるってわめいていたオヤジがピョートル本人だったというのは笑った。現場に出て自分でやってみるのが好きな人物だったはずなのでこれ自体は変ではないが、どうも基本的に茶化され気味だったようで、その後も人間味のある専制君主になっていたのは面白かった。 ほかロシア人とスウェーデン人の2人のヒロインにはけっこう和まされた。ロシア人ヒロインの「器は持ってきて」が好きだ。  [雑記]ロシア人が皆で気勢を上げる際にはウラー(Ура!)と言うのが普通だろうが、この映画でビバ(Виват!)と言っていたのは、ピョートル1世の西欧化(西欧かぶれ)の一環としてそのように言わされていたということらしい。これも若干の滑稽感を出していたかも知れない。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-06-20 10:26:12)
22.  ストレイ 悲しみの化身 《ネタバレ》 
原題のтварьは生き物とかいう意味らしい(creature, being, animal, beast, monster: Wiktionary, the free dictionaryより)。英題のstrayはストレイドッグ(野良犬)のストレイだが、この映画の場合は浮浪児のようなイメージか。邦題の副題「悲しみの化身」が最もまともに内容を説明しようとしている。 スタッフの人名を見ると原作(原案?)・脚本・監督とも女性らしい。ジャンルにはミステリーとあるが特に難解な部分はなく、結末部分を含めて素直に見られる作りになっている。ホラーとしては、邪悪な子どもと夫婦という設定自体にかなりの既視感があるが、それよりはドラマの方に力点が置かれている。 物語の中心になるのは家族の喪失による心の痛手ということだが、それほど独創的に見えるところはなく、見る側の立場で何か心に刺さるものがあるかどうかということになる。この生物も存在意義があるからこそ存在しているのだろう、と推定してみせた孤児院のシスターの達観には少し感心した。細かい点として、途中で夫婦それぞれの心変わりが唐突に感じられるところがあったが、これはバケモノが人の心につけ込んで操作していたのが原因と思われる。人の魂をもたず知能と生存の意志だけはある悪辣な生物に利用されそうな弱みが、夫婦の両方に最初からあったということで、こういう点は現実社会でも警戒しなければならない。  映像面では、現代ロシアの地方と都会(モスクワ)を舞台にした陰鬱な雰囲気は悪くない。また気に障る描写として、吹き戻し(ピロピロ笛)の場面は予告編でも見られるが、これは特に選んで入れるにふさわしい名場面である。しかし安っぽい視覚効果とかワイヤーアクションとかの技法はこの映画には不要に思われた。これは明らかにマイナス要因である。 キャストとしては、特に序盤でビースト状態のтварьを演じたのがすごい子役だと思った。また母親役の女優はそれなりの年齢だろうが、日本でいえば田畑智子さんを普通の美女(個性的美女でなく)にした感じで目を引く。他の映画に出ているのも見たくなった。 ほか余談として、「だるまさんがころんだ」は日本だけにあるのではないことがわかった。劇中では孤児院の子どもが「海の生き物、止まれ」と言っていた。またバケモノの呪文のようなのはフィン語系の言葉に聞こえたが(意味不明)、これはスラヴ人がこの地を占拠する以前の先住民の言葉とでもいうつもりか。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-05-16 08:56:37)
23.  サリュート7 《ネタバレ》 
ソビエト連邦時代の偉業を語る映画である。ただし1985年だともう終わりの始まりくらいにはなっていたのではという気もする(同年にゴルバチョフが書記長に就任している)。 事故で機能を失った宇宙ステーションを2人の宇宙飛行士が献身的な働きで回復させる話だが、それほど人類史的な意義があるわけではなく、関係者には申し訳ないが映画の題材としては地味目というしかない。またアメリカの策謀とか爆発とか天使までこの話に詰め込むのは作り過ぎのようでもあり、サリュート7号の実録映画というよりも、事実に取材してまとめた娯楽映画と受け取っておくのがいいのではという気がする。ちなみに人名も仮名にしてあるらしい。  宇宙空間の映像は、基本的には地球を周回するだけなのであまり変化は出ないが、周回軌道上に昼夜があることは物語的にも生かされている。当然ながら地上が見える場面が多く、冒頭でフィリピンのスールー海上空にいたのはわかったが、それは北がほぼ上だったので気づきやすかっただけかも知れない。その後はフロリダの発射場を除き、都市部の灯りなどは場所がわからなかったが、全部実在のどこかを想定して映像化していたものか。 アメリカ人並みのおふざけなど本当にあったことなのかは知らないが、水玉映像や昆虫との友情など飽きないようには作ってあり、無重力下のアクションも若干ある。また飛行士それぞれに美人の奥さんがいて(若妻は可愛いタイプ)家族愛を見せるとか、男2人が並んで夜景を眺めてしみじみ語るといったドラマっぽい場面もある。スペースシャトルが挨拶(salute)してから翼を翻して去るのはやりすぎだろうが、生真面目なロシア映画「ガガーリン 世界を変えた108分」(2013)に比べれば、かなり娯楽性を意識した映画に見えた。  なお当時を語るものとして、1980年モスクワオリンピックのマスコット「こぐまのミーシャ」が出てきたのは懐かしい。閉会式で泣いていたのは日本人としても記憶に残るが、映画の時点ではもう5年後であり、主人公の娘などこれが何なのかわかっていなかったのではないか。またスペースシャトルの名前は「チャレンジャー」だったが、これは翌年1月に爆発事故を起こして乗員全員が死亡した機体のはずである。劇中では、それまでに死亡したソビエト側の飛行士を悼む場面があったが、このチャレンジャーの悲惨な事故に対し、この映画がどういう立場だったのかはわからなかった。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-30 10:12:38)
