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プロフィール
コメント数 2474
性別 男性
自己紹介 〈死ぬまでに観ておきたいカルト・ムービーたち〉

『What's Up, Tiger Lily?』(1966)
誰にも触れて欲しくない恥ずかしい過去があるものですが、ウディ・アレンにとっては記念すべき初監督作がどうもそうみたいです。実はこの映画、60年代に東宝で撮られた『国際秘密警察』シリーズの『火薬の樽』と『鍵の鍵』2作をつなぎ合わせて勝手に英語で吹き替えたという珍作中の珍作だそうです。予告編だけ観ると実にシュールで面白そうですが、どうも東宝には無断でいじったみたいで、おそらく日本でソフト化されるのは絶対ムリでまさにカルト中のカルトです。アレンの自伝でも、本作については無視はされてないけど人ごとみたいな書き方でほんの1・2行しか触れてないところは意味深です。

『華麗なる悪』(1969)
ジョン・ヒューストン監督作でも駄作のひとつなのですがパメラ・フランクリンに萌えていた中学生のときにTVで観てハマりました。ああ、もう一度観たいなあ・・・。スコットランド民謡調のテーマ・ソングは私のエバー・グリーンです。


   
 

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1.  美徳のよろめき 《ネタバレ》 
1957年に出版された三島由紀夫のベストセラー小説の映画化、この“よろめき”というフレーズは同年の流行語大賞と言えるほど巷では流行ったそうです。原作の内容は日本版『ボヴァリー夫人』という感じの姦通小説で、フランスの心理小説を思わせる三島由紀夫独特の文体なんだそうです(自分は未読です)。 代々続いた華族家庭出身の節子(月丘夢路)は実業家の倉越一郎(三國連太郎)と結婚し、住み込みの家政婦もいる鎌倉の豪邸で幼稚園に通う一人息子と暮らしている。夫はまあ普通の男だが、彼女にはその俗っぽさなんかが合わなくて段々愛情が薄れてきている。そんな時に街で偶然むかしちょっと関係があった男である土屋(葉山良二)と遭遇してお互いを意識するようになる。女学校時代の同級生で人妻なのに男漁りが激しい牧田与志子(宮城千賀子)にけしかけられて、節子は土屋と段々深い関係になってゆく。 脚本を書いたのは新藤兼人、三島由紀夫小説の脚色とは彼のイメージに合わない感じがするが、新藤のパートナーである乙羽信子が月丘夢路と宝塚歌劇団の同期だったという関係もあったのかもしれない。実は三島はこの映画を「これ以上愚劣な映画はちょっと考えられない」とまで酷評しているんです。たしかに調べるとストーリーは外見的には似ているけど「内容的には原作と別物」と評されるのも納得できるところがあります。出版されたのが57年6月、封切が同年10月下旬なのでさすがの新藤もじっくりと構想を練って書く余裕が無かったのかもしれません。月岡夢路の節子はその美貌といい雰囲気といい文句なしです。でも東宝には久我美子や河内桃子といった本物の華族令嬢だった女優がいたので、東宝で彼女らを起用して映画化したら面白かったかもしれません。 本作の最大の難点は、二人の不倫カップルにぜんぜん感情移入ができないところです。とくに土屋という男は、内面の葛藤はともかく子どもいる人妻を自分の昔からの思いを成就するために、関係を持つだけでなく離婚させようとまでする心理がなんか不快。家では素っ裸で飯を食うのが愉しいなんて言う、確かにちょっとヘンなところもあります。節子は土屋との関係を妊娠中絶をきっかけに清算する決心をする訳ですが、原作では夫との子供を中絶した後に土屋の子供を二回中絶するという展開なんだそうです。こりゃ原作の方がよほど凄い展開で、こういうところをマイルドにしたのも三島の怒りを買ってしまったのかもしれません。 宮城千賀子の愛人役で安部徹がマッシュルームカットのプロレスラー(!)や、ストーリーと関係ないところで西村晃が盲目の按摩師で出演したりというキャスティングも面白いところがありました。とくに按摩しながら「失礼ですが、奥様おめでたですね」と妊娠を言い当てるところは強烈な印象を残しました、お前は超能力者なのかよ(笑)。月丘夢路がシャワーを浴びるシーンでは、当然ボディダブルでしょうが裸身を影だけで見せるところなんか、テクニシャン・中平康の面目躍如でしたね。でも新藤兼人と三島由紀夫はあまりに喰い合わせが悪くて、中平康でもどうしようもなかった感がありました。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-01-10 22:35:16)
2.  大魔神逆襲 《ネタバレ》 
昭和41年の年内で三本が公開された大魔神シリーズの掉尾を飾ることになった三作目、ほんとは第四作目製作の予定もあったけど本作の興業成果が赤字に終わったことで立ち消えになっちゃったそうです。まあシリーズと言ってもこの三作には共通点は大魔神が暴れるだけでストーリー上の繋がりはありませんが、前二作ではお姫様をヒロインにしていたところを少年4人を主人公に据えたところに工夫が見られると言えるかも。 前二作を鑑賞済みならば大魔神降臨が後半三分の一ぐらいしかないというお約束は承知でしょうけど、少年たちが魔人のお山を越えてゆくまでのシークエンスはけっこう丁寧に撮られています。ロケ地の山岳地帯もよくこんな場所を見つけてきたな、と思わせる風景です。この少年たちの一人が激流に流されて死んでしまうのは初期の大映特撮ものらしいダークな展開で、東宝特撮では考えられないところです。でもあの筏を一瞬で作り上げるところは、いくら何でも雑過ぎるでしょ。今回は遂に大魔神が腰の宝剣を抜いた訳ですが、武器としてはあまり見せ場がなかったのは残念なところです。それでも毎度のことながらも建築物の破壊シーンには眼が引き付けられます、大映京都の時代劇で培った技術力は恐るべしです。ちなみにシリーズ通じてスーツアクターを務めたのは元プロ野球選手だった人で、あの眼だけは本人の素なんだそうです。彼はカメラが回っているときは決して瞬きをしない演技で通したそうで、毎回終いには充血して血走った眼になってしまったそうですが、それがかえって大魔神の憤怒の形相に迫力を与えていると思います。 けっきょく大魔神は、三池崇史の『妖怪大戦争 ガーディアンズ』に新造形で登場したぐらいで、50年以上経ってもリメイクされていませんが、かえってそれが日本特撮映画史上に残る伝説としての輝きを放っているんだと思います。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-01-07 22:35:40)(良:1票)
