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141.  ウエスト・サイド物語(1961) 《ネタバレ》 
想像するにミュージカルの既成概念を打ち破った作品ではないだろうか。それまでのミュージカルといえば、お気軽に楽しく歌って踊って、ハッピーエンドの愛と夢と希望の物語で、シリアスなものは少なく、童話や空想物語に近いものだった。本作品は全編に溢れる若さと躍動感が特徴で、斬新な俯瞰カットやクローズアップや多カット編集により、汗の匂いが嗅げるほど役者に肉薄している。そして暴力抗争の末、少年ギャングの三人が亡くなるという悲劇。シリアス、暴力、ギャング、バッド・エンド、悲劇、これらはミュージカルにふさわしくない題材だ。「フレンチ・コネクション」「LAコンフィデンシャル」「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」等のミュージカルは想像しにくい。素材と形式が合わないからだ。一方で「アウトサイダー」「理由なき反抗」等はミュージカルにしてもおかしくない。理由は登場人物が未成年だから。未成年者はその存在自体があやふやでどこか危なげ、童話や空想物語の人物めいた所がある。青春物語にすれば例え暴力や悲劇を扱ってもミュージカルになる。それの嚆矢が本作品だろう。スタジオを出て町に飛び出したのも特筆すべきこと。しいて命名すればストリート・ミュージカルの誕生。埃にまみれた昼の街の薄汚なさと混雑ぶり、露に濡れた夜の街の不気味な暗闇、それらの中に入り込むことにより、真実味が増し、演技と悲劇に重みが出た。もう一つ言えば芸術性だろう。綻びひとつ見えない完璧なシンクロ・ダンス、オーケストレーションの凝った編曲と演奏力の高さ、楽曲の素晴らしさは云うまでもない。シリアス加減のバランスも抜群で、例えば刑事やキャンディ屋のじいさんが「けんかはやめて~」と歌い出していたら台無しになっていただろう。昔のミュージカルでファッションも題材も古めかしいのに、どこか斬新さを感じさせるのはこれらの為だろう。物語は民族差別、恵まれない環境、若さの暴発、敵味方に別れた恋人、憎悪の連鎖、復讐殺人と盛りだくさん。あんな小さなナイフじゃ死なない、何故救急車を呼ばないのか、死体の処理や葬式はどうした、兄を殺した相手とその日に寝るのか、遅れると何故待ち合わせ場所に電話をかけないのか等、ツッコミどころはある。喧嘩に明け暮れるギャング団はアホだが、主人公二人は違うので感情移入できる。その設定の上手さ。上階の窓から投げつけたられた瓶は世間の冷淡視の象徴だ。
[DVD(字幕)] 8点(2012-12-24 23:53:53)(良:1票)
142.  CURE キュア 《ネタバレ》 
【間宮は何者か?】心理学の勉強をしているうちに偶然Cureの真髄を悟ったのだろう。そしてCureの伝道師となった。催眠術を使って心を空っぽにし、本当の自分を見つけだす手法。心を空っぽにするとは、倫理観を無くす事。本当の自分を見つけるとは、欲望のままに生きる事。簡単に言えば殺したい奴がいれば殺してさっぱりしろという事。死体にⅩ印を切り刻むのは儀式。間宮は記録喪失で、かつ記憶ができない。これはCureをやりすぎると記憶と意識が蝕まれてゆくからなのだろう。 【刑事に起きた事】特殊な人間はCureを受けると伝道師になれる。つまり他人をCureできるようになる。刑事はこの特殊な人間だった。Cureにより心が開放され、妻を殺した。間宮を病院から逃がしたのは殺すため?刑事は大きな古い木の廃屋で間宮を殺した。この廃屋は教授も訪れている。この廃屋(とバス)は現実ではなく、集合的潜在意識の象徴だろう。深いところでは人の意識はつながっている。だとすれば刑事は現実では間宮を殺していないことになる。間宮は刑事をCureしたが、刑事が殺したいのは間宮だというジレンマがある。刑事は意識せずに他人をCureする手法に長けている。ウエイトレスはあっという間にCureされ、刃物を手にした。 【教授に起きた事】専門家であり、十分に気をつけていたにも関わらずCureされた。それを察して、自分の手を手錠でパイプにつなげておき、最終的に自殺したと考えられるが、何故自らⅩ印を刻んだのかは疑問。Cureされると自殺に走る場合もあるのか?教授をCureしたのは間宮か刑事か?教授は廃屋を訪れているので間宮だろう。 【疑問点】①妻殺しの小学校教師と間宮は高いところから飛び降りた。何故か?②刑事が間宮を殺すとき、「すべてを思い出したか、よし」と納得するが、どういう意味か?③間宮が病院を脱出する前、椅子で暖房器具を断続的に叩いていた。叩く音で病院内の人をCureしたのだろうか?地震のような現象が起きていたが、おおげさすぎないか。タイミングよく刑事がやってきたのは偶然? 【感想】発想は単なる催眠術の応用としか思えず、チープ。健全な精神を持った人間がCureにはまり、壊れてゆく様子が最大の恐怖。刑事の壊れてゆく様子が十分に描かれていない。