24.  アトラクション 制圧 《ネタバレ》 
ロシアに宇宙人が来た、という映画である。 最初に大気圏外から来た宇宙船をロシア軍の戦闘機(Su-27?)がいきなり撃墜し、宇宙船はモスクワ南部の住宅地に墜落したが、そこでいろいろあってからまた飛び立って空に消えていく展開になる。終盤ではパワードスーツのアクションもあって派手な映像はそこそこあるが、それは最初と最後だけで、中間部のほとんどは主人公周辺の人間ドラマになっている。 なお原題のПритяжениеは英語のattractionそのままの意味、あるいはgravityのことらしい。よくわからないが例えば、接触を禁じられていたにもかかわらず、地上にあった何か(永遠の生命よりも大切なもの)に引っぱられて落ちて来たということかも知れない。  ドラマ部分は、主人公が厳格な父親に反発して不良の彼氏と付き合っていたが、そこへ星の王子様が現れて彼女の心を奪っていったという話である。あるいは社会的な見方をすると、権力側にいる父親と、反抗的な彼氏がそれぞれロシア国内の社会階層を代表していて、主人公がそれとは全く違う第三のあり方を見出したというように取れる。 ロシアの立場では、首都上空に侵入する飛行物体は問答無用で撃墜して当然のようで気の荒い国だが、国民の方も、現に政府が救援活動をしているのにやたら食ってかかる連中がいて、さらにそういう不満分子を煽動する者もいたりして革命でも起こすのかという雰囲気があり、これではロシア国家が抑圧体質になるのも仕方ないのではと思わせる。また「祖国」という言葉が出ていたあたりは、立場に関わりなく国粋主義に煽られがちな国民性を示したようでもあり、それがまた排外主義を助長したりもするということか。 「墜落したのがほかの国ならよかったのに」という台詞もあったが、宇宙人を前にしてもこの有様では、いつまで経ってもロシア人など“地球人”にはなれそうもない。しかし今回の件で少なくとも主人公の心は確実に変わったとのことで、そういう微細な変化の蓄積がいずれ社会を変えていくはずだと期待する映画なのかも知れない。悪役の男が最後まで死ななかったのは、こういう連中をただ排除すれば済むのではなく、一緒に生きていこうとするのが現実社会という意味だと解釈した。  ちなみに見ている側としても、どうしても劇中人物が地球人というよりまずはロシア人だと思ってしまうところはあった。例えば、復讐したい気持ちがあっても戦争を起こすのは駄目だ、と登場人物がいえば、粗暴で残虐なロシア軍が攻めて来て何をされても泣き寝入りしろということか、と皮肉を言いたくなる。また「地球はわれわれのものだ」などと言われると、ロシア人は地球を征服する気でもあるのかと疑ってしまう。本当なら恐ろしいことだ(おそロシア)が中国人には負けそうだ。
[インターネット(吹替)] 6点(2019-03-30 09:59:11)(良:2票)
25.  バトル・キングダム 宿命の戦士たち 《ネタバレ》 
邦題は完全無視するとして、原題のЯрослав. Тысячу лет назадは「ヤロスラフ。千年前」の意味である。現在のロシア国家(及びウクライナ)の起源とされるキエフ大公国の時代、後に大公になったヤロスラフ(賢公)という人物がまだ最前線の地方に派遣されていた頃のエピソードで、大スペクタクルも何もなく、いわば下積み時代の苦労話のようなものに見える。 物語は、主人公のほか「ヴァリャーグ傭兵隊」「熊族」「盗賊」を加えた計4つの勢力が対立・連携しながら事態を動かしていく形で、基本的には先が見えないまま、裏切者は誰か、黒幕は誰なのかといったことを想像しながら見るミステリー調の展開になっている。一応の恋愛要素も入っており(2組)、スケールが小さいのでTVドラマレベルのようでもある。  主人公の本拠地だったロストフは、DVDの解説では「盗賊がはびこり 無法地帯と化した」とされているが、これはそもそもが無法地帯だったので盗賊がはびこっていた、という順序で考えるのが妥当と思われる。隅々まで社会秩序が行き渡っている現代日本では常識外れかも知れないが、この映画を見る上では、社会秩序は初めからあるものではなく、なかったところに作るものだと思っておく必要がある。 劇中のロストフ周辺では村スケールを越えた社会秩序が存在しておらず、略奪や誘拐・人身売買が横行している状態だった。そこをより広域的な大公国の版図に組み入れることで社会秩序を確立し、住民の基礎的な安全安心を確保しようとしたのが主人公ということになる。当時の現実がどうだったかは知らないが、少なくとも劇中の主人公はそのような感じのことを口にしていた。 これはDVDの解説にある単純な「正義感」の問題でもなく、国がその領土を治めることの基本的な意義を語っていたように思われる。