3.  宇宙大戦争 《ネタバレ》 
『地球防衛軍』製作より2年、東宝は初めて人類が地球を飛び出して宇宙でエイリアンと闘うという本格的なスターウォーズ映画を世に送り出しました。製作が1959年なので色々と突っ込むところはありますが、果たしてその評価は如何に。■ストーリー上のつながりはありませんが、登場人物の一部の名前が共通であるなどの拘りはあるみたいです。メカや宇宙船の設定は『地球防衛軍』と同じく小松崎茂、当時の少年雑誌の口絵や軍艦や戦闘機のプラモデルの箱絵で有名な昭和の大絵師です。月面探検車のデザインなどに彼らしい雰囲気があります。いわば本作のプロダクション・デザイナー的な存在と言えるでしょう。敵方の遊星人ナタール「地球を我々の植民地にする」なんて公言して観測できない月の裏側を基地としていきなり攻め込んでくる、まるで19世紀の帝国主義国家みたいな存在。ナタールの細かい説明は一切オミットしてひたすら人類vsナタールの戦いを見せるある意味雑な関沢新一の脚本ですが、まあ50年代のSFなんてこんなもんでしょ。■いちおう当時の一般的な知見に基づく科学考証が施されているが、ここは現在の常識からすると粗が目立つところです。ナタール人が使う“物質を無重力にする冷却線”なる武器は、”物質が絶対零度に近づくと核振動が弱くなって無重力になる”という今では否定されているトンデモ学説に基づいていたそうです。驚くのは月面探険車がホバークラフトみたいに気体を噴射して移動するところで、なんと当時には月面の一部には希薄な大気が存在するという学説があったからなんだとか。宇宙船内の無重力や月面で隊員たちがふわふわした動きをするというのは、土屋嘉男が「こうならなくちゃおかしい」とスタッフを説得した成果なんだそうです。文系がほとんどの映画人の中で彼は俳優になるまでは現在の山梨大学医学部を卒業したぐらいで、東宝俳優の中でもっとも博識と言われただけのことはあります。まあ間違った学説が多々あった頃なので仕方なかったでしょうが、正しい科学考証のもとに撮られたSFは『2001年宇宙の旅』まで待たなければなりませんでした。■興味深いことは40年代から50年代はハリウッドや他国でも宇宙からエイリアンやモンスターが来襲して地球が危機に陥るというプロットのSFが多かったけど、どれも自国の軍隊で対応して打ち勝つというところです。国連なのかは別としても東西両陣営が結束して共同軍を結成して立ち向かうという展開なのは、実は東宝特撮SFでしか観られない特徴なんです。これは当時の日本人に根強かった国連崇拝と敗戦国としての劣等感の表れだったと思います。まあ当時の軍事力に対するアレルギー反応もあったかもしれませんが、この映画でも日本の軍隊=自衛隊の存在は影も形もありません。その反面、千田是也を隊長とする探査チームは、とても科学者の集団とは思えない軍隊組織みたいでしたね(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-12-28 21:50:35)
4.  オーディション(2000) 《ネタバレ》 
前半から中盤までは三池崇史の作品とは思えない淡々とした穏やかなストーリーテリング、再婚相手を探すために映画の主演女優募集のオーディションを開催するなんていかにも業界人あたりが考えそうな手口だが、さほど違和感がある設定ではない。ところが世界中の映画人から最凶の評価を得ている本作だから、そんなホンワカとし続ける訳がない。この映画の秀逸なところは、中盤以降に謎の女・麻美の本性や過去が現実の中にカットバックされるところで、これが終盤の悲惨な目に遭う石橋凌にも使われて「これは夢なのか、はたまたパラレル・ワールドなのか?」というまるで悪夢を見せられている様な不安感に突き落とされます。有名な拷問シークエンスはイーライ・ロスがきっと観て喜んだろうなという凄惨さ、これはきついです。あの“足首からキリキリキリ…”は、きっと『ソウ』シリーズ第一作目に影響を与えたんだろうなと確信しました。石橋凌が針をブスブス刺されるところは、逆に『ヘルレイザー』シリーズのピンヘッドのオマージュなのかもしれません。強いて言えば私にはしいなえいひ=麻美の演技力がイマイチで、狂気の果てを飛び越えたような人間の姿が希薄で単なるメンヘラ女にしか見えなかったのは残念でした。 本作が『リング』と並んで『死ぬまでに観たい映画1001本』に選出されているのは妥当でしょう。でも本当に怖いのは、霊じゃなくて人間なんですね。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-12-25 21:58:19)(良:1票)
5.  遊びの時間は終らない 《ネタバレ》 