[DVD(邦画)] 6点(2011-09-04 14:49:14)(良:1票)
143.  告発のとき 《ネタバレ》 
イラク帰還兵士が四人の同僚に殺された実話に基づいている。 途中まで、元軍警察所属の退役軍人ハンクが、婦警エミリーの助けを借りつつ、息子の死の真相を突き止める推理物と思っていたが、死の真相が判明してからは、明確に戦争告発に変わった。推理物としては上出来だが、戦争告発としては弱い。思えば、推理物として違和感があった。名推理を発揮するハンクとその相棒たるエミリーの友誼を描いていくはずが、途中で喧嘩のようになってしまうのである。ハンクの「戦友が殺すはずがない」という推理も覆される。ハンクの息子のマイクは、戦場で子供を轢いてしまった衝撃から立ち直れずに精神を病み、負傷者を面白半分に痛みつけるような人間になる。同僚も同様に病み、帰還してから些細な諍いからマイクを刺し、遺体を分解して燃やし、空腹を覚えてチキンを食べるような人間になる。息子も同罪と感じたハンクは彼等を責めない。そこが泣かせどころだ。星条旗を救難信号を意味する逆向きに揚げるだけだ。 ハンクは軍に対する忠誠心を持ち、愛国者ぶっているが、ベトナム戦争の経験もあり、軍警察にいたのだから、軍の良い面も悪い面も熟知しているはずである。「戦友が殺すはずがない」ではなく、戦友が殺すこともあるのが戦争の実態だ。マイクが帰還するのを両親に知らせなかったのは不審だ。犯人達も、マイクのクレジットカードで支払いするなんて、馬鹿じゃないかと思う。サインが必要ならアリバイ工作として成立しないのだから。 トップレスの中年女が後に重要な証言をするところなどは芸が細かい。無残な死体に対して悲嘆する姿が強調される。土葬文化圏では遺体の状態を気にするようだ。 原題は、羊飼いのダビデ少年が投石器で巨人戦士ゴリアテを倒す聖書の神話だ。小さい者が大きい者を倒す、勇気ある者が強者を倒す、神の名において戦う者が武器を頼りにする者を倒す、という三つの意味がある。しかし、ダビデ少年はひどく怯えていただろうと、エミリーは息子に話して聞かせる。殺すか殺されるか、怖くて当たり前なのだ。そして、殺すか殺されるかを強いるのが戦争である。英雄物語の影に隠された真実がある。それが分かる人間に成長して欲しいと願う母心だ。切れ味鋭い脚本だが、マイクの心の闇にはメスが届いていない。 
[DVD(字幕)] 8点(2014-12-02 22:32:15)(良:1票)
144.  カールじいさんの空飛ぶ家 《ネタバレ》 
導入部は秀逸。冒険家マンツにあこがれる少年と少女が出会い、気球での冒険を夢見る。二人は成長し、結婚。二人で家をリフォームする。壁も椅子も郵便受けも思い出がつまっている。赤子を望んだが、授かることができず、妻は消沈。妻を励ますため夫は冒険を計画するが、頓挫、やがて老境に達し、妻は亡くなってしまう。老人は妻との夢を果たすため、風船の家で冒険に出かける。ここでは「家」がキーワード。少女は、アジトを幻の滝の近くにおくのが夢だった。大人になってからもそれを壁に描いた。だから老人は家が壊されるのに耐えられず、どうしても家を滝にまで運びたかったのだ。だがここからは失速。よくしゃべるデブキャラ少年はかわいげがない。犬が機械を通してとはいえ、しゃべったり、料理をしたり、戦闘機に乗って銃を撃ったりは無理がある。マンツは二人のあこがれだったのに、悪人だったのでは設定が台無しであり、エリーの夢を壊してしまっている。悪人はマンツの成功を横取りしようとする連中などに設定すればよかっただろう。超高齢者が敵では楽しめないし、彼の狂気も理解しがたい。幻の滝への冒険のはずが、幻の鳥の奪い合いとなり、殺し合いとなる展開にはついていけない。戦いも老人らしくソフトで知恵を利用したものにすべきだった。サブストーリーは老人と少年が理解しあうこと。老人にとって家がすべてだったのに、少年を救うために家を手放す。「たかが家だ」の言葉は重い。このあたりの表現はうまい。ただ老人は風船売りだったのに、子供嫌いの偏屈キャラになっているのはどうしたことか。少年は両親が離婚して、心に傷を抱えている。それをまぎらわずためにボーイスカウトの勲章集めに精を出す。少年が鳥に対して特別に感情移入するのは、鳥が子育てしているからだろう。自分の家族とだぶらせているのだ。このあたりはうまく表現できていない。少年が無邪気すぎるのだ。無口で不良っぽいキャラにすればすっきりしただろう。最後に二人は理解しあい、無事帰還し、疑似家族になるのだが、さほどハッピーエンドとも思えない。彼らの幸せが小じんまりとしすぎているから、カタルシスを得ることができない。二人は、冒険家として有名になったくらいにしてほしかった。実際に幻の動物の化石がたくさんあるマンツの飛行船を探し出してきたのだから。老人は妻の思い出よりも大切なものを見つけ出すことができたのだろうか?