主人公がこの時代からそのような役目を自任していたことが、後にキエフ大公として法典「ルースカヤ・プラウダ」を編纂することにつながった、というのがこの映画の考え方だと想像される。  主人公は、DVDの宣伝文で「英雄」と書いてある割に情けない君主で、熊族の村に捕われて公衆の面前で侮辱されて笑われたりもしていたが、これは最初に武力行使から入るのでなく、まず対話を求める姿勢を断固として取り続けたという意味らしい。終盤では一応の盛り上がりとして、絶対に妥協できない相手との戦闘場面もあり、英雄とまでいうかは別として勇敢な武人であることも表現されている。 ラストでは、この時代に築いた砦が後に主人公の名を取ったヤロスラヴリという都市に発展したことが語られていた。この都市とロストフは、いずれも現在はロシアの古都として扱われており、現在のロシアの中核部に当たる場所で昔こんな苦労話があったのだと、見たロシア人がしみじみ思う終幕だったと思われる…日本人なのでよくわからないが悪くないとは思った。  ちなみに「熊族」という言葉が最初に出てから、それは一体何なのか???ということがずっと気になっていた。ロシア語の聞き取りはできないのでテロップで見た限り、「族」もなく単に「熊」(複数)と書かれていたようだが、熊のような毛深い連中といった蔑称でもなく自称であるから、要は熊の神(ヴェレス)を信奉する部族ということだったのか。ロシア語の台詞を普通に話していたのでロストフの民と同様のスラブ人で、まだロストフ公の支配に属していないだけだったらしく、こういうのも当時の現地事情の表現につながっている。ちなみに前記ヤロスラヴリの市章には熊が描かれているとのことである。 もう一つ、長くなったついでに日本語字幕に対する苦情を書くと、まずロシアの「公」を「王子」と誤訳するのは他の映画でも見たことがあるが(英語からの重訳?)、別の台詞で「ロストフ公」と書いてなお「王子」とするのはどういう方針なのか、さらに「王子」の子をまた「王子」と書いてはさすがに変だと思わないかと言いたい。またテロップの訳で、лагерь разбойниковを「ロストフの野営地」とし、лагерь ростовцевを「盗賊の野営地」としているのは訳文を取り違えたのではないかと思うが、原語を知らなくても変に思うような低レベルの間違いはさすがに恥ずかしいというしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:22)
26.  VIKING バイキング 誇り高き戦士たち 《ネタバレ》 
邦題が信用できないのは当然として、原題(Viking)までが諸国民の誤解を招きそうな名前になっている。 実際の内容は、現在のロシア国家(及びウクライナ)の起源とされるキエフ大公国(「ルーシ」)のウラジーミル1世の伝記のようなもので、予告編に出るような戦闘場面もあるが基本的には歴史物である。「2016年ロシア映画興行収入第1位」とのことで、実際かなりの力作に見える。 題名のバイキングは、そもそも上記「ルーシ」を建国したのが北欧のバイキング(スラブ人のいうヴァリャーグ)だったこと、及び主人公が最初の戦いに先立って北欧に赴き、新たにバイキングを戦力に加えたことに由来すると思われる。映像で目に見えるところでは、長距離の移動には川で船を使っていたのが明らかにバイキング風である。また序盤でロシア語の字幕が出ていたのは、主人公の軍勢に加わったばかりのバイキングがゲルマン系の言語を話していた場面と思われる。ちなみにベルセルクというのがただの狂人ではないことを見せている場面もあった。  粗筋を全部書いてしまうと、まずキエフ大公だった長兄ヤロポルクが不仲の次兄オレーグを殺し、次に弟のウラジーミル(主人公)がバイキングの軍勢を率いてキエフに侵攻、ヤロポルクを殺してキエフ大公の地位を継承した(980年とされる)。その後は遊牧民のペチェネグ人の攻撃を防ぐため東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と提携し、そのビザンツからの要請に従って現在のクリミアにあった港湾都市ケルソン(もとは古代ギリシャの植民都市ケルソネソス)を攻略した。首尾よく降伏させてからは、それまでの悪行を悔いてキリスト教(正教)に帰依し(988年)、キエフにもキリスト教を広めたという話である。大まかに史実に沿った形と思われる。 その間、兄殺しのほかにも、ポロツク公国の公女を無理やり嫁にした件など結構非道なことをやっており、見る側として素直に共感できる主人公でもない。しかしそういう悪行があってこそ最後の改宗につながったという筋立てができており、主人公が次第にキリスト教を必要としていく過程も表現されている。宗教がストーリーの根幹になっているのは宗教嫌いの日本人なら気に入らないかも知れないが、このウラジーミルの時代に正教を受容したことが後にロシアの国家アイデンティティの重要な部分につながるので、ロシア側としてこの点は外せないと思われる。  そのほか視覚的にはあか抜けた印象で美しく動的な映像を見せている。町の作りなどはこれが正しいのか不明だが(あまりに粗末)、ポロツクやキエフの木造の城郭はそれらしく見えており、またケルソンがものすごい大都会という雰囲気も出していた。景観面でも主人公の立場の変化に応じて、ポロツクの森と雪、キエフの温暖な草原、黒海に面したケルソンの陽光といった差を見せていた。 登場人物としては主人公の妻(若手)と兄の妻(年増)が注目される。主人公の妻はツンデレで可愛いタイプだったが、途中で退場させられてしまったのは可哀想だった。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-03-16 09:59:27)