いやあ笑った笑った、今年観た映画でいちばん笑わせてくれたかもしれないです。昭和バブル期の邦画は不作だったという見方が強いが、探せばこういうお宝がまだまだ埋もれているんですよね。『狼たちの午後』を彷彿される銀行強盗かと思いきや、モッくんが人質に発砲する緊迫のシーン、それがなんと「バンッ」という口鉄砲、これは金融機関の協力のもとで行われた防犯訓練だったんですね。そこから始まるモッくんの大暴走、このころの本木雅弘は真面目でクールだが内に狂気を秘めたキャラを演じさせたらピカイチで、警官らしい丁寧な言葉遣いに終始するけど観てる方はいつキレるかとハラハラさせる緊張感が堪りません。対する警察側の各キャラも一人一人のキャラが立っていて、石橋蓮司の小役人ぶり丸出しの所轄署長が傑作でした。それでもほとんど怪演といえるレベルだった萩原流行がいちばん強烈で、劇中でほとんど瞬きしてなかったんじゃないかというガンギマリ演技です。あんなに長時間にわたって行員たちがバカバカしい訓練に付き合うというところは、もう一種の不条理劇のレベルに達していたと思います。“死体”の張り紙も笑ったけど、“レイプ”“空気”はもう最高でした。舞台となる金融機関は“平商工信用組合”となっていましたが驚くことに(現在も存続しているかは不明ですが)実在の金融機関で、さすが昭和の映画、現在ではこんなこと絶対にできないと断言しちゃいます。こんな傑作な作品の知名度が低いというのは、私には本当に解せないところです。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-12-16 22:44:23)
6.  デッドマン(1995) 《ネタバレ》 
ジム・ジャームッシュの現在までの唯一撮ったウエスタン、ジャームッシュ史上もっとも豪華な出演者を揃えている作品でもあります。ジョニー・デップが演じる主人公の名前がウィリアム・ブレイクであり、本作自体が英国の大詩人ウィリアム・ブレイクの詩と思想に対するオマージュがプロットなんだそうな。浅学な自分はブレイクのことなんて皆目判らないけど、セリフや登場人物の名前などが多々引用されているらしい。あとサブキャラ的な登場人物にはやたらとロック・ミュージシャンの名前がそのまま使われており、一例としてはロバート・ミッチャムが演じた役名はアイアン・メイデンのボーカルであるブルース・ディッキンソンが由来だったりとかね。まあこういうところはあくまでジャームッシュの個人的な趣味の反映で、ストーリー自体には有機的な関りは薄いけどね。 あくまで本作は西部劇ではあるけどやはり所謂ジャームッシュ節は健在で、短いシークエンスの集積みたいな構成でその変わり目は画面暗転で繋ぐ、ジョニデと遭遇するサブキャラたちがみんな揃って「煙草をくれ」とせがむというジャームッシュ作品ではお馴染みの煙草への拘り、などです。本質的にはこの映画はジョニデと原住民ノーバディーのロードムービーなんだと思いますが、“デッドマン”というタイトル通りジョニデは前半のどこかで死んでいて、死者のジョニデが黄泉の国に流されてゆくのがラストシーンなんではないかな。この原住民ノーバディーがなかなかいい味を出しているんだけど、名前は忘れちゃったけどサッカー関係者でとんねるずのヴァラエティーによく出ていた人と瓜二つなんだよな(笑)。ランス・ヘンリクセンが演じる殺し屋の不気味さもかなりのもんで、死体の頭を踏みつぶすわ相棒を射殺してなんと喰っちまう、あの焚火にあたりながらなんかの肉を喰っているカット、それが人の腕だったと判ったときはちょっと衝撃でした。 まあ大多数の人にはジャームッシュの文学趣味が炸裂するこの映画は「なんじゃコリャ?」となるでしょうが、ジャームッシュ節愛好家の自分にはけっこうイイ感じな作品でした。あと完成した映像を見ながら即興でつけたニール・ヤングのギター演奏は、掛け値なしに渋い。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-12-04 20:06:39)
7.  始皇帝暗殺 《ネタバレ》 
荊軻と言えば中華史上もっとも有名な刺客、なんせ後の始皇帝となる秦王政をあわや暗殺する間際にまで追い込んだ人物ですからね。その荊軻と秦王政にこれは架空の人物である趙姫をはさみ、そこに呂不韋・嫪毐を絡ませた一種の群像劇のような構成となっています。 荊軻と言えば有名な割には『史記』にしか史料が残っていないような人物、一般に知られる荊軻像とはかけ離れたような大胆なキャラとなっています。まず初登場時の容貌からして『電波少年』に出ていたころのなすびにそっくり、壮士として知られる人物とは到底思えない姿。本来はカネで動く単なる殺し屋という設定で、しかもアヘンでも吸ってラリってるんじゃないかという感じの緩慢な動作。秦王政も後年の始皇帝となる人物のイメージにはほど遠く、その言動にはなんかガキっぽさが感じられます。そこはやはり趙姫=コン・リーの存在感と凛とした美貌は際立っており、やはり本作は彼女のための映画だったと言えるでしょう。燕丹が仕掛けた秦王政の暗殺計画が趙姫の発案で政と共謀した謀略とするのはもちろんフィクションですけど、ストーリーに深みを与える面では成功していると思います。『史記』では荊軻は臆病と思われたほどに無駄な危険を犯さなかったとされるが、劇中でも盗みを犯した子供を救うために要求されるがまま這いつくばって店の主人の股をくぐるけど、これって有名な“韓信の股くぐり”の故事のパクりじゃん(笑)。野外での合戦や王宮でのシーンはカネかけただけあって迫力満点です。でも趙の邯鄲が秦に攻め落とされるシークエンスでは、趙の幼い子供たちが城壁から次々と投身するところや趙姫が生き埋めにされた子供たちを見つけるシーンには心が痛みました。生き埋めは始皇帝の得意技と言っても過言じゃない処刑ですが、王朝の滅亡時の“王家一族郎党皆殺し”は、その後の中華王朝では何度も繰り返された伝統芸みたいなもんですね。あと嫪毐のクーデター失敗のシークエンスもなかなか凄い絵面でしたが、私には嫪毐が生瀬勝久が演じているとしか思えなかったんです、似てますよね(笑)。 この時代の中国史に多少なりとも興味があればいろいろと突っ込んだりもできてそれなりに愉しめる作品だと思いますけど、そうじゃないとちょっと見続けるのはキツいかも。でも作品としてはフィクションを交えながらも骨太なストーリーで見応えはあったと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-11-29 22:40:06)
8.  非常線の女 《ネタバレ》 
