1. 闇の列車、光の旅
《ネタバレ》 個人的な話で申しわけありませんが私はクソ男が嫌いだ。その「クソ男」が主役でした。主役はクソギャング。クソがクソったれの男の子をギャングに勧誘したことがきっかけで、そのクソの男の子に殺されてしまうというクソドラマなのです・・。救いようがありません。普段なら躊躇なく0点ですね。ただ、映像が恐ろしいほど綺麗でした。こんな綺麗な映像は、タイトルは忘れましたが、台湾の監督が作った日本の北海道を舞台にしたあの映画を彷彿とさせるほど素晴らしかったです。こうみえても私も18切符を使って四国一周旅行をしたことがあるのですが、「闇の列車、光の旅」で、主役のクソとヒロインがアメリカへ行こうとしているその列車の描写は、まさにその「四国」と一緒な印象を受けました。主役のクソは悪党でした。しかし彼は「愛」を知って、理不尽な行動に出る。それが悪の頂点にたつクソボスを殺すという暴挙です。「愛」は見境がなくて怖い。しかし「愛」は損得なんて忘れてしまう。主役のクソはなんと「愛」のせいで、ギャングから「善人」になってしまった・・。それゆえに殺されてしまう。そんな物語、私の知る限り、何百回も観てきた・・。しかし何度観てもやはり切ない。悪が善になったがために自滅するという話・・。久しぶりにクソ男に同情して好感を持ってしまいました。想像を絶する綺麗な映像に乾杯!ワウワウに乾杯!クソ男に乾杯! [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-11-13 21:12:30) |
2. パンズ・ラビリンス
《ネタバレ》 グロテスクな映像ですら「娯楽」の1つとして魅せていました。「あなたの生まれてくる世の中は残念だけど、とってもつらいわ」と母親のおなかにいる赤ん坊に問いかけるオフェリアに泣かされます。大人が人生に苦しむのはまだ我慢できる。しかし幼い子供が人生に苦しむのは許しがたい。スペインの内戦といえば実際に自ら従軍したヘミングウェイの「誰がために鐘はなる」を読んで昔衝撃を受けたことがありますが、ここで展開される内戦はそんな壮大なものではなくて、あくまでも生きるという事の辛さを伝えるためのものでした。仮に戦争中ではなくて裕福な日本であっても、自殺に成功する人が毎年3万人、自殺に失敗する未遂者がその10倍、つまり1日に900人前後の人がどこかで自殺を試みているわけですから、人生の苦しみというのは、いつの時代であろうが、どこであろうが相対的なんだと思います。つまりこれは特別な人の、特別な場所で起きた、特別な物語ではなくて、誰にでも訪れるであろう普遍的な物語でした。だから共感できる。オフェリアが試練を乗り越えたら、悲しみのない幸せな国の王女様になれるという空想を持つ事だって、滑稽で同情すべきものではないと思います。たとえば仏教の教えは善行を積めば極楽浄土へ行けると言いますが、それはオフェリアの空想となんら変わりません。人間は不安に耐えるために空想を作り出すのです。オフェリアの不安の原因を「戦争」という遠大なものではなくて、もっと身近な「大尉」というものに焦点を絞ったのは分かりやすくてよかったです。この大尉は、自分の妻ですら、女は子供を生む機械だという態度で腹がたちます。彼は自分の遺伝子を残すという動物的な本能以外は何も思想がありません。ひどい男です。オフェリアの唯一の理解者であるメルセデスが大尉の口を裂いたときは痛快でした。ボクシング中継を観ているときのように、そこだ、右だ、よし左、やれ、ぶち殺せ、と叫んで応援してしまいました。この映画はメルセデスが一番輝いていたと思います。本当に哀しい物語ですが、この映画が終わった後、つまり監督が「はい、カット」と言った後に、メルセデスと死んだはずのオフェリアが立ち上がって、2人は仲よく微笑みながら珈琲を飲んでいる。そういう光景を空想して悲しみを紛らわせたいと思います。 空想は人間の特権です。 [DVD(字幕)] 9点(2008-04-28 22:37:54)(良:4票) |
3. バベル
《ネタバレ》 1丁の銃が人々の不幸を招いたという見方もできるし、1丁の銃が人々の切れた絆を元に戻す役目を果たしたという見方もできる。皮肉なことに残酷な「銃」が、バベルな人々を再生させるきっかけになっています。「聾唖」は、コミニケーション不全の社会のメタファーだと考えるのが適当だと思いますので、聾唖者(又は日本人)が悪く描かれているという見方をすると、この作品の本質を見失う可能性もあります。つまりこの少女はバベルの塔をつくり、神からコミニケーションを奪われた罪深い人間の象徴として描かれているのです。この映画の本当の主人公でしょう。彼女はコミニケーションに飢えており、奇怪な行動を繰り返すようになる。しかし喋ることができる私たちでしたら、コミニケーションは正常に機能しているのでしょうか?神話の時代に言葉を「分断」されてしまった私たち人間は、今では言葉が通じ合う人たちに対しても、コミニケーション不全に陥ってしまいました。お互いを理解できないモロッコの兄弟や、アメリカの夫婦、日本の父娘をみて、まずそのことに気がつかされます。すべての登場人物たちが、同じ言葉を持つ人たちと意思疎通ができていません。彼らは「銃」をきっかけに、自分の罪を自覚し、一番大切なことに気がつきはじめる。たとえばアメリカの夫婦。