27.  草原の実験 《ネタバレ》 
中央アジアに実験場があったことは前から知っていたので、ロシア映画でこの題名なら「衝撃のラスト」がどういうものか想像がつくところはある。そういう先入観をもって社会派映画的に見ていたために、終わってみれば日本のアニメ「ピカドン」(1979)が10分程度でやっていることに1時間半もかけたという印象だった。そもそも「衝撃のラスト」自体があまりにもベタでそのまんまの出来事で、これはこういう映像を作ってみたかっただけではないのかという気もした。 またこの「実験」を社会問題として扱う場合、人が直接巻き込まれる危険性よりむしろ、日本でいえば「黒い雨」のような周辺地域への悪影響が長年にわたって生じたことが問題視されるのではと思われる(※図書紹介「核実験地に住む カザフスタン・セミパラチンスクの現在」)。しかしこの映画はそういうところにつながりそうな気配もなく、単に少女の恋物語を破滅的な幕引きにするためのイベントとして使っただけにも見える。この題材で日本人なら予想する類の社会批判を、ここから普通に読み取っていいのかどうか個人的には迷う状態だった。 ただし主演女優が日本の観客に向けたメッセージというのを聞くと、“現在の状態がいつまでも続いていく保証はないので、どうか今この時を大切にしてください”(大意)といった穏当な内容で、そういうことでいいのなら、個人的にはそれをそのままこの映画の解釈として採用してしまっていい気がした。やはり先入観を排して見ることが望まれる映画らしい。  ところで主人公は確かに鄙には稀な美少女だが(女優はモスクワ出身とのことで大都会の人だが)、自分としてはそんなところに目を奪われてしまうのは不謹慎だと思って自制しながら見ていた(社会派映画だと思ったので)。また全体的に映像が美的で、グラスに浮いた何かの実を口で吹いているなど細々とした描写も嫌いではない。台詞がないのは不自然なところもあったが、かえって何が起きているかを映像から読み取らなければならないので目が離せなくなる。結果としてよくわからない点もあったが、何度か見るとわかることも増えて来るタイプの物語かとは思った。 そのほかたまたま思いついたことを書くと、青春物語の三角関係で幼馴染が必ず泣く運命にあるのは日本だけのことではないらしい。恐らく無難・安定・停滞といった性質を幼馴染が負わされるからという構造的な問題だろうが。
[DVD(字幕)] 6点(2019-02-16 08:29:43)
28.  ヤクザガール 二代目は10歳 《ネタバレ》 
日本のヤクザが出るロシア映画である。原題の ”Дочь якудзы” は単に「ヤクザの娘」だが、日本向けにはかなりインパクトのある邦題がついており、これは見ずにはいられないという気にさせられる。 内容としては、ヤクザの組長の孫娘(娘ではない)がなぜかロシア(ウクライナ?)で対立組織に追われて逃避行し、そこに懸賞金目当ての現地勢力も加わってドタバタコメディをやらかす話である。それほど大爆笑でもないが結構感動的なところもあり、特に劇中出ていたロシアの諺?は心に訴えるものがある。またこの映画が好きだと思わせるのは何といっても孫娘の存在で、素直で心優しい少女でありながら横柄なクソガキなどは相手にせず、また金はなくてもシノギの心得はあるというあたりはすでに一人で生きていく素養を備えている(なぜかロシア語もうまい)が、何かと見せる人懐こい笑顔は愛らしい。  ところで劇中の日本文化の取扱いに関して、監督は一応日本に理解のある人物らしいが、ヤクザ文化とサムライ文化は基本的に別系統のものではないかとか、サムライが空中浮遊できるなら忍者の存在意義がなくなるだろうと言いたくなるところはある(ちなみに某新興宗教の影響でロシアにも空中浮遊できる人物は多いはずだ)。物語のキーワードは「義理」だったが、この言葉は現代日本では理不尽に課せられるものというイメージが強いので、ここは厳密にいえば「恩義」だろうと思われる。 一つ感心したのは登場人物の「先生」が汚職官僚に切腹を迫ったという話で、これはロシアというより当の日本でも、不始末があれば腹を切る(物理的に腹を切るかまたは他の方法により自決する)覚悟のない者が公職に就くなどあってはならない、くらいのことは言ってやっていい。なおその「先生」は千島列島を返すようロシア政府を説得したとのことで、これは日本側からすれば良心的ロシア人ということになるだろうが、そういうのは精神異常者というのが向こうの公式見解かも知れない。  ほかキャストについて、孫娘役の荒川ちかという人は、以前にホラーマンガ原作映画「富江」シリーズの「富江VS富江」(2007)で“ちび富江”をやっていたのを見たことがあるが、この映画では少し年齢が上がって、撮影時点では邦題のとおり満10歳だったらしい。今はもう大学生になっているようで、これからどういう道に進むのかわからないがとりあえず頑張ってもらいたい。 [追記]この映画に日本側から出演した俳優が2019/2/1に逮捕されたが、この映画自体はいまさら封印されるとかいうほどのものでもないだろうとは思う。舞台挨拶(2011/10/22)の様子など見ていると人物像が窺われるところがある。
[DVD(字幕)] 7点(2019-02-16 08:29:41)