[映画館(字幕)] 6点(2010-02-24 18:46:47)(良:1票)
145.  ゴジラVSビオランテ 《ネタバレ》 
ビオランテは、バイオテクノロジーの暴走が生んだ禁断の生命体。砂漠に薔薇を咲かせるのが夢だった娘がテロで亡くなる。その亡くなった娘を薔薇の細胞と融合させた父親の気持ちはわからないでもない。だがその薔薇が枯れそうになり、永遠の命を持たせるためにゴジラ細胞を融合させてしまい、大変な化け物を産んでしまった。このあたり、ゴジラ誕生を想起させる。◆あの醜い姿の中に、死んだ美しい娘の細胞と魂が宿っていると思うと切なくなる。美女と野獣の一体型怪獣だ。もっと美しい造詣であればよかったのにと思う。それにしても製作した白神博士の苦悩をより前面に出すべきではなかったか。博士は淡々とし過ぎているのだ。ビオランテが殺人をしても何とも感じていないのはどういうわけか。◆何故ビオランテは人を襲ったのか?侵入者とわかっていたわけではあるまいに。又超能力少女が薔薇の声を聞こうとしたときに何も答えなかったのは何故だろう。◆もう一方の発明品の抗核エネルギーバクテリア。ゴジラのエネルギーを無力化するのが目的だが、核兵器を無用化にする兵器として転用できる。そうすれば核のパワーバランスが崩れてしまう。単に生物学の問題にとどまらず世界平和の問題にもなってくるのだ。このあたりの展開がうまい。◆ビオランテには薔薇形と進化した怪獣形が存在するが、光となって空に消えたり現れたりするのはどう説明するのか?このあたりが科学SF映画としては失格。超能力は最小限だったので許容範囲内。【感想】兵器に魅力なし。特撮やバトルシーンには見るべきものがなくチープな仕上がりが目立つ。悪者エージェントシーンの何もかもがしょぼい。最後主人公桐島が暗殺者を追うシーンなど取ってつけたようなもので不要。白神博士は死をもって罪を贖うべきだが、暗殺されるのはいかがなものかと思う。ビオランテと共に海に沈むような展開なら納得がいく。【ツッコミ】①「火口を爆発させてゴジラを復活させる」と脅すわりには小規模な爆発でした。②白神博士が湖畔の桟橋でインタビューを受けるシーンは、途中で別の桟橋になっている。③30分に一度細胞分裂して一日で4兆個になる、といっているが、実際には2の48乗で280兆個。
[ビデオ(邦画)] 6点(2010-10-15 20:05:46)(良:1票)
146.  007/慰めの報酬 《ネタバレ》 
この監督はアクションシーンの撮り方がよくわかっている。多角度からのカットバックをどんどんつなぎ合わせて流れるように撮るのだ。スローモーションは最小限におさえ、リズム感を大切にしている。ぴたり、ぴたりと決まるカメラワークも心地いい。車、バイク、モーターボート、飛行機とアクションでげっぷがでそうだ。イタリアで追いかけっこをしているときに競馬シーン、オペラ座でのアクションシーンに劇トスカのシーンを挿入しているのも成功している。これで映像に深みが増すというものだ。 人間もよく描けている。過去の007シリーズと最も違う点は、主人公もボンドガールもトラウマを負っている点だろう。ボンドは恋人の復讐、カミーユは家族の復讐に燃えている。 かわいそうなのはフィールズ。殺される理由がないのだ。それも石油まみれになって。意味がわかりません。 悪役グリーンはキャラが弱い。将軍は最後にどうして「お前の母親も恐怖にふるえていた」などと口走ったのだろう?覚えているはずがないのに。カミーユが説明したのだろうか? 娯楽映画として十分堪能できる作品に仕上がっています。 ついでにいうと、悪党達がトスカを観劇しながら無線で打ち合わせをするのはどうかと思いました。そんな必然性はないでしょう。
[映画館(吹替)] 8点(2009-01-28 00:22:21)(良:1票)
147.  きみがぼくを見つけた日 《ネタバレ》 
ヘンリーとクレアの恋愛物語。ヘンリーは5歳のとき、母の運転する自動車がクラッシュする寸前に瞬間移動する。初めてのタイム・トラベル(以下TT)である。母は死亡。本能が危険を感じたときにTTするのかと思ったが、関係なかった。ヘンリーの前に未来からやってきた本人が出現し、いつか理解できる時がくるからと励まし消える。TTは自分の意思に関係なく、ある日ある時ある場所に勝手に移動していまう病気のようなもの。ただ自分に重要な場面に飛ぶ傾向があるらしい。母は歌手で死ぬ前にも歌ってくれた。またヘンリーの娘も歌えばTTを管理できるようなことを言っていた。だが歌は何の伏線でもなかった。こういう無駄な部分が目立つ。ヘンリーとその胎児、娘たちにはTT能力がある。時間遺伝子を持つからだ。ではヘンリーの父はどうか?たびたび登場するが、その人物像は描かれない。ヘンリーがTTで苦しんでいるのは父が一番理解しているはず。父子の関係を濃厚に描けば、人間ドラマに厚みが増しただろう。又未来からやってきた娘のアドバイスでケンドリック博士に診断を依頼するが、結局何の役にも立たない。無駄キャラである。ロトナンバーを覚えて財を成すのも観客の反発を買うだけ。クレアは6歳でTTしてきたヘンリーと会う。同時代に二人はいるのだがクレアが18歳くらいになるまで会わない。二人は結婚するが、TTの妻としてはストレスも多い。子供ができても胎児がTTして流産。悪趣味である。夫がパイプカットしても別の夫がTTしてきて妊娠。掟破りである。TTものとしては美しくないのだ。自分の死期が迫っており、そのことを未来の娘から聞く。とすれば何とか回避できそうなものだが、期待はずれに終る。死んでも別の夫がTTして出現。何でもありである。節操がなさすぎではないか?夫婦と未来の子とが協力しあって、問題や困難に打ち勝つような展開にすべきだった。ヘンリーは常になすすべがなく、逃げ回るだけで、それでは観客は手に汗を握らないのだ。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-28 02:22:51)(笑:1票)