妻にもっと努力しろと言っていた夫は、妻が凶弾に倒れ瀕死の状態になったときに、はじめて自分と向き合い、妻に懺悔する。罪の自覚がなかったモロッコの弟は、兄が銃殺されたことによって、死の恐怖を超越するほど強烈な罪の意識が芽生え、銃を持った警察の前に進み出て激しく懺悔する。また、善人であるはずのメキシコの家政婦は、子供に「あなたは悪い人じゃないの?」と言われて「私は悪い人間ではない。ただ愚かなだけなの」と弱々しく言い放つ。誰もが罪を背負って生きているという強烈なメッセージ。彼らは「銃」によって傷つき、そして自分たちの弱さを自覚する。こんな世の中で一番大切なことはまず自分の愚かさに気がつくことなんです。自分の罪を自覚したときにはじめて同じ罪を持った他人を理解できるようになる。バベルの塔を連想させる超高層ビルで抱き合う父娘のラストシーンについて。神から言葉を分断されても、また言葉すら失っても、人間はさまざまな手段でお互いを理解しようと試みる─。コミニケーションの重要性を訴えかけた素晴らしい作品でした。 [DVD(字幕)] 9点(2008-02-12 20:21:43)(良:3票) |
4. モーターサイクル・ダイアリーズ
《ネタバレ》 「旅行もの」としても純粋に楽しめました。彼らの旅行はかなり無謀。それは猪突猛進的な旅行であり、若者特有の怖いもの知らずの行動であり、歳をとって過去を振り返れば「若気の至り」という言葉で笑ってすませることもできるような体験なのでしょう。少し呆れたのは何度もバイクで転ぶシーン。学習能力が足らないですね。彼らが旅行する道は、道とは言えないところばかりだったから、逆によかったのかもしれない。もし日本のかたいアスファルト道路であんなに転んでいたら即死です。無茶な運転ですが、あの様子からも、あふれ出るエネルギーをどうしていいか分からない若者らしさが出ていたようにおもいます。旅行中は、雪が降ってきたり、台風でテントが飛ばされたり、大雨が降ってきたり、灼熱の砂漠を歩いたりと、わざとらしいくらいに、ありとあらゆるシュチエーションが用意されていたのが笑えました。不安と期待が入り混じった本当の旅行の楽しさを味わうことができる映画だとおもいます。今の日本のように道路も整備されて、バスも電車も車も何でもあって、そのうえにカーナビまで揃っている現代では便利な旅行はできるでしょうが、便利であるがゆえに何か寂しい気もします。この映画をみて本当の旅行の楽しみを実感できました。 [DVD(字幕)] 7点(2007-03-09 23:35:06) |
5. アモーレス・ペロス
《ネタバレ》 これを観てどうしても1つだけ気になることがある。それは犬を虐待していたのではないだろうか?という疑問である。 いい映画だけど、それが犬の犠牲によって成り立っているならばこの映画は最低だ。そこで犬の虐待の真相を確かめるべくDVDのメイキングをみる。すると「残酷な映像がありますが、あれは全て特殊撮影なので私たちはワンちゃんたちにまったく危害を加えていませんよ(笑)」と満面の笑みを浮かべて製作者や俳優たちが説明していたがそれを見て私の疑惑はますます深まるばかり。さらにこんなことを言っている。「犬たちは訓練されていてとても優秀なんです、撮影中はクーラーつきの部屋で快適に過ごしていましたよ(笑)」とまた笑う。どうもあやしい。イヌが血みどろの殺し合いをするシーンは特殊撮影だとしても、イヌに死体の真似やいかにも息も絶え絶えという演技ができるとは到底思えない。一番強烈なシーンはイヌを銃で撃ちぬくところだ。あれは明らかにイヌは痛がっていたぞ!監督よ、何をした?すると彼らはこのように言い放つ。「この撮影のあいだにワンちゃんと私たちは信頼関係を築きあげました(笑)」なぜか笑顔だ。ますますあやしい。疑惑の炎が燃え上がる。犬の安否が気になって映画に集中できないんだっつーの!! [DVD(字幕)] 6点(2006-03-28 18:42:42) |
6. フリーダ
《ネタバレ》 偉大な文学は不幸から生まれると言ったのはヘミングウェイ。(たぶん) 芸術もしかり。彼女を知らずして彼女の作品を見ることにあまり意味はないと思う、だからこそこの映画は貴重です。私はフリーダのことをたくさん知ってはじめて彼女の絵を見る資格を得た気がします。彼女の背負ったものは不幸であると同時に一種の情熱だったのかもしれません。少なくとも私がこの映画で知ったフリーダ・カーロは、ろうそくの火が消える瞬間のあの激しい炎の揺らめきのように美しい女性でした。彼女はまさに命尽きる寸前に激しい炎を発生させる燃える女でした(萌える女じゃありませんよ!)いっぱい詰め込みすぎた映画であることは否定しませんが、私は逆にもっと詰め込んで欲しかった。フリーダ・カーロを1つの枠に当てはめることなど到底不可能だと言わんばかりに混乱させてくれたほうが、いかにもフリーダらしいじゃありませんか。彼女は混沌の象徴。シュレアリスムという枠に当てはめること自体ナンセンス。彼女の魅力はアンバランス。知的でありながら世俗的で淫らであるということ─、逞しく強そうに見えながら体が小柄であること─、その美しい容貌とは対照的に体は傷だらけであること─、どれもが相反するアンバランスさを抱えながらそれがフリーダ・カーロという人間を形成している─、彼女の自画像はこのアンバランスの魅力だと思えてなりません。素晴らしい映画です。 [DVD(字幕)] 10点(2006-02-26 12:01:59) |