29.  ホワイトアウト フローズン・リベンジ 《ネタバレ》 
邦題は気分的なカタカナ言葉を長々と連ねているが、原題の”Прячься”というのは隠す/隠れるという意味の動詞の単数命令形のようで、要は「隠せ」とか「隠れろ」の意味かと思われる。 日本向け宣伝では「クローズド・サークル・サスペンス」とされており、非常に真面目な作りで変な見せ場は全くない(オカルト・SF・ファンタジーなし)。人里離れた測候所で消息を絶った5人と、後日、それを捜査に来た捜査官2人を中心に、何が起こったのかを次第に明らかにしていく物語で、時間差のある出来事が並行して進んでいく形になっている。それで特にわかりにくいわけではないが、最初に時間を遡った場面で、画面の左下にロシア語で「二日前」と表示されていたのを字幕で説明していないのは不親切である。 世間的な評判としては悪くないようだが、自分にとっては申し訳ないがそれほど感慨深い話でもなかった。ただし名探偵の相棒を気取っていた若手捜査官が、最初に自ら進んで残留したのが残念な結果になったのだなとは思う。また昔起こった殺人の理由は不明瞭なまま終わったが、こういう国ではそういうことがよくあった(ある?)のだろうなと思わせる台詞は出ていた。  なお舞台の測候所は高地にあり、それほど厳寒期でもなく地表面も見えるので「ホワイトアウト」の状態に至る場面はなかったが、天候によっては全く視界が効かなくなり、また晴れれば遠くの平地まで視界が広がって開放感が生じるといった変化は出していた。序盤のヘリコプターで空からしか来られない場所ということが印象づけられるので、当方としては字幕に出ていた「ウラルから極東まで」のどこかをイメージしていたわけだが、実際の撮影場所はクリミア半島だったらしいのは意外だった。そういうつもりで見れば、遠方の都市部のように見える場所はクリミアの首都シンフェロポリかという気もするが、そのように思ってしまうとかなり興醒めである(シベリアとかだと思いたかった)。 そのほか登場人物に関して、妻役の女優はハンガリー生まれのロシア人で、NHKの「坂の上の雲」にも出演したマリーナ・アレクサンドロワという人だが、この映画では単なる化粧の濃い美女であって特に可愛く見えるところはない。19歳の男を誘惑する30歳の女(女優の年齢は27~28歳くらい)という役どころで、素っ裸になりそうでいてならないのはちゃんと抑制がかかっている。
[DVD(字幕)] 5点(2018-06-10 19:30:00)
30.  ストリート・レーサー 《ネタバレ》 
ロシアの大都市サンクト・ペテルブルグの街中(と郊外)を、若い連中が車で走り回る映画である。原題の”Стритрейсеры”はStreetracersそのままの言葉で、邦題も同じく素直なネーミングになっている。 車の種類はよくわからないが日本車がかなり出ているようで、そのせいか当時は日本向けのオフィシャル・サイトもできていたらしい。どうせ壊されるのは日本車ばかりだろうと思っていたらそうでもなく、欧州車も最後はブチ壊れてしまう運命にあったが、ヒロインの愛車であるトヨタ・セリカは最後まで無事だったようである。外観的にピンクのデザインがキュートでヒロインに似合いのクルマだった。 なお唯一のロシア(ソ連)製乗用車だった主人公の車(Т-34と書いてある)は早々に退場してしまっていたが、ほかに冒頭の戦車レースでは本物のロシア(ソ連)製戦車らしきものも出ていた。  物語としては、ロシア社会の裏にはびこる悪に若い連中がからめとられていくのかと思っていると、結果的には真の悪が無残に滅び、自由な若者が祝福される話になっている。若者同士の対立関係も陰湿にはならず、特に主人公とライバルの対決の結末は意外で、こういう展開もありうるのだなと感心した。ほかに笑わせるところも結構あって楽しめる(コックリさんなど)。 映像面では、暗く冷たいロシアという先入観(というか偏見か)を崩すような暖色系の色彩が中心で、車のカラーリングもどぎついというより普通にカラフルな印象になっている。都市景観の面では古い街並みも見えていたが、特に川沿いで空が広く見える風景にこの街らしさが出ているのではと思ったりした(1回しか行ったことがないが)。また運河の名前も出て水の都を印象づけている。 登場人物としては、ヒロイン役はハンガリー生まれのロシア人で、NHKの「坂の上の雲」にも出演したマリーナ・アレクサンドロワという女優である。今回は走り屋の不良娘だが、なかなか可愛いところも見えるのはよかった(変顔も出る)。  なお余談として、劇中の車に関する情報は各所に出ているが、序盤で出た戦闘機?が何だったのかの解説はない。見たところ、機首部分やエアインテークの形状、並列複座であること、また可変翼のように見えたことからSu-24と思われる。もう一つ、菅田将暉似の男の車のナンバーが「1000000УЕ」(Условная единица)だったのは多分「100万ドル相当」という意味である。もともとインフレが激しかった時期の表示方法らしい。
[DVD(字幕)] 6点(2018-06-10 19:29:56)
31.  限界戦線 《ネタバレ》 