恥ずかしながら小津安二郎がギャング映画的な作品をサイレント時代に撮っていたとは知らなんだが、たしかにこの作品にはハリウッド映画の影響が強く感じられるけど、まあ言ってみればギャングというよりは小津版任侠映画といったところかな。元ボクサーの岡譲二はヤクザというよりは与太者のボス、田中絹代はその情婦だが昼は普通の会社でズべ公の本性を隠し大人しく上品なOL(当時は女事務員と言うのが正しいか)なのである。手下には“姐御”と呼ばれる存在なのに、言い寄ってくる社長の息子の副社長をおぼこっぽいふりをして貢がせるしたたかな女です。岡のグループに入ってきた不良学生には姉がいて、弟を更生させようとする彼女と出会ってから、岡の与太者稼業が思わぬ展開になってくるんです。 確かに本作はギャング・任侠的な要素が濃厚ですけど、さすが松竹らしく女優を愛でる映画なんです。戦後の田中絹代しか知らなかった自分ですが、当時20代半ばの田中の顔つきの幼さには驚かされました。これじゃ昼間のOLはともかくとしてもギャングの情婦という役柄はミスキャストという声があるのも止むを得ないかもと思います。でも演技力は確かなもので、終盤の展開ではなんかホロリと来るものがありました。しかしなんといっても姉役の水久保澄子を知ることが出来たのは大収穫でした。松竹歌劇団出身の彼女は当時まだ17歳、その目を引く美貌は元祖アイドル女優とも言われているのは納得です。そんな将来を嘱望されていた彼女ですが、自殺未遂を図ったり移籍した日活ではいろいろと揉め事を起こした挙句に35年にフィリピン人と電撃結婚して渡比、2年で離婚して帰国したけど映画界からは追放状態でその後映画出演はありませんでした。本作を観る限りでは美貌だけでなく引き付けられる演技力も持っており、このままキャリアを積めば原節子並みの大女優になっていたかもしれないし、実に残念なことです。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-11-23 23:10:24)
9.  新 仁義なき戦い 組長最後の日 《ネタバレ》 
もう飯干晃一の原作とは何の関係もなくなっていた新シリーズの白鳥の歌、そして未練がましく続行するつもりだった東映の思惑が外れて文太・深作コンビの最終作となってしまった一遍です。すでにまったくのフィクションですが、実録ものじゃないだけに考えようではキレまくったストーリーだったとも言えます。個人的にはけっこう愉しめました。 末端のチンピラ売人同士のイザコザが大阪の大組織と九州の暴力団連合との戦争になってゆくというストーリーですが、手打ちになる展開を昔気質というか単なるKYとも見える菅原文太がぶち壊してしまうという展開です。東映がカーアクションに凝り始めたころの撮影ですので、とくに山道でのダンプ2台での襲撃シークエンスはけっこう見応えがありました。文太に狙われる大阪の組長は、どうもあの神戸の組織の三代目がモデルみたいですね。この小沢栄太郎が演じる大物は結局心臓発作で瀕死の状態になるのですが、その病室にカチこんで子分が「おやっさんはもう助からない、どうか安らかに逝かせてくれ」と懇願するのに射殺する文太の非情さにはちょっと震えます。もっとも護送される直前にパトカーを奪って小沢栄太郎を殺しに行く展開は、さすがに「そんなことあり得んだろ!」と呆れてしまいましたがね。妹の松原智恵子とは近親相姦の関係だったとか、文太のキャラはかなり癖が強かったですね。 まあ普通のヤクザ映画としては退屈しない出来だったと思いますが、このシリーズを通じてエスカレートしてきた手振れカメラ撮影が五月蠅過ぎた感がありました。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-11-02 22:27:45)
10.  ミステリー・トレイン 《ネタバレ》 
“何も起こらない映画”の名手ジム・ジャームッシュ、初期作にはそんな称号が相応しかった作風が“大した事じゃないけど何かが起こる”風に変わってきた中期の作品です。メンフィスのホテルに泊まった三組の登場人物たちの一夜の体験を時系列をずらして群像劇として見せるというのはもうジャームッシュ版の『パルプフィクション』ですけど、タランティーノが撮る五年も前の映画なんですよね、これはタランティーノがパク…いや多大なる影響を受けたと言っても過言じゃないでしょ。バブル全盛期だった日本からJVCが出資したので永瀬正敏と工藤夕貴がキャスティングされたのかもしれませんが、二人は日本語で演技して他のアメリカ人俳優とはほとんど絡みはないけど、なんか二人のセリフ回しが(とくに工藤夕貴)拙く聞こえちゃうんだよな。やっぱ外国人を起用してその母国語で演技させると、監督には外国語なのでセリフ回しのニュアンスあたりには理解が及ぼないんだろうな。二人はしっかりエッチまでしてくれるけど、工藤がタバコを吸って永瀬に口づけしてその紫煙を長瀬が吸い取って吐き出すところは他に観たことない斬新なシーンでした。さすが『コーヒー&シガレッツ』のジャームッシュ、タバコに関しては拘りがありますね。二話目でニコレッタ・ブラスキにインチキなエルヴィス怪談で怖がらせてケチな寸借詐欺を仕掛けるトム・ヌーナン、なんせあのトム・ヌーナンですから怪談噺よりお前の存在自体がよっぽど怖いわ(笑)。そして三話目のスティーヴ・ブシェミたちの酔っ払いトリオの愚行には笑わせていただきました、こういうシチュエーションを演じさせたらスティーヴ・ブシェミはやはりピカイチです。 ①ホテルの宿泊代が一部屋22ドル②ジョー・ストラマーが酒屋で注文した酒代が22ドル③そして三人がホテルで割り当てられた部屋が22号室、この映画ではやたらと“22”という数字が出てくるんですよ、こういう拘りというか遊びがちりばめられているところがジャームッシュらしいところなんです、まあ意味不明ですけどね。あと、メンフィスからローマへの直行便は有りません、この人は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』でもフロリダの田舎空港からブダペスト行きの直行便を飛ばした前科がありましたっけね(笑)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-10-31 21:09:51)
