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1.  夜の河
シルエットの美しさ。山茶花究が五反田の女への土産を探してる、なんてどうでもいいところでもトロッとさせる美しさがある。まして二人が結ばれる朱色の世界においておや。全体、赤の幻想詩といった趣で、ショウジョウバエから赤旗まで貫く。この赤旗は評判悪いんだけど、吉村公三郎の「自分の問題意識のありか」を示すハンコのようなものだったのではないか。『森の石松』とか『源氏物語』とか『美女と怪竜』とか、左翼思想と無縁の作品でも戦後ずっとシナリオで組んできた新藤兼人と、初めて別れた映画のよう(未確認)。京都の「はんなり」を背景にして、人々の在り方はすごく硬質。ヒロインの硬さも。みなの心が通い合わない世界ね、一人一人が閉じて固まっている。見下ろしたり見上げたりする構図が多かったのは、人々が同じ地平に立ってないということか。車窓に映る山本富士子の顔の向こうを、赤い光が横切っていく。赤いものだけが、その硬さを通過する。硬いものの孤独、それへの讃歌の映画と思った。
[映画館(邦画)] 7点(2013-03-24 09:19:47)
2.  夜の女たち
田中絹代が塀を乗り越えて矯正院から逃げるところが素晴らしい。この監督の粘っこさが、逆に外に広がる田園風景を爽やかに見せる。娘が街で不良にやられるシーンの粘っこさも、見事にいやらしい。男でもいい人はいるんだけどなあ、と文句を言いたくなることが、溝口映画を見てると思うことが多いが、この不良学生なんか表情がはっきりしてないだけに怖い。そして不良娘に身ぐるみ剥がされるところを移動で追っていく。その惨めさの追求の粘っこさ。そもそもの悪の古着屋のたたずまいの暗さも、どこか粘ついたものを持っている。戦後とはこんなにも暗かったのか。戦争が終わったという解放感はなかったのか。溝口にとって女性の被害はずっと継続してたってことか。
[映画館(邦画)] 6点(2013-01-27 10:11:40)
3.  夜の鼓
橋本忍の脚色臭がモロに出ている。『羅生門』を思わせるし、今井との組で考えれば『真昼の暗黒』、前半の冤罪もの風に進んでいくところ。こういうふうにストーリーを分解してみると、事件がリアリティを持ってくる。近松を跳び越えて、モデルとした事件に迫っていく感じ。金子信雄の悪役を除けば、わざとらしさがない。妻のほうから鼓師に寄っていくところが怖い。口封じという名目を得て、情動が高まってくるというか、生臭いものが感じられる。夫の帰国が遅れることがきっかけになる、なんてのもある。妻が自分から告白していくのは無茶に見えるが、留守をする夫への、またそういう体制への怨みが感じられ、そこが怖い。死を覚悟し本人はただただ詫びているのだろうが、やはり怨みが底にあるのではないか。ラストの仇討ちを、原作通りにみなでドカドカやったのは疑問。その滑稽さを描いたという感じでもなかった。殺したあとの呆然とした表情を捉えたかったのではあろう。社会派監督としては、憎む対象を上部に操作されている愚かしさを出したかったのだろうな。
[映画館(邦画)] 6点(2012-11-19 10:09:36)
4.  夜ごとの夢(1933) 《ネタバレ》 
成瀬の映画を観て、よし明日から力強く生きよう、と励まされることはまずない。励まされるというより、愚痴を聞いてもらう気分に近い。出てくる男も、だいたい生活力がなさそうだが、これの斎藤達雄などその最たるもの。ダテなヒゲをつけてるところが、ますますダメソー感を強めている。子どもの亀のオモチャのマネしたりしてる。その彼がやっぱりダメだった、という、弱虫! いくじなし! で終わる話だ。その彼が人生で唯一楽しんだ草野球の場が、みずみずしく素晴らしい。ちょいと遊んでおいでな、と放り上げるみかんが野球のボールになるという、『2001年』を先取りしたようなツナギで入ってくるシーン。振り返ればどうしようもない人生だったけど、あの子どもと遊んだ一日を楽しめたならそれでいいか、と思っちゃう。どうも力強く生きられないんです、と愚痴を言ったら、いやいや、こんな男もいるよ、と答えてくれたような映画。
