1. 犬神家の一族(2006)
戦前、戦中、戦後そして平成と時代を見てこられた91歳という市川崑監督の目に、今という時代はどう映っているのでしょう、そんなことに思い巡らさずにいられません。親が子を虐待する、または子が親を殺す今という時代、虐待された子が成人になり虐待を次世代に引き継いでしまう負の連鎖…。横溝先生が原作を書かれた頃と、時代の様相は変わり果ててきています。そして30年前、監督は「犬神家の一族」を「親子の絆」を主軸に据え家族愛の物語として創り上げられた。戦争を含めた人間の欲望によって歪められた絆を断ち切ろうと悶え苦しみ、自分の子には幸せをと切望する美しくも哀れな群像がそこには描かれておりました。そんな監督だからこそ尚更、現代ほど「親子の絆」が病んでいる時代はないと見えていることでしょう。監督の心の痛み、張り裂けそうな思いを強く感じるのです。だからこそ、ご自身の最後になるかも知れない作品に、「犬神家」に再度挑むことを決意された、この作品のメッセージが再びこの時代の人々へ届くことに賭けられたのだ、と。これは今現在というこの瞬間に〈生きている〉映画だ。そういう意味で、30年前の作品とは全く別物。この作品には市川崑監督の映像作家としての強い使命感、そして良心、誠意が溢れているのです。 [映画館(邦画)] 10点(2007-01-02 14:59:12)(良:1票) |
2. 深呼吸の必要
“化学調味料”をドバドバ使った映画というものがありまして。ま、僕がそう呼んでいるだけなんですが。やたら刺激的な映像表現の連続と、奇抜な脚本と膨大な台詞の洪水で溢れかえっている映画、あるでしょ?というより、そんな映画ばかりって気もしますね、最近は。それはそれで面白い、大好きですよ、僕も。やはり全世界的にもそんな映画の方がウケる傾向にあるようですし。で、ここでふと立ち止まってみる。このまま“化学調味料”のような旨味に慣れてしまっていいものなのか。過剰な映像表現や説明、演出に慣れてそれが映画読解力の基準になってしまうと、もう後戻りできないのではないか、繊細な味付けを感じ取れなくなってしまう、つまり感性が鈍化することを危惧しているのです。その上で、この自然100%フィルムはどうだろう!僕には、この自然素材の味が、あまりに新鮮だった。こんなにも心地よいものだった。篠原監督は知っていたのですね、この映画の本質を表現するために何をすべきかを。自分の感性が、どれほど“化学調味料”に犯されているかを知る試金石として、気づくキッカケを与えてくれたこのフィルムには、感謝してもし足りないほどなのです。 [映画館(字幕)] 10点(2006-02-27 12:10:40)(良:1票) |
3. THE 有頂天ホテル
スポットライトのあたる華やかな「舞台」と、それを支えるどちらかと言えば地味な「舞台裏」というのがあって、で、三谷監督は「舞台裏」側を“愛する”人なんだぁという思いを強くしました。それは舞台演劇の“裏方”である脚本・演出という、監督の出自と大きく関係しているのでしょう。裏方や地味な人の心を理解できる、あまり光のあたらない側に温かい眼差しを向けることが出来る、それを作品にさり気なく反映できる数少ない作家なんだ。この程よいやさしさが、心地良くってたまらないんです。普通、表裏とか“裏側”とかっていうと、あまりイイ意味で使われないでしょう。でも彼はそれを面白く可笑しく、ちょっと哀れで愛らしく描いてくれるのですね。それはラジオドラマ生放送のドタバタ、マイホーム建つまでのアレコレ、喜劇の台本を巡る攻防等々、三谷作品を貫く大きなテーマなんだと思う。「どんなことでも表層だけ見てたら、その裏にあるもっと面白いもの、ステキなもの、大切なものを見逃しちゃうよ~」と語りかけてくるかのようなのです。 [映画館(字幕)] 10点(2006-02-08 11:16:06)(良:2票) |
4. ゴジラ(1954)
当時のスタッフの心意気を強く感じるんです。「怪獣映画を作ろう 同じ作るなら子供向けってだけじゃなく世界に通用するヤツにしよう そうだ世界の度肝を抜いてやれ! 日本の映画産業ココにあり!っていう怪獣映画さ! で、日本人ならではって何だ? 日本ならではのテーマ『ヒロシマ・ナガサキ』さ! よしタブーに挑むか! ビキニ環礁の実験があったばかりだからな!」全編から、そんな言葉が聞こえてきそうだ。すさまじい勢いがある。きっと撮影の現場も熱かったことだろう。この熱気はそのままフィルムに焼きついたかのように、半世紀以上たっても現代の観客を圧倒する。このフィルムが映写機で回り出すと、日本映画の復興に掛ける男たちの思い、被爆と終戦の悲しみ、失意、憎しみ、もう全てがない交ぜになった怨念とも執念ともつかない、エネルギーが噴出してくるような錯覚に襲われる。そう思うとゴジラの、あの白目をひん剥いたような眼!まさに日本映画が世界に向け“ガン”を飛ばしんたんだな。確かにこわい。未だに僕はビビってしまいます。 10点(2004-01-02 21:29:24)(良:2票) |
5. 犬神家の一族(1976)
市川監督の描き方にね、やさしい眼差しを感じるんですよ、この時代、そして当時の人々への。終始漂うノスタルジックに、当時を知らない僕も和んでしまうのです。そして“親子の愛情”が描かれますね、というかコレこそ、この作品も含めた市川・石坂金田一シリーズ5作を括る、おっきなテーマであり…そう魂なんだ。だから僕は5作品とも大好き。価値観が激しく変化せざるを得なかった時代だったけど、この絆だけは絶対に変わらないんだよ…市川監督の叫びとも思える声が聞こえてきそうなんです。横溝先生と、同じこの激動の時代を生きてきた監督ならではの到達点だと思う。全作品に、ほんと悲しく、温かい親子の愛があふれている。親は子供のためなら、時に鬼に身を落としてしまうのでしょう、凄惨な描写が激しければ激しいほど、愛情が切なく美しく際立つんですね…。終盤、「佐清に、佐清に会わせてください…」水面がキレイな湖面を背景に、高峰・松子夫人の声がこだましますね、この瞬間、いつも決まって涙してしまうんです。 10点(2004-01-02 19:59:50)(良:1票) |
6. ガス人間第一号
最先端の科学の“落とし子”である男と、没落した日本舞踊の家元の女。よくぞ、これほど奇怪なカップルを誕生させたものです。しかも「この二人vs日本の社会全体!」という構図にまで物語は広がってゆくのですが。僕としては、なぜか犯罪者であり社会の敵であるガス人間側を応援してしまうのです。それは、彼が貫き通そうとする“純愛”に、ほだされたから。 “たった二人だけでも戦っていこう”っていうのに、僕は弱い。彼は社会を混乱に陥れる加害者でありながら、でも科学の進歩の犠牲になった被害者でもある、また新しい人類の誕生と捉えばガス人間はマイノリティーであり、被差別Xメンってことになる。同情しちゃうんです、この純愛、成就して!と祈りたくなる。でも…。二人だけの舞踊の発表会の後、「僕達、負けるものか」の台詞…ああ、そして次に見せる八千草さんの、あの眼!なんとも残酷な物語を用意してくれたものです。 10点(2003-11-13 06:45:17)(良:2票) |