11.  唄う六人の女 《ネタバレ》 
伝説のカルト映画『狂わせたいの』や未だに熱狂的なファンがいるバラエティー番組『オーマイキー』などで知られる石橋義正の、なんと13年ぶりの監督作品です。自分はその13年前の『ミロクローゼ』しか観ていないのですが、これもかなりのオフビートで度肝を抜かれました。その後はなんの活動も耳にせず「どうしちゃったんだろう?」と訝っていたらまさかの13年ぶりの映画製作、ただただ驚きましたよ。しかも『ミロクローゼ』で一人何役も怪演した山田孝之が出演、この人はアイドル好きだったりするしユニークなことに対する審美眼の様なものを持っていて信頼できる俳優です。 とんでもない山奥で謎の六人の美女たちに囚われてなぜか森から脱出できない二人の男、私はこの不条理劇の様な前半パートが好みです。なかなかの美形を揃えたこの六人、うめき声の様なものは発するけど全編で無言・セリフなしというシュールさもいいですねえ。彼女らには一応はキャラ分けはされているけど、ずっとリクライニングチェアに横たわってただ足を上げたり下げたりするだけの女は際立ってわけが判らん存在でした。冒頭からしてやたら昆虫や蛇が出てくるので耐性がない人にはきついかもしれないが、思うに彼女たちは森に生きる昆虫や両生類などの化身というか精霊みたいな存在と解釈できるでしょう。伏線回収を図ってゆく後半部は、核廃棄物処理施設なんかが出てきて理屈っぽくなったのは自分としてはちょっと残念な感じ、もっと不条理性をつき通して欲しかったな。でも山田孝之や竹野内豊の最期にはリアルとファンタジーの境目が意識され、良い幕の閉め方だったかと思います。 この映画は石橋義正の三本しかない劇場映画の中では尺は最長だし、これでもその中でもっとも一般受けしそうな作品かと思います。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-10-25 21:55:53)
12.  大人の見る絵本 生れてはみたけれど 《ネタバレ》 
最近“親ガチャ”なる言葉というか概念が流行ったが、この映画のテーマはまさに“昭和初年の親ガチャ”物語と言えるでしょう。これはもうどんな人間にも付きまとう不合理かつ宿命みたいなもんで、子供は自分の名前さえ選べないんだからどうしようもないことでしょう。この映画の時代のようにそりゃ戦前の方が貧乏人と金持ちの差は大きく、一種の階級社会みたいになっていたんじゃないかな。明治時代なら勉学や努力によって偉くなる=立身出世という“坂の上の雲”があったが、国家体制の骨格が固まってしまった昭和の時代には、日本社会に階層の固定化という閉塞感はあったと思います。 そんな金融恐慌が社会につけた傷がまだ癒えない時代の、中流サラリーマン氏の奮闘物語です。勤務先の専務の居住地近くに引っ越してきた吉井氏、上司へのへつらいがが功を奏してやっと課長の座を射止める。劇中頻繁に往来する電車は池上線なんだそうで、となるとあの郊外風景は旗の台とか雪が谷大塚あたりなのかもしれないが、現代の感覚ではまるで奥多摩の奥地みたいな風景です。主人公一家はこの線路脇に住んでいてそれは頻繁に電車が走るところが映りまるで現代の山手線のダイヤの様な錯覚がおこるけど、当時にこんなに電車の本数が多いわけがない。これは小津が意図してフレームに入るようにダイヤに合わせて撮影したみたいで、彼独特の東京的なものへの拘りとして意味があるのかもしれない。前半は吉井氏の二人の男児の日常生活と近所の子供たちとの交遊がメイン、この子役たちがサイレントとは思えない瑞々しい演技を見せるんです。近所のガキ大将グループに一人だけ幼女がくっついて来るが、この子の背中に「食べ物を与えないでください」みたいなことを書いた張り紙が貼ってあるのが面白い。雀の巣から卵をかっぱらって生で食べちゃうのにはびっくりしました、これって健康に害はないんだろうか?そんなガキ大将グループには専務の息子・太郎もいて、太郎の家で観た8ミリ上映会で会社で専務に媚びて完全にピエロとなった父親の姿を観てしまい、兄弟は親ガチャの悲哀に打ちのめされるのでした。 ここからの展開はパターン通りながらもいかにも小津映画らしくて印象に残ります。あれだけ痛いところを突く暴言を浴びせたなら戦前の父親なら例え小学生でも叩きのめしそうですが、せいぜいお尻ペンペンぐらいであとは内省してしまう人物像はいかにも小津作品らしいキャラでした。サイレント映画ですから字幕はそれこそ最小限という感じでしたが、不思議と声は聞こえずとも演者の言っていることが理解できるんですよね。何でもかんでもセリフで説明するストーリーテリングしかできない監督が日本では多いんですから、少しはこういうサイレント映画から学んで欲しいもんです。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-10-16 22:40:31)
13.  新・仁義なき戦い 組長の首 《ネタバレ》 
菅原文太が主演するだけでもはや『仁義なき戦い』とはなんの関係もなくなった物語で実録路線でもないフィクション、ここまで来るともはやタイトル詐欺、『組長の首』にしてもペキンパーの『ガルシアの首』のパクりですしね。ヤク中で破滅するサブキャラになんと山崎努が起用されているのが驚き、彼は東映初出演だったが本来は松方弘樹が予定されていたキャラだそうです。でも『暴力金脈』の単独主演が成功して役者としての自信が出てきた松方はキャスティングを拒否、文太も「わしゃぁもう実録路線には出演せん!」とごねた挙句の完全フィクション脚本、いろいろと製作には苦労があったみたいです。でも山崎のシャブで破滅する大物組長の娘婿というキャラはさすがにいい演技を見せてくれ、なんかお得な気分になれました。“修羅の国”北九州が舞台で文太が演じるキャラの方は単に“旅人”としか説明がない流れ者、でも『仁義なき戦い』の広能昌三とは違ってなんか脂ぎって執念深い生々しい男で、自分が対立組長を射殺して7年も懲役くらったのに出所後の対応が酷いと流れ者のくせにゴネて老舗組織をひっかきまわす。