148.  SUPER8/スーパーエイト(2011) 《ネタバレ》 
映画作成に熱中する子供達が経験したひと夏の冒険と初恋物語、そしてエイリアンとの遭遇、そして家族との和解。いろんな要素が混合され主題が曖昧になっている。監督の意図としては、全ての要素を繋ぎ合わせるのが8㎜フィルムということ。映画作りで仲間が集まり、偶然謎の生命体を撮影して軍の謀略に巻き込まれ、少年の母親の映像で少年と少女が心を通わせ、軍の極秘フィルムでエイリアンの秘密を知り、最後は映画を完成させる。だが、求心力が足りず、各要素の繋がりが弱い。 演出は巧いと思う。工場の無事故掲示板を取り外すことで事故を示唆。少年の父が同僚と会話する姿が影絵になる。円盤の門出の祝福として給水塔の大噴射。才能を感じる。 エイリアンには破壊者と友人と両方の面がある。暴力行為を最小限に留め、少年達との友情を前面に押し出せば、ラストの感動が深まっただろう。現状ではエイリアンが少年のペンダントを欲した理由がわかりにくい。友情を交す相手としてエイリアンは巨大すぎるし、エイリアンが人間を食べる設定は論外だ。それに、ただエイリアンに触れただけで感情が通じるのであれば、科学者達もコミュニケーションがとれたのではないか?ちなみに逆さ吊りにされた人間は脳圧が上昇し、数時間で意識を失い、やがて死ぬ。少女が「エイリアンに助けてもらった」と話すが説得力が無い。 理科教師の行動が不可解だ。エイリアンを助けるためとはいえ、トラックで貨車と正面衝突するのは常軌を逸している。生徒らを逃がす為とはいえ、銃を向けるのはいただけない。尊敬される先生像でないと後に続かない。 少年と父、少女の父の和解が描かれる。少女の父の過失で少年の母が事故死したという設定は両者の関係に緊張感を生み、いい効果を与えている。しかし具体的な事故の説明は無く、不満が残る。不仲だった二人の父同士が和解して、共に我が子の救出に向い、探し出して和解する。感動の場面だが、父達と少年少女達の行動が別々ということに問題がある。再会したとき、お互いの行動を全く知らないのだから、深く共感しあえる理由もなく、和解も表層的なものだろう。ここはやはり、両者が情報を共有し、共に行動して目的を果たすということにしないと感動には結びつかない。両者が軍隊の裏をかいて、エイリアンの帰還を助けるような設定にすれば、一本筋が通る。脚本を少し変えれば名作になった。惜しい作品である。
[DVD(字幕)] 7点(2014-04-22 11:36:17)(良:1票)
149.  キングコング対ゴジラ 《ネタバレ》 
テンポが良く無駄のない脚本で、登場人物とストーリーが濃密に絡み合う。テレビ局員桜井はスポンサーの製薬会社宣伝部長に頭が上がらない。部長は関係者である植物学教授から南洋の島の魔神の話を聞く。部長の命令で桜井らは魔神探しにでかけ、キングコング捕獲に成功。桜井の妹はキングコングに捕まる。妹の婚約者は鉄鋼会社社員で、その会社で開発された特殊繊維はキングコングを運ぶのに使われる。桜井は婚約者のある仕草で昏睡作戦を思いつく。部長、桜井、婚約者らは関係者ということで自衛隊に自由に出入りし、さまざまなアドバイスをする。ゴジラの話とキングコングの話が同時進行する。ゴジラは北極で米潜水艦を沈め、米軍の攻撃をものともせず、第二の故郷日本をめざす。キングコングは大ダコを退治したあと赤い飲み物を飲んで寝てしまひ、捕獲されて日本へ向かう。自衛隊から上陸を拒否されるが、目覚めて逃げ出す。ゴジラは東北、キングコングは東京に上陸。動物的本能により両者は出会い、そして激突。キングコングは一度はゴジラの熱線におびえ退散するものの、百万ボルトの電流に触れ、蓄電体質となり、ゴジラと再対決する。城を破壊し、両者海中へ雪崩落ちる場面は圧巻。 ◆キングコングは美女捕捉と高い塔へ登るというオリジナルへのオマージュがある。しかし驚くほどユーモラスなキングコングだ。ギャグとしか思えないほど顔がひどい。背中のチャックも丸わかり。米国で酷評されたのもうなずける。ゴジラと較べて手抜きしたといわれても仕方が無い。実に人間くさく、岩陰に隠れるなどの知性を発揮するのが魅力だ。このキングコングを受け付けない人には楽しめない映画だと思う。 ◆ゴジラシリーズとしては3作目で前作から7年。久しぶりということで円谷英二の特撮は特に気合が入っている。潜水艦の天井が炎上する場面、ガソリンを川に撒く場面、コングを吊り下げる準備の場面、大波に襲われる熱海の町の場面など、メインにさほど関係ない場面も丁寧に撮られていて好感が持てる。当時は日米夢の怪獣対決という話題で盛り上がり、観客動員数歴代2位を記録。怪獣対決なのに、どうしてユーモア路線にしたのかは疑問だが、エンターテインメント要素はてんこ盛りで、現代人でも十分に楽しめる内容になっている。特に音楽は秀逸で、その後のゴジラシリーズの良い見本となっている。
[DVD(邦画)] 8点(2011-10-31 23:31:22)(良:1票)
150.  三匹の侍 《ネタバレ》 