邦題は中身と関係なく適当に付けてあるが、原題の“Последний бронепоезд”は「最後の装甲列車」という意味のようで、英題はその直訳らしい。ちなみにロシアとベラルーシの合作ということになっているが、場所がベラルーシというだけで、ベラルーシという国の主体性は特に感じられない。 本来は映画というよりTVドラマであって、オープニングなどいかにも連続ドラマ風にできている。IMDbによれば放送時には全4回で計124分、拡大版が6回で計215分で、映画版として上映されたのはTV4回版に相当するものらしい。TVドラマをつないだためか、戦闘場面のほかに若手・年増女子2人とのからみとか戦闘ともいえない殴り合いなど、各種の見どころを少しずつ出して連続させていく形に見える。しかし全部通して見ての高揚感とか満足感があるわけでもなく、いわば暇つぶしで延々とTV番組を見ている感じになっている。  物語としては1941年6月の独ソ戦開始から3週間経った7月中旬の出来事で、ドイツ軍が早々に占拠してしまった鉄道橋を、現地のソビエト軍が装甲列車に頼って取り返す話になっている。スターリンによる粛清で軍が弱体化していた時期であり、地位を追われて収容所にいた元軍人を主人公に据えることで、最後にソ連側が勝ってもソ連万歳には必ずしもつながらない話を作っている。 軍事に関しては詳しくないが、原題の装甲列車は文字通り装甲していて砲や機関銃も備えていて勇ましい感じに見える。またグライダー(滑空機)による空挺作戦が珍しく見えたり、急降下爆撃機がこういう風に降りてきたら怖いだろうと思うところもあった。特に個人的に印象深かったのは、砲撃で死んだ男の腹が裂けて腸がはみ出していた場面で、実戦なら陸海問わずこういうことはいくらもあっただろうが、映像化してみせたのは自分としては初めて見た。 ほかキャストに関して、若い看護師役はハンガリー生まれのロシア人で、NHKの「坂の上の雲」に出演して強い印象を残したマリーナ・アレクサンドロワという女優である。この人がなんと裸になるというのがこの映画の売りになっていた(少なくとも自分はそのつもりで見た)が、実際はほんの一瞬上半身を見せるだけの控え目な露出だった。別にそれで落胆して点数を落としたわけでもないが。
[DVD(字幕)] 4点(2018-06-04 21:25:55)
32.  神聖なる一族24人の娘たち 《ネタバレ》 
ロシア連邦の構成共和国であるマリ・エル共和国に住むマリ人の物語を集めた映画である。解説によれば題名は本来「草原マリ人の天の妻たち」だそうで、邦題のうち「一族」「娘」は不適切である。映る場所は主に農村部だが、劇中出た一番の都会は首都ヨシュカル・オラだったらしい。なお映画紹介ではマリ人が「特異な民族」と書かれているが、ロシア領内にはマリ人と同系その他の各種民族が広く住んでおり、その中でマリ人だけが異色といえるのかは不明である。ロシア人でも辺境の民など何をやっているかわかったものではない。  映画の内容は22話のショートストーリーが連続する構成で、短いものは36秒くらい、長いもので9分半くらいある。別にマリ人でなくてもと思う話もあるが、土地の風習を題材にしていたり、土地の風物を盛り込んだりして地方色を出しているように思われる。全くわけのわからない話もある一方で、短くても映像面を含めて感慨を覚えるものや、けっこう見ごたえのある長い話があったりして充実している。 個人的に関心の持たれるエピソードとしては、 「オドチャ」(樺の木の話)体調不良の際には近代医療、祈祷の催し?、キリスト教の聖人、呪術・卜占が頼りにされるようだが、結局最後の占いが最強だったらしい。 「オシャリャク」(歌姫とゾンビの話)ゾンビというかヨーロッパに伝わる“不死者”のような感じである。官憲が普通に対抗措置を準備していたのが面白い。 「オルマルチェ」(怪しい合コンの話)ホラー風味。討伐隊が出たのは驚いたが、要は“コックリさん”のようなものか。なお「キセリ」はロシアの伝統食らしい。 「オシライ」(墓から戻った男の話)死者を思う家族や友人の心情が切ない。意図的に混乱させていたと思うが、「セリョージャ」は「セルゲイ」の愛称であって、これと「パブリーク」が親友と思われる。 以上のほか「オラズヴィ」(納屋の戯れの話)は閉鎖→開放の意外な展開がいい。また「オヴロシ」(水泳見学の少女の話)や「オノシュカ」(去り行く老人の話)は男子として若干の切なさを感じる。  登場人物としては、邦題では「24人の娘たち」となっているが、実際は小学生くらいから孫のいそうな年代まで幅が広い。劇中では美醜さまざまに見えるが、ラストの顔見せで24人を連続で映すところは化粧して着飾ってそれなりに魅力的なので和む。24人のうちベストヒロインは世界平和少女であって、日本アニメの少女キャラクターのような言動が可愛らしいので笑ってしまう(笑ってごめんなさい)。また乾布摩擦少女は最後の表情が微笑ましい。 ちなみに山姥は24の数には当然入っておらず、役者はボリス・ペトロフという男である。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2017-12-09 09:58:46)
33.  ククーシュカ ラップランドの妖精 《ネタバレ》 