[映画館(邦画)] 7点(2010-10-28 10:17:49)
5.  四畳半襖の裏張り しのび肌 《ネタバレ》 
よくあんな気持ちの悪い少年を見つけてきたな、ほんとにタイコモチになれるのかいな。セピアの画面からサーッと川の青い水が広がるのが美しい。長回しでゴチャゴチャからむとこにこの監督、独特の粘り気があってよく、本作では映写技師の家のシーンがいい。『土と兵隊』の大きさに画面も縮まり、その狭い中で蒲団のかたまりがうごめく。脇で旦那がうつろな表情でただ横たわっている、なんて構図。ニヒリズムのようでいて、人懐こいようでいて、蒲団とはこういう味わいがあるものなのか、としみじみ眺めさせてもらった。少年が「デデンデンデンデンデン」と練習しながら、階段風の渡り廊下をゆくところなんかも印象深い。結局みんながオモチャのつもりで遊んでいた少年に、オモチャにされてしまったというようなラストがおかしい。それで男たちは満州に行ってしまう。時代に対してひどく閉じている世界を描いてきて、あの少年なんかもそういう閉じた環境の気色悪さを引きずっているんだけれども、その閉じていった果てにヒョイと向こう側に抜けてしまうもの、それが「男」であり、そうはならずに微温的に全体に通じ合っていってしまうもの、それが「女」、ってことか。
[映画館(邦画)] 7点(2010-09-03 09:59:47)
6.  夜の鳩
市井風俗ものってのは、その場所の気分のスケッチが大事、というか、それこそが作品の中心。これなんか、ストーリーよりも、そこに漂う気分だけで一編の映画にしてしまい、しかも成功している。浅草老舗の料理屋なんだけど、しだいに質が落ちている、一の酉なのにあまり客がいない。そこの女たちの話。いちおう主人公は竹久千恵子、昔は看板娘だったが、いまはトウがたってしまった。ひいきにしてくれていた月形龍之介も最近は妹のほうに向いている。あと義父のヤクザに妾に行けと言われている娘や、オタフクのためにお燗番しかさせられない娘や、女たちの世界が静かに展開していく。年の瀬の雰囲気も加わって、全体が衰滅に向かっている気分がひしひしと伝わる。ジンタの音も流れてくる。作者の視線は、この滅んでいくものを記憶にとどめといてやろう、といった感じ。もうたぶん反復されないここでの最後の年の瀬を味わい尽くそう、って。ただただひたるための映画。こういう元気が出ないモロ後ろ向きの映画って、日本でだけ異様に洗練されていった気がする。右肩下がりに独特の情緒を感じてしまう国民性なんだな。無常観とかワビサビとかとつながってるのか。原作は武田麟太郎の小説「一の酉」で脚色も作家本人。このころからもう老人役の高堂国典は、当時「黒天」と表記していたらしい。
[映画館(邦画)] 8点(2009-06-29 12:04:18)
7.  与太者と海水浴 《ネタバレ》 
たぶん私が見た高峰秀子の中で、『東京の合唱』の次に古いものだと思う。9歳。『東京の合唱』では、まだ子ども一般という感じで個性は認められなかったが、ここに至って後の大女優に通じる個性が生まれている。と言っても、敏行君という、金持ちの坊ちゃん役。女の子が男の子を演じるのは、美空ひばりや松島トモ子が杉作をやったりと、最近の香港映画『ミラクル7号』に至るまでけっこうあり、芝居で男の子役を若い女優が演じるしきたりとつながってるキマリなのかもしれないけど、高峰で見られたのはこれだけ(あと『麗人』という島津保次郎作品で、岩夫君・6歳・てのを演じたのがフィルムセンターに残っているそうだ)。自伝によると高峰はこの時期男の子役のほうが多かったそうで、五所平之助監督は後になっても彼女のことを「坊や」と呼んでいたという。