今ではもう観かけることのめったにない泥くさい時代劇の佳作。なんといっても浪人のキャラの個性が際立っているのが魅力。ヒューマニズム溢れる浪人、田舎者丸出しの槍の名人、ニヒリズムの剣客。なかなか揃わない三人が揃ってからの勇躍ぶりは期待を裏切らない。◆随所に映像美が光るのも魅力。百姓が倒れた後の花のアップ。裏切りの浪人が倒れた後の簪のアップ。障子の影で見せる闘争シーン。監督の美学が炸裂。◆プロットは単純だが、三人の侍に女性を絡ませて人間ドラマを深めている。浪人との触れ合いによって成長する代官の娘、夫殺しの浪人と逃避行を試みる百姓の未亡人、剣客と恋に落ちる女郎屋の女将。残念なのは女性の悲劇が映画の主題と必ずしも一致しないということ。代官の娘は百姓より侍の方に向いているし、未亡人は裏切って村を捨てようとするし、女将は百姓の遊女を打擲する。哀れさは出ているが、主題と一致しない。少なくとも剣客が恋仲になるのは女将ではなく、自害する百姓の遊女すればよかった。そうすれば剣客が百姓に味方する理由も明確になる。◆主題は百姓が藩主の籠に強訴を試みるも失敗するというもの。首謀の三人が殺されると誰も強訴しないのだ。誰も命がほしい。虚しさだけが残るラストだが、百姓の難儀ぶりは最低限にしか描かれていないので、心に残るものが少ない。尺を長くして、罪のない代官の娘を拉致した罪に見合うだけのもの、百姓の生活苦や犠牲などをもっと描くべきだったろう。侍に較べて百姓に魅力がない。三人の侍をいかに恰好よく描き、三人の女性をいかに悲劇的に描くかに腐心して、百姓の方にまで神経が行き渡らなかった印象がある。◆クライマックスだが、浪人達の相手は悪代官ではなく、藩の役人になっている。敵役が入れ替わってしまったのでは気が削がれる。藩の役人は悪代官の元締めであることを強調すべきだったろう。ラスボスがあっけなくやられるもの残念な点だ。剣の名人の設定にして、もっと三人を危機に陥らせるべきだろう。◆他に疑問点もある。いくらなんでも編み笠の簪には気づくだろうとか、代官はどうして剣客に刺客を放ったのかとか。◆いろいろと不満を述べたが、百姓が浅くしか描けていないことに目を瞑れば、まったく無駄のない見事な剣術活劇になっていることを強調したい。隠れた名作ともいえるべき、おすすめ作品である。
[DVD(邦画)] 8点(2011-08-31 09:02:11)(良:1票)
151.  イーグル・アイ 《ネタバレ》 
コンピューター暴走ものですね。 あらゆるものにアクセスできる巨大軍用コンピュータが大統領を狙う。 大統領が飛行機に載っているときに操縦を狂わせたり、自動車に乗っているときに 無人爆撃機で攻撃させたり、部屋に閉じ込めて高電流を流し火事をおこさせるとか、 いろいろあると思うが、何故あんなまどろっこしい方法を採用したのか? 小型爆弾を盗み、子供のトランペットに仕込み、子供の楽団の予定を変えてホワイトハウスに招待し、子供が高いファの音を鳴らすのを待つ。 ボイスロックを解除するための双子の設定は面白かった。 テンポがよく、そこそこ見せてくれます。
[映画館(吹替)] 6点(2008-10-28 20:24:48)(良:1票)
152.  バイオハザードIV アフターライフ 《ネタバレ》 
第一、冒頭の東京での戦闘場面。ヒロインのアリスとそのクローン達の襲撃により、悪の枢軸アンブレラ社の地下要塞は損壊を受け、機能不全に追い込まれる。非情なる議長ウェスカーは部下らを見棄て、ただ一人飛行機で脱出し、特殊爆弾による自爆装置を起動させ、部下もろとも地下要塞を爆発させる。だがアリスはいつの間にか飛行機に忍び込んでいた。アリスが銃を突きつけると、ウェスカーは振り向きざま、首に特殊遺伝子無効化ワクチンを注射する。飛行機が富士山に激突して爆発炎上するがアリスは奇跡的に助かる。 第二、アリスとウェスカーの最終対決場面。死闘の果て、アリスがウェスカーの口に銃弾を撃ち込み、勝利を収める。クリスとクレア兄妹がとどめを弾丸を撃ち込む。それでもウェスカーは復活し、またもや飛行機で脱出する。機上、アリスらの船の自爆装置を起動させるが爆弾は機内にあり、爆発する。アリスが予想して潜ませておいたのだ。上記2点に映画の制作方針が集約されている。安易な設定、強引な展開、御都合主義等の誹りはあえて甘受し、美女がゾンビや敵役をひたすら倒すアクション・シーンを魅力的に描くことに専念したのだ。もともとゾンビを倒すテレビゲームの映画化なので、堅いことは言いっこなしという暗黙の了解がある。ビジュアル重視なのでセクシー美女が多数登場し、ここぞという場面ではスーパー・スローモーションでじっくり鑑賞となる。ヒロインと敵役が超人的な能力を持つのに対し、ゾンビ共は弱弱しく、あっけなくなぎ倒される。テンポを速めるため、非主要人物の描写は記号的でしかなく、次々に消えてゆく。話題作りのためプリズン・ブレイクのパロディも取り入れる。ホラーや人間ドラマ要素を抑え、3Dアクションを気楽に楽しむ娯楽作品に徹したところに成功の要因があるだろう。印象的なアクション場面が2つ。飛行機が山に激突した瞬間にストップモーションとなり、そのままカメラが奥へパンする場面と、アリスが大勢のゾンビ共を引連れて屋上から飛び降り、縄伝いに垂直降下する場面。その適確な映像処理を讃えたい。難点は、スローモーション過多なこと。飽きさせては駄目。素早いカッティングとの併用で緩急をつけるのが肝要。大斧の巨大処刑人はギャグにしか見えず。「噴出する水」の演出のため、水道管の立並ぶ部屋が出てくるが、実際にあんな部屋があるか?必殺兵器の25セント硬貨弾は威力があるか?