仁義とか義理なんて眼中になくひたすらカネと地位を追及する男で、考えてみればこいつさえ存在しなければ西村晃も成田三樹夫も室田日出男も死なずに済んだんじゃないかな、最後に自分だけは野望を成就して終わりってなんか酷くない?実在のモデルが存命中だった『仁義なき戦い』ではでは無理だったリアルなヤクザ像を、フィクションであるからこそ文太のキャラに投影できたんじゃないかな。あと抱いた男がみな死んでしまうという究極の死神女・ひし美ゆり子が強烈な印象を残してくれます。なんせあのアンヌ隊員が脱ぎまくるんですからね、こりゃ衝撃ですよ。薄幸の女という梶芽衣子が演じそうなキャラではなく、自分の魔性を自覚しながらしぶとく世渡りするしたたかな女だったところも良かったです。この死神女ぶりを判っているのに愛人としている成田三樹夫の(ちょっとここでは書きづらい)厄除け法が面白い、というか笑っちゃいます。けっきょく彼もジンクスは破れなかったけどね(笑)。まあ『仁義なき戦い』に拘らなければ、普通に退屈させないヤクザ映画だったと思います。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-09-24 23:49:02)
14.  記憶にございません! 《ネタバレ》 
三谷幸喜の映画は久しぶりに観たけど、こんなに毒味がない作風だったとはちょっとがっかりでした。世間から嫌われている総理大臣が記憶喪失になったのを機会にイイ政治家に生まれ変わるというプロットは、すでにご指摘のある方もいる通り『チャップリンの独裁者』にルーツがあるストーリーですでに同じようなプロットの映画も存在するが、『独裁者』もだがたいていは政治家とそっくりさんが入れ替わるパターンで、本人が記憶喪失で改心してしまうのは珍しいかな。較べると『独裁者』には失礼かもしれないけど、ラストに主人公の大演説があるというのも確かに似ている。でも同じ題材ならやはり宮藤官九郎が監督したほうが面白かっただろうな、と感じざるを得ないところです、なんか弾け方が足りないんだよな。 まあリアル感が薄いメルヘンチックなお話なので目くじら立てたら野暮なのかもしれんが、あんだけ人格が変わってしまったら違和感が強すぎて世間はともかく官房長官以下の閣僚には気づかれそうなもんだけどね。政治のことは全部記憶が喪失してるのに子供のころのことは覚えているというのも、なんか都合よすぎじゃないかなこの脚本は。あとこの映画が製作されたのが19年で22年のあの事件のもちろん前ですが、現職の総理が石を投げつけられて負傷したり演説中にパチンコで狙われるなんて展開は、現在ではもうシャレにならずエンタメ化なんてもう無理でしょう。まさに“事実は小説よりも奇なり”です。 想像以上に光っていたのは女優陣で、中でも小池栄子はさすがの芸達者でした。私には前半のTV放送で突如出演する羽目になって無表情でヘンなダンスするところがツボでした、この映画で唯一笑わせていただけたシーンです。あと妙にバタ臭いニュースキャスター、まさかあれが有働由美子だったとは観てるときには全然気づきませんでした、まさにサプライズ! 不思議だったこと:なぜか総理以下の登場人物がみなスマホじゃなくてガラケーを使っていたこと、政府関係者だけかと思ったらフリージャーナリスト役の佐藤浩市も明らかにガラケーでした、90年代あたりが時代設定なら判るけどねえ…
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-09-21 22:33:17)
15.  首(2023) 《ネタバレ》 
北野武の“戦国版『アウトレイジ』”というか“戦国版『日本統一』”といった感じでしょうか。戦国武将たちの国盗り合戦をヤクザ組織の抗争を透写したようなストーリーテリングは、たしかに北野武にしか許されないプロットだったなと思います。『アウトレイジ』で山王会の若頭に出世したのに大友=たけしに復讐されて散った加瀬亮に織田信長を怪演させるので余計に『アウトレイジ』味が感じさせられるのですが、いっそのこと三浦友和・西田敏行・塩見三省あたりまでキャスティングしたらと思ったりしたけど、いくら何でもやり過ぎか(笑)。でも三浦友和は明智光秀には適役のような気がします。■“全員悪人”という『アウトレイジ』のキャッチコピーを引き継いだような武将たちのキャラ付けなんだけど、羽柴秀吉=たけしがここまで悪辣なキャラを演じたというのは北野映画で初めてなんじゃなかろうか。たけしって自作ではヤクザや刑事などのいかにもワルと世間ではイメージされるキャラを演じているけど、ワルなのにどこか人情味があったりお人好しな部分がどの役にもあるんだよな。北野武という人は突き詰めるとナルシストだと自分は分析していてそれがたけしが主演する北野映画には独特の臭みがあると感じるのですが、本作では徹底的にずる賢くて冷酷な秀吉となって今までのパターンからついに脱皮したと思います。だけど彼の年齢を考えるとちょっと遅きに失したの感もあります。でも秀長=大森南朋との掛け合いには往年のビートたけしらしさが見えて面白かったです。また大島渚の影響なのか武士=男色の世界が強調されてまるでBL映画的な様相を呈していますが、百姓出自で無類の女好きだった秀吉にはまったく理解の及ぶ世界ではないという対比は面白い観点だったと思います。■難を言えばやはり極端に走り過ぎた信長像となるでしょうね。終始尾張弁でがなり捲るサイコパスに過ぎないという感じで、いくら何でもあわや天下布武を成し遂げようとしていた傑物にはとうてい見えない。せめて本能寺ではカッコよく果てるのかと思いきや、これまた予想をはるかに超えた最期、これじゃ光秀がいくら血眼になっても信長の首が見つかるわけないですね(笑)。■けっきょく本能寺の変は秀吉が仕組んだというのが北野説となるわけですが、考えてみると『アウトレイジ』で山王会や花菱会の城壁を突き崩せなかった大友=たけしが、ついに雪辱を果たして天下を盗る物語だったとも解釈できるんじゃないでしょうか。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-09-09 22:03:01)