で、この映画だが、この金持ちの子どもと庶民の子どもの友情が軸の海辺コメディ。庶民の子どもを演じたのが『生れてはみたけれど』の金持ちの坊ちゃんだったのがおかしい。この時代にしてはかなり長い水中撮影がある。水中で汗を拭いたり、水中でその手拭いを絞ったりするギャグをやってた。パーティーの席で、魚屋が出された魚を、ついナイフで三枚にさばいてしまうギャグもよかった。この魚屋を演じたのは阿部正三郎というコメディアンで、この与太者シリーズでは磯野秋雄、三井秀男(弘次)とともに常連だったが、戦争に引っ張られて帰ってこなかったという。戦前の映画を見ていてつらいのは、幾多の才能がフッと途切れてしまうこと。さらに思えば、戦後花開いたに違いないもっと多くの名優や名監督の卵も、ガダルカナルやインパールで無意味に失われているのだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-14 12:18:57)
8.  四谷怪談[前篇/後篇](1949) 《ネタバレ》 
おそらく当時の観客には『愛染かつら』のコンビによる四谷怪談というふうに意識されたんだろう。木下が撮った時代劇は、これと深沢七郎の二作品のみか。冒頭、塀沿いに引いていく雨中の脱獄シーンはなかなかの迫力。木下は作品ごとになんか趣向を凝らすが、今回は俯瞰の多用で押していく。見下ろす者の視点。木下の実験性は、田中絹代の二役による会話シーンにも見られ、けっこう手間をかけている。伊右衛門は気が弱く決断を先送りしているうちに悪に勝手に入り込まれる、というような解釈だ。それに自分が足手まといかもしれない、と思いがちなお岩の不安が添う、やたらメソメソする。あの敗戦直後の失業者の家庭はこんなでもあったのだろう。佐田啓二の小仏小平がお岩を抱えてゆっくり歩む場に、鬼気迫る美しさがあった。ラストの炎の場も大変美しい。全体としてこれは「怪談」というより「事件」の扱いで、伊右衛門の気の弱さゆえの妄想とも言える。
[映画館(邦画)] 7点(2009-02-02 12:10:29)
9.  夜明け前(1953)
映画としてうまい作品ではなかったが、主題はクッキリと出た。インテリと革命との関係、その幻滅。百姓に「地主のおまえ様に本当のことを言うと思ってただかね」と言われるの。みずから荷役に出ても、足手まといになってしまう。それが自己満足だと自分で分かってしまうインテリの苦悩。日本文学はこうした、大衆になれないインテリを好んで凝視してきたが、大衆芸術と言われる映画も、最初は職人仕事だったのがだんだんインテリの領分になってしまい、同じ苦悩を文学をなぞりながら語り出す。「みんな俺を気違いと思ってくれるか」と淋しく笑う半蔵のあたり、滝沢修の見せどころ。滝沢が23歳の役をやってるときに、北林谷栄はもう村のばあさん役で、陽気に木曽節を踊っていた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-11 12:09:37)
10.  ヨコハマメリー
あぶくのような人たち、っていうと悪口になってしまうのかな、でも都市ってものは、そういうカタギでない人たちによって都市の味わいを与えられている。メリーさんもそうだけど、かつて名物だったホール根岸屋にたむろしていたという元愚連隊のおじいさんがすごくいい。「あそこの客はやくざが半分、刑事が半分だったよ」っていうその根岸屋は、黒澤明の「天国と地獄」でヤクの受け渡しシーンのロケをした店だそう。あの映画の記憶もまざってきて、あぶくのような人たちをも十分抱え込んでいられたかつての混沌とした港町の奥深さが、殺風景な駐車場になってしまった根岸屋の跡地に一瞬感じられた。
[DVD(邦画)] 6点(2007-08-05 12:20:57)
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