[DVD(吹替)] 6点(2013-06-19 11:35:34)(良:1票)
153.  U・ボート ディレクターズ・カット版 《ネタバレ》 
Uボートは深海の英雄、灰色の狼などと呼ばれその勇躍ぶりは世界に知られるが、その任務の実態は過酷なものだった。それを世に知らしめたのがこの作品。一度出撃したら何ヶ月も荒波の中の航海が続く。艦内は狭く窮屈で、もぐれば空気は汚れる一方、快適な生活とはほど遠い。華々しく空母や駆逐艦を沈めるわけではなく、狙うのは輸送船。犠牲の多くは非戦闘員だ。たとえ敵を見つけても遠くては追いつかない。潜水艦は足が遅いのだ。一度駆逐艦に見つかれば、立ち向かう手段はなく、ひたすら隠れ、逃げるのみ。命令とあらばどんな危険な任務でも拒絶できない。艦長は英雄は幻想であると知っているので、いくら「あなたは英雄です」と讃えられてもにこりともしない。 ◆一定の戦果を挙げ、海底沈没の絶体絶命の危機を乗り越えて、生きてる喜びをかみ締めながらようやく帰還できたUボートの船員達。それをパレードの歓喜の声が待ち受ける。だが上陸の暇もあらばこそ、敵の猛烈な空襲に遭遇する。逃げ惑う船員達に容赦なく浴びせられる爆弾と弾丸。惨めに陸で死に様をさらす英雄達。爆弾を直撃され沈んでいくUボート、それを見届けてから息を引き取る艦長。戦争に英雄などなく、所詮何もかもが虚しい。それまでの重苦しい鬱積した展開を晴らすような圧巻のラストシーンは「戦場にかける橋」と同様、映画史上に残る痛烈な反戦メッセージだ。 ◆苦言を呈せば、エンターテインメントとして弱いということ。唯一の戦果である輸送船撃沈シーンを何故見せなかったのか?ソナーの音だけにしてリアリティを持たせたいのはわかるが、ここは数少ないハイライト。Uボート活躍ぶりが際立ってこそ、最後のどんでん返しのショックが大きくなるというもの。【豆知識】①Uボートが出港したのも帰還したのも同じフランスの軍港ラ・ロシェル。イタリアにたどり着いたのではない。②地中海潜入作戦の目的は北アフリカで奮戦していたロンメル将軍のアフリカ軍団への支援。③レーダー開発は連合軍の方が進んでいて、夜間襲撃が可能だった。④潜水艦同士で灯火信号を使ったのは無線だと相手に気づかれるため。⑤実物大Uボートは撮影中に、スピルバーグ監督のレイダース失われたアーク用にレンタルされたが、返却されたとたん嵐に会って沈んでしまい、回収、修復に時間がかかった。⑥船員の髭は本物。撮影期間は日に当たらないように室内で過ごしたので青白い顔も本物。
[DVD(吹替)] 9点(2011-09-05 00:34:58)(良:1票)
154.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 
松子の家庭環境は決して最悪ではない。経済的には中流で、妹弟もいて、両親の愛情もそこそこ受けている。松子は父を愛しているが、父の愛情が病気の妹に注がれるのを妬んでいる。父の愛情を自分に向けるためにコミカルな表情をする。愛の飢えの始まりである。松子の不幸を描いているが、本当に不幸なのは他にいる。筆頭は妹で、寝たきりの人生で終る。次は作家志望の男で、自分の才能に絶望して自殺した。もう一人は龍で、家族の愛情は一切知らなかったと言っている。松子は美しく成長し、中学の先生となるが、修学旅行の盗難事件をきっかけにで転落人生に転じる。彼女が家出した心痛で父が死亡、弟から家族の絆と断たれる。家族と故郷を失った松子は、男性に頼るしかなかった。というか、自分を必要とする男性と共依存関係になる。必要とされることでしか、自己の存在意義を感じられない。だから暴力を振るわれても、相手に尽してあげたいと願う。トルコ嬢も厭わない。これが龍をして松子を神と呼ばしめた。不幸な形の自己犠牲。暴力は時にこじれ。殺人に発展する。松子は理容院の男と同棲を始めたばかりのときに逮捕される。タイミングが悪い。刑務所でめぐみという親友を得たのは最大の幸福。出所後は理容院の男と暮らそうと美容師の資格を取るが、出所すると男には妻子がいた。そして愛を知らない男、龍と再会。龍がお金を盗んだのが転落のきっかけだったので、皮肉なめぐり合わせだ。またまた不幸に。松子は足を悪くし、龍は刑務所へ。龍を待つことを唯一の希望にしていたが、逃げらる。以後心を閉ざし、世間と関わりをもたなくなった。ただ一つ、アイドルのファンになることを除いて。典型的な現実逃避。ファンレターとして綴った履歴のバカ正直で長いこと。涙がでます。誰かに理解して欲しかったのですね。返事が来ずに絶望。めぐみと再会し、夢で妹のヘアカットをしたことで、社会復帰をめざす。そんな矢先、中学生に暴殺される。甥の笙が松子の人生を知り、理解を示すのがこの映画の救いの部分。子供に殺人をさせたのは欠点だ。ミュージカル仕立てでテンポがよい。不幸をエンターテイメントとした初の映画だろう。不幸な人生だが、そこに何とか意義を見出してあげたいという心理が働くように作ってある。あのとき、ああしたら、こうしたらと、つい考えてしまう。か弱い松子の”徳”がそうさせるのだ。愚かだが、菩薩のようでもあった。合掌。