16.  十三人の刺客(2010) 《ネタバレ》 
オリジナルが持つ無常観は微塵もないけれど、『七人の侍』的な要素というか戦闘・チャンバラのシークエンスを前面に押し出したリメイクと言えるでしょう。この江戸版テルモピュライの戦いともとれるシチュエーションで、やはり重要となるのは決戦の地である落合宿の要塞化であることは戦術の基本であり、隘路に大軍を入り込ませて戦力を分散させるというのは合理的です。本作ではこの落合宿要塞化の描写に力を入れているけど、あんな短時間であそこまでの仕掛けを造るというのは、ちょっと嘘くさくなり過ぎの感もあります。まあそこはとかくやり過ぎるところが持ち味の三池崇史が監督ですからね、サービス精神が過剰になるのは必然でしょう。 とにかくこの映画は、稲垣吾郎のサイコパス殿様がおいしいところを全部持って行ってしまったと言えるでしょう。こんだけ狂っていれば排除されるのも当然と言えば当然、この殿様のキャラ付けこそがオリジナルになかった要素で、あまりに酷いので鬼頭半兵衛=市村正親が主君を守ろうとすること自体が悪事の片棒を担いでいるような微妙な感じになってしまいます。対する島田新左衛門=役所広司は相変わらずの飄々とした演技、とても大博打に打って出る凄腕武士には見えないんだよな。自分ははっきり言ってミスキャストだと思うんだが、2010年以降は彼が主役という日本映画が多すぎるとも思います。俳優にはそれぞれ演技パターンに応じた役柄があるもので、大物俳優の層が薄いというよりもぶっちゃけ役所の名前を出せば企画が通りやすいという風潮があるのかもしれない。彼の演技の最大の難点はとにかくセリフが一本調子でなおかつ聞き取りにくいというところで、映画館ではどうだったかは判りませんが普通にTVで視聴するとまったく聞き取れずヘッドホン着用が必須でした。まあ他の俳優たちのセリフも聞き取りにくかったのは共通で、これはやはり監督の責任でしょう。 けっこうエグい場面が多かったが、戦闘シーンでは意外と血しぶき描写が少なかった印象もあります。いちばん?だったのは伊勢谷友介の復活で、「こいつは化け物か…」と絶句してしまいました。まあこういうところが三池崇史らしいと言えますけどね。 地上波では絶対放送できない本作に、よくTV朝日が出資したもんだ。これもまだSMAPだった稲垣吾郎が出演するのであの事務所に対する忖度が働いたのか、はたまたプロデューサーに騙されたのか(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-09-03 23:35:28)
17.  親不孝通り 《ネタバレ》 
日活の石原裕次郎&浅丘ルリ子と並ぶ、当時の大映のゴールデン・コンビ川口浩&野添ひとみ、この二人と増村保造は相性が良かったんじゃないかと思う。自身の出自もあるけど、川口浩は育ちが良いけどちょっとグレた若者や大学生を演じさせたらほんと自然な感じで上手いんだよな。本作でも賭けボウリングで稼ぎ銀座の裏通りあたりで毎晩飲み歩く卒業間近の大学生、でもマメに会社訪問をして就職活動は怠らないのである。「あの人は六大学のボウリング・チャンピオンなのよ」女子学生のセリフもあり、自分の勝手なイメージでは法政大生って感じかな。彼の姉=桂木洋子は服飾デザイナーで証券会社員の船越英二と結婚を夢見て交際するけど、妊娠してしまい中絶することに。面白いというか不思議なところは、桂木洋子には中絶することには大して抵抗がない感じでそれよりも船越英二に結婚する気がないという事の方がショックだったみたい。今ではちょっと考えられないことだけど、人口爆増中の高度成長期に入った当時の日本では中絶に対する社会の認識がけっこう軽かったみたいなことを何かの本で読んだ記憶が甦りました。それを知って激怒した弟・川口浩は、溺愛する女子大生の妹=野添ひとみをモノにし妊娠させて捨てて船越英二に復讐することを画策する。二人が出会って知り合うところはちょっとご都合主義が過ぎた気もしますけどね。思惑通りに野添ひとみを孕ませたけど、彼女の決断で事態は思わぬ方向へ向かう。 まあ予想が付きやすいストーリー展開だけど、増村保造流のテンポの良い演出と川口浩の好演でサクサクと観れます。脇では学生たちのたまり場になる居酒屋の主人=潮万太郎が良い味出してました。この人は当時の大映作品には欠かせない名バイプレーヤーです。銀座界隈には親不孝通りなんてものはなく、本家は福岡の予備校が立ち並ぶ通りのことなんですが、劇中では川口浩も野添ひとみも親は出てこないのは笑っちゃいます。けっきょく、どう転んでも船越英二が川口浩の義兄になるのが運命でした(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-08-27 23:38:51)
18.  顔(1957) 《ネタバレ》 
松本清張の最初期の推理短編小説が原作だが、調べると驚くほど頻繁にTVドラマ化されていて今年も後藤久美子主演で放映されています、知らなかったけど清張原作としては最多の映像化なんじゃないかな。もっとも原作とは設定等が大幅に改変されていて、犯人自体が男女逆転していてもはや小説『顔』の映画化とは言い難いぐらい、TVドラマ群も似たようなもんですけどね。 冒頭でのヒロイン岡田茉莉子の行動は、これが殺人かと言うとちょっと?でせいぜい過失致死ぐらいなんじゃないでしょうか。死んだのが無免許の堕胎医で岡田が堕胎希望者をこの偽医師に紹介していて、腕が悪い偽医師のせいで何十人も術後に死亡したという事がこのストーリー内での重大犯罪であるわけだが、あまりに昭和的な価値観なので現代の眼では違和感が強い。笠智衆が演じるのは田舎の刑事なんだが、彼が警視庁の捜査に参加して名探偵ぶりを見せるという展開もなんか現実味が薄い、縦社会の警察組織なのに他県の刑事が警視庁に出入りするなんてあり得ないんじゃないかな。