ロシア映画だが、舞台になっているのは1944年秋のフィンランド北部である。撮影場所はロシア領コラ半島とのことだがフィンランドに隣接する地域であり、もともとサーミ人が住んでいた場所という意味で大して違いはない。高緯度地方のためその辺にある山の中腹に森林限界が見えていた。  映画のジャンルには「コメディ」とあり、特に序盤は言葉を交わしているようでいて完全にすれ違っているのがけっこう可笑しい。しかし男女関係については言葉がなくても通じるようで、これが結局男2人を人間共通の基盤に置いたということのようである。男連中が素っ裸でいるところに女が来て品定めする顔がいい演出だった。 ただ男女関係に関しても実は態度の違いがあったようで、男にとっては一時の恋愛のようなものだったかも知れないが、女にとっては最初から生殖に直結する問題として捉えていたのではと思われる。出演女優は実際にサーミ人とのことで、この人が監督に、サーミ人は性欲が強いとでも思っているのか、と聞いたとの話だが、そこは自分が見てもそのようには思わなかった(強いというより普通というか)。サーミ人でも何人でも、人間の原点に近い暮らしをしていればこうなるのは変ではないだろう。 特に人口希薄な地域で暮らしていれば次代の生命を常に意識するのは当然であり、そうであってこそ人間という種族がこれからも続いていく。精霊に頼んで待ち構えていたところに来た男2人は餌食にされたような形だが、しかし単なる種馬扱いでもなく、ちゃんと人格を含めて受け入れられたことが納得できる終幕になっている。どっちの子だったかは大して問題でないという気がした。 また終盤の「温もりが欲しい」というあたりも人としての根源的な欲求なのかも知れない。これに応えたロシア人も価値ある恩返しができたのではと思われた。  ほか個別の場面としては、男を黄泉の国から救い出すところを映像化していたのがけっこう感動的で、ここは現代人が失った力を持つ民がうまくやってくれたという印象だった。また細かいところでは、フィンランド人に喧嘩を売ったロシア人が、痛めた手を大事そうにふうふう吹いていたのは笑った。手足がもげるような戦争ではなく、こっちが普通の人間の姿である。
[DVD(字幕)] 8点(2017-12-09 09:58:44)
34.  オルド 黄金の国の魔術師 《ネタバレ》 
わりと新しいロシア映画である。冒頭表示される文字は縦書きだがロシア語だろうから字幕が出ないのは変だ。 題名の「オルド」は「帳幕」と訳していいかどうかよくわからないが、とりあえず劇中に出る「黄金のオルド」という言葉は、チンギス・ハーンの長子ジョチを祖とするキプチャク・ハン国(金帳汗国、ジョチ・ウルス)を指している。映画はこのキプチャク・ハン国とモスクワの府主教アレクシイとの関係を描いており、年代的には序盤の暗殺が1343年、終盤の暗殺が1357年で、日本では南北朝時代に当たる。 考証的なことはよくわからないが見た目でいえば、ハンの都(恐らく「サライ」)はみすぼらしいようで結構な壮大感がある。皇太后が宮殿ではなく郊外に住んでいたのは遊牧民の伝統を固守する人物像の表現だろう。劇中のモンゴル人がやたらに野卑で粗暴なのはロシア側の蔑視感情の表れかも知れないが、その性質を受け継いだといわれるロシア人自身も、他国の文明人から同じように見られていたのは言うまでもないことである。 一方、モンゴル人がキリスト教会のある粗末な村に来て、知り合いだったらしい住民と立ち話を始めたのは何かと思っていたら、これがモスクワ大公イヴァン2世に対し、キプチャク・ハン国が要求を突き付けた場面だったというのはかなり度肝を抜かれた。そのあと鶏のいる裏庭で大公が見せた必死さがまるきりその辺の一般人のようなのも笑った。ちなみに字幕の「王子」は明らかに誤訳で(英語からの重訳?)、これは「公」と訳すのが適切である(歴史的には「大公」とされている)。  物語の面では、説明を排して専ら状況を見せる形になっている。 最初の1/3くらいはヨーロッパ人がほとんど出ず、文化的素地の全く違う意味不明な風習を見せられるのが面白い(泣き女のようなのがいい)。ロシア人が出て来てからもすれ違ってばかりのようだったが、人命尊重の観念がないだけで実は気のいい連中だというところも見えていた。皇太后は最初から親和的、臣下の男も同情的で、ハンも言葉は乱暴ながら“少し待ってやろう”という意思を最初から示していたと解される。 ストーリー上のメインになるのは「奇跡」だろうが、本当に奇跡が起きたのかは不明瞭である。府主教の受難によって神の慈悲が下されたと思うのもいいだろうが、あるいは本人が何もしていないと語ったように本当にたまたまだったとも取れる。以前にウラジーミル(モスクワ近隣の都市)の疫病を終息させたというのも同じとすれば偶然の連続だが、毎度の身を捨てた行動があったからこそ後に聖人に列せられたということかも知れない。なお劇中アビニョンからの使者が登場して助け助けられしていたのは、正教会もローマ教会もない唯一の神の意思が働いたことの表現か。 またこの映画の立場として、信仰心のない「黄金のオルド」はやがて衰退し、ロシアは生き残ったと言いたいのかも知れないが、これもそれほどはっきり示されているわけではない。この映画を見たロシア人は、モスクワ・ロシアと正教会の正統性を主張する立場から都合よく解釈することが認められているが、それ以外の人間なら、たまたま起こった出来事を並べて描写しただけと取るのも勝手だろうと思われる。これは、単なる事象の連なりにどう意味付けをするかという、いわば歴史解釈に関する一種の問題提起になっているようでもあるが、ただし単なる羅列と捉えてしまうと、映画としてのストーリーがないも同然になってしまうのが問題である。やはり歴史には物語が必要だということか。  結果として様々な面で興味深い映画であり、また映像が美的なのも印象深かったが、しかし娯楽映画としては難があるので他人には勧められない。ちなみにこれを見てから、昔のドイツの音楽グループ「ジンギスカン」の曲を聞くと気分が出る(「めざせモスクワ」Moskauなど)。