[DVD(邦画)] 8点(2009-11-08 16:09:56)(良:1票)
155.  プレステージ(2006) 《ネタバレ》 
アンジャーとボーデンという二人の手品師が不幸な出来事から不和となり、お互いに敵愾心を燃やして、妨害や盗みをして相手に打ち勝とうとする物語。主に瞬間移動術について争う。 最後のおちにはがっかりさせられたが、手品好きには面白い作品だった。時間軸をばらして再構築して見せる手腕は洗練されており、ねたの興味で、最後まで期待感、緊張感が持続した。おちの伏線はあちこちに張り巡らされており、再見すれば綿密に練られた脚本ということが分かるだろう。 映画はいくらでも編集が利くので、手品は画面切替なしで見せないと真実味が出ない。それが判っていながら拘泥しないのは、監督に手品に対する愛情が所為だろう。役者の技術も素人の域を出ない。 籠の鳥消失術は一世を風靡した手品で、実際に鳥を圧死させていたが、後に改良された。これは映画の通り。中国の老奇術師チャン・リン・スーが登場するが、実在の人物で、弾丸受け止め術で命を落としたことで有名だ。実際は中国人に扮したアメリカ人で、テスラ・コイルが発明された頃にはまだ二十代の若者だった。この改変の意図は不明。 テスラ・コイルは現在でも不明な部分があり、似非科学でよく言及される。だから採用したのだろうが、“人間消失”ならともかくも、”人間複製”は許容値を超える。まして、複製人間を殺すなどは言語同断である。殺す理由は皆無で、二人で協力して瞬間移動術を演じればよい。もっともその前に、普通の人ならせっせと金貨などを複製すると思うが。双子おちは安意過ぎる。すぐにばれてしまう。エジソンの手下が登場する。テスラはエジソンの元で働いていたが、金銭と直流・交流議論で関係がこじれた。エジソンはテスラ潰しの為に誹謗中傷や非人道的行為をくり返して攻撃している。テスラの実験屋敷の警戒が厳重なのもその為で、最後は爆発したようになっていたが、エジソンの手下の仕業だった可能性がある。 目立たないが、アンジャーからボーデンに乗り換えた女もひどい。 尚、イギリスの裁判では、裁判官や検事、弁護士はかつらを正装として着用する。古来、虱対策で短髪にしていたことに由来する。
[DVD(字幕)] 7点(2014-12-02 02:13:19)(良:1票)
156.  28週後... 《ネタバレ》 
すさまじいゾンビ映画ですな。 一家族を中心に描いているので、家族愛ゆえの悲惨さがよく表現されています。 夫は妻を見捨てて逃げ出す、妻は感染するが抗体をもっており生き延びる、キスで妻から夫に感染、夫は妻を残虐に殺す、妻はナパーム弾で焼き払われる、父が息子を襲う、姉が父を殺す。 抗体をもっている人が発見されたところで、ああこれで最後は抗体ができてエンドだなと思っていたのですが、甘かったです。 子供を殺すことこそしませんが、姉弟を守ろうとした正義感あふれる兵士たちは殺されてしまうなど意表をつく展開です。 ヘリの羽根での残虐シーンは見ていられませんでした。 母親から受け継いだ珍しい眼と夫婦のキスという伏線が効いていました。 てぶれカメラと多カットによるゾンビ急襲シーンなど緊迫感があります。 でも家族で見る映画ではないのでヒットはしないでしょう。 救いようのないエンディングは次回作へのつなぎのためでしょうか。 人のいない町のシーンなど、ゾンビ映画にしては大金をかけた大作かもしれません。
[映画館(字幕)] 9点(2008-05-11 13:40:40)(良:1票)
157.  ペコロスの母に会いに行く 《ネタバレ》 
「認知症と介護」という重い主題を努めて明るく、諧謔的に表現した人間喜劇である。 前半はハゲを中心としたネタで笑いを誘い、後半は母みつえの若かりし頃の辛苦に満ちた人生に焦点を当て、感動へと導く。 軽過ぎず、重すぎず、喜劇と悲劇の要点を押えての匙かげんが絶妙で、均斉の取れた手堅い脚本だ。 「ペコロス」とは小玉葱のことで、ツルツル頭の陰語、原作者の自らつけた愛称だ。だからハゲネタも嫌味にならない。それどころか、息子をつなぐ重要な品目となっている。 みつえの人生に暗い影を落とすのが夫と幼馴染みのちえ子だ。夫は根は優しいが、神経症の持ち主であり、酒乱で暴力も振るう。給料を一日で浪費してしまうこともあるのだから、妻の苦労は並大抵ではなかったろう。