でも岡田茉莉子と犯行現場に偶然居合わせた大木実はなかなか面白いキャラ設定だったと思います。見た目は純情そうなファッションモデルである岡田が実は裏ではスポンサーになりそうなスケベ親父には体を許し世話になっていた先輩モデルを蹴落とそうする、まるで『イヴの総て』のアン・バクスターみたいだし、組合活動家崩れの大木の小悪党ぶりもなかなかです。歳を喰ってからの彼女しか知らなかった自分でしたが、若き日の岡田茉莉子の美人ぶりは半端じゃなかったという事が知れたのは、大きな収穫だったと思います。黛敏郎の音楽やストーリーテリングには確かにシュールさを感じるところがあり、岡田が大木を電波塔みたいなところに呼び出して転落死させることを妄想する件なんかヒッチコックの『めまい』を彷彿させてくれるが、実は驚くべきことに本作の方が公開は先なんですよ。まさかヒッチコックの方が本作をパクったのか、そんなわけないでしょ(笑)。 岡田の恋人みたいな位置付けの野球選手の存在や大木のあまりにご都合主義な事故死など雑なところもありますが、なかなか大胆な脚色だったと思います。とにかく岡田茉莉子をとくとご堪能あれ、ですな。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-08-15 22:29:45)
19.  白昼の死角 《ネタバレ》 
過去に商法・手形小切手法をかじったことがある身だけど、正直言って約束手形と言うものは実に判りにくい制度でもある。約束手形の法理なんて理解できていたとは言い難いし今ではすっかり忘れてしまったけど、約束手形と言うものは厄介な代物で無借金経営の様な優良企業には用ないものだというイメージがある。なんでも2026年には紙の手形小切手は廃止されて電子化されるそうで、最近はめっきりニュースなどでも耳にすることもなくなっている手形パクリや手形サルベージと言った犯罪も消滅してゆくんだろうな。 高木彬光の原作は、手形詐欺を扱った日本では珍しい部類の推理小説というか経済犯罪がテーマのピカレスク小説です。この映画化である本作は、角川春樹がプロデューサーをしているけど角川映画ではなく、あくまで東映の映画です。だもんで、普段の角川映画では見られない様な大物俳優がこれでもかというぐらいに登場する賑やかさです。友情出演や特別出演の大物の他にも、原作者の高木彬光や角川春樹そして鬼頭史郎(もはやこの人が何をやらかしたのか覚えている人はいないでしょうね)といった色物(?)までも顔だししてるんですからねえ。主人公演じる夏八木勲は、確かに大作映画の主演と言うのは珍しい言えますが、終始脂ぎった色艶の顔でとても東大法学部卒のインテリらしくないところが難点だったかもしれない。実在の事件をモチーフにしているそうですが、劇中で描かれる手形パクリの手口はなんか乱暴であまり知的な感じがしないってのもどうなのかな。実際夏八木勲は善意の第三者という盲点を突いて稼ぐわけだけど、起訴されないとは言っても警察には完全にマークされているわけで、どこかで綻びが出て逮捕されるというのは必然でしょ。闇の権力者の尽力で保釈されて結局は海外に逃亡するという結末には、ちょっと肩透かしされた気分です。けっきょく昭和のアナログ時代のお話しで、生身の姿を相手に晒さないといけなかったのが宿命で、匿名が当たり前の現代のSNS詐欺の方がはるかに知的犯罪としての要件を満たしているんじゃないかな。 監督の村川透は本作がフィルモグラフィ中で最大の大作、でも撮り方は東映セントラルフィルム時代と同じなんでなんか安っぽさが目に付いちゃうんだよな。千葉真一なんかもうちょっと違う活かし方があったんじゃないかな、出番は少ないしあれじゃ『仁義なき戦い 広島死闘篇』の大友勝利と大して変わらん(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-08-03 23:58:00)
20.  女が階段を上る時 《ネタバレ》 
菊島隆三と言えば黒澤映画の名脚本家というイメージがあるけど、成瀬巳喜男作品も書いていたとは知りませんでした、しかもプロデューサーまで務めていたとは。そして高峰秀子はやはり成瀬巳喜男とのコンビネーションがベストで、木下恵介作品で演じるヒロインよりも生々しい女性像を見せてくれます。銀座のバーで雇われマダムという役柄は、これが大映ならば間違いなく若尾文子が演じるだろうけど、色々と所帯じみた苦労を背負った身持ちが固く堅実なマダムとなると、やっぱ高峰秀子にピッタリのキャラです。若尾文子だとどうしても妖艶な不思議ちゃん的なヒロイン像になりがちですからね。高峰秀子が務めるバーは二階にあるので階段を昇って店に入るわけだが、これが苦労の絶えない私生活から自らの戦場である異界に足を踏み入れる様な感じがします。この階段を昇るというカットは、面白いことに2年後に川島雄三が『しとやかな獣』で若尾文子が再現(こっちは階段を下るんだったかな?)していて、これは一種のオマージュなのかな。ホステスたちの生態もけっこうリアルで、中でも高峰にモーションかけていた中村鴈治郎に横からちょっかいかけて、ちゃっかり独立して自分の店を持つ団令子がいかにもな感じで良かったな。ラストで高峰秀子の店を辞めて団令子の店に移ろうとしていた仲代達也を相手にしないしたたかさもあり、きっと彼女はこれから銀座でのし上がってゆくんじゃないかな。仲代達也は徹底的にクールで実利的な男を演じていましたが、ちょっと影が薄いキャラだった感があります。そして、やはり一番強烈なインパクトを残したのが加東大介でしょう。その正体が明らかになったところでは、それまであまりに善人としか見えなかったので、「この男はサイコパスだったのか…」とゾッとさせられましたよ。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-07-21 22:01:46)
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