[DVD(字幕)] 8点(2017-06-10 09:37:24)
35.  ガガーリン 世界を変えた108分 《ネタバレ》 
ガガーリンの有人宇宙飛行が成功した4月12日は、ロシアでは「宇宙飛行士の日」になっているそうで、本日は56周年に当たる。 その時の飛行時間が108分、この映画は113分でほぼ同じになっているが、映画全部をリアルタイムの宇宙飛行にするわけもなく、主人公の回想とか家族のエピソードを挟む形で構成されている。しかし、そのために肝心の宇宙飛行がブツ切れになり、また意味不明瞭なエピソードもあったりして散漫な印象になっている。堅実なようでもあるが浅い感じで、映画としての面白味も不足しているというのが正直な感想である。 ただ個別の場面としては、主人公の父親が皆に褒められて照れていた?顔などは悪くない。また着地後のカプセルの周囲に立入禁止区域が設定されているのに、子どもらが駆け込んで走り回っても誰も止めなかったのは、当時もある程度の緩さがあったことの表現になっている。フルシチョフも時々出るが茶化され気味のようだった。 また、いつも悪者にされるばかりでいいところがない現在のロシア連邦の人々にとっては、かつてソビエト連邦が人類史を背負っていた時代があったことを思い出して元気づけられる映画かも知れない。自分としても“ソビエト連邦は偉大だった”とか言ってノスタルジーに浸りたくなるが(今はないから言えることだが)、ただしエンディングの写真で主人公が日本を訪問した際に、「平和の使者ガガーリン」と書いた横断幕を掲げていたお調子者の人々には全く同調できない。このとき使われたヴォストークロケットは、核兵器を搭載する大陸間弾道ミサイルをもとにして開発されたことを忘れてはならない。  ほか余談的に書いておくと、候補として選抜された20人の名前をアルファベット順に読み上げる場面で、「コモロフ」と字幕に出ていたのは「コマロフ Комаров」が正しいのではと思うが、この人物は後のソユーズ1号の事故で死亡し、その事件がKomarov’s Fallというオーケストラ曲で描写されている。その次に呼ばれた「レオーノフ」は、アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」(映画「2010年」)に出ていた宇宙船の名前に採用されており、どちらもその場面では顔が出なかったが有名人である。 また花屋の前で揉め事を起こした「グリーシャ」(グリゴリ・ネリューボフ)は、結局は飛行士に選ばれず、失意のうちに5年後に不本意な死を遂げたようで、そこまでわかって見ていれば選抜の厳しさも知られるというものである。
[DVD(字幕)] 5点(2017-04-12 19:39:16)(良:1票)
36.  フィンランド式残酷ショッピング・ツアー 《ネタバレ》 
序盤はただのバス旅行だが、ここも個人的には結構面白い。出発地の風景はサンクト・ペテルブルグだったようで、そこから国境までは直線で150kmくらいしかないのでそれほど遠くはない。国境の手続関係は面倒臭そうだったが、ヨーロッパの内部ではすでに統合が進んでいるのに、ロシアとの間ではいまだに高い壁があるというのはロシア人も内心面白くないのではないかと想像する。 中盤からは予定どおりの惨劇が始まるが、それで特に面白くなるわけでもなく、かえって親子の会話を真面目に聞いてやるかという気になる。ラストの場面はよくわからなかったが、例えば母親はここで人を食ってしまい、息子は食わなかったことで、一度は急接近したかに見えた親子がまた別の世界に分かれてしまったと解釈できないかとも思う。母親役はそれなりの年齢だろうがなかなか魅力的な女優さんだった。  ところで自分が確認した限り、イベントでの上映を除いてこの映画が劇場公開されたのは、日本以外では当のロシアとフィンランドだけだったようである。現地で見た人々が何を思ったか不明だが、これは両国の欠点をひけらかし合っている図と思えばいいのか。ロシアはともかくフィンランドに関して言える悪口は多くないだろうが、パキスタン人が言っていたような権威主義はあるのかも知れず、また自殺者の多さという問題もある(改善されたと聞いていたが)。ロシア人にとってフィンランドは、帝政時代や冷戦期を含めて最も身近な先進地だったのではないかと思うが、こういった欠点を同じところに並べることでかえって両者の親和を図るつもりかと思えなくもない。 フィンランド人も上品な人ばかりではないだろうし、エンディングの曲がタピオラ合唱団の清らかな歌声で始まりながらクソやかましい曲に変わって終わるのも、物事の裏表というか通り一遍でない人々の実像を示しているようである。しかし劇中人物の言っていたように、この国の人は優しい(ロシア人と違う)というのは疑いようのない事実というかロシア人の正直な実感だろうと思われる。隣人は選べないのだから、どうか両国ともうまくやっていってもらいたいと他人事ながら願っている。  なお自殺に関する警察署長の演説は聞いたが、暗く陰気な冬(日照ほとんどなし)に死ぬよりも、幸せ絶頂の夏至に死ぬ方がいいと言っているなら気持ちはわかる。また老人をしつけることはできん、というのは名言である。
[DVD(字幕)] 6点(2015-12-19 09:58:33)
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