息子雄一は、そんな父のことが大好きだったという。人情の機微が垣間見れて興味深い。みつえが認知症の兆候を見せ始めたのが夫を亡くしてからというのも有り得べきことである。 みつえは十人兄弟の長子なので、少女時代を通じて弟妹達の面倒を見なければならず、畑仕事も手伝わなければならず、学校にもろくに行けなかった。そんな彼女の心の支えが友達のちえ子だった。だが、ちえ子は口減らしの為、奉公に出ることになり、別れが訪れる。お互いに手紙を書こうねと約束するが、みつえが何度書いても返事は来なかった。 雄一には母と一緒に暗い海をずっと眺めていた記憶がある。どうやら母は入水自殺を考えていたようだ。だが不思議なことに、そこへ手紙が届いた。ちえ子からの始めての手紙で、「生きねば」と認められていた。みつえは感涙し、自殺を留まる。後日ちえ子の元を訪ねたみつえは、ちえ子が苦界に身を沈め他界したことを知る。ちえ子を救った手紙は、皮肉なことにちえ子の死後に出されたものだった。感情が堰を切ったように落涙するみつえ。二人の思い出の曲、早春譜の旋律が流れ、いやが上にも感動が高める。複数の悲劇を一つの手紙に集約する技法は脚本家の取り柄だ。 幻の死人と嬉しそうに会話するようになった母を見て、認知症も悪い事ばかりではないと思い直す雄一。 苛酷な現実に押しつぶされるのではなく、時にはそれを笑い飛ばす事が出来るのが強い人間だ。老監督による人間賛歌として受けとった。
[映画館(邦画)] 8点(2014-04-26 00:47:25)(良:1票)
158.  ファイト・クラブ 《ネタバレ》 
ジョンの脳内影像から始まり、サブリミナルの勃起した男性器画像で終る。全てはジョンの想像の産物で、登場人物は全て彼の自己投影された人格であり、一種の自慰行為に過ぎないという解釈も成り立つ。そうすれば、タイラーとの殴り合いシーン、爆発物作成方法を知るタイラー、忠誠すぎる会員、知らないうちに全国展開するクラブ、警察まで浸透する会員、頭を撃っても生きている、などの矛盾点が説明できる。多重人格者の夢というのは案外こういうものかも知れない。ジョンはしがないサラリーマン。現実の自分と、理想の自分との間に大きなギャップを感じて、慢性的な睡眠不足。その解消に役立ったのが不幸な人たちの”泣くセラピー”クラブ。泣いて感情が発散できるのだ。彼の悩みは本能が去勢されていること。性欲、睡眠欲、闘争心などが開放できない。それの象徴が”睾丸無し”クラブ。現代社会の縮図でもある。本能をまぎらわすための”高級家具買い”も限界に来ていた。泣くことで、束の間の安らぎを得たが、そこへマーラ登場。彼女は彼を現実に引き戻す役割の人格。いつも”異物”のように侵入してくる。そしてタイラーの登場。理想的な自分の投影された人格。病的にまで分裂する自己の始まり。タイラーはジョンの快適な物質文明の象徴である”高級家具の部屋”を爆破。朽ちる寸前の家で共同生活を始める。この家はジョンのぼろぼろになった精神の象徴。マーラを無視しつつも、タイラーとファイトクラブを設立。闘争心は現代人には最も発揮しにくい本能。それが人気を呼び、多くの会員が集まる。だが本能を開放しすぎたためにタイラーが暴走。クラブは物質文明反対のテロ組織の様相を呈してくる。彼らの無謀な計画を阻止するために自分との闘いが始まる。殴るだけではダメで、終に拳銃で頭を撃ちぬく決意を。全ては幻覚だと悟り自分と向き合った瞬間だ。登場したマーラの存在意義を認め、和解できたことで、彼は現実の世界に戻ることができ、自己アイデンティティーを取り戻した。崩壊するビルは、彼の仮想現実、多重人格世界の崩壊。物質社会、消費社会の価値観に洗脳されている現代人が、不安や悩みを抱えながら、本来の自分を取り戻すのがいかに困難かを描いた意欲作。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-24 13:50:18)(良:1票)
159.  ミッドナイト・ラン 《ネタバレ》 
マフィアの裏帳簿が許せず、お金を騙し取って慈善団体に寄付してしまう会計士デューク。犯行発覚後にマフィアのボスに手紙まで出す。このすっとぼけた犯罪からして人を食っています。彼を追う二人の賞金稼ぎとマフィアとFBIの四つ巴の怒涛の展開。その過程を楽しむ映画です。それにしても飛行機恐怖症で乗車拒否されるなんておかしいですね。鉄道は大好きだからつい笑顔に。護送中なのに質問攻めにする。登場人物の中で最も変っているのはデュークです。キーマンです。ジャックは元刑事で正義感はありますが、賞金が目的なだけ。もう一人の賞金稼ぎマービンは脇役なのに出すぎ。同じような展開が続くと飽きます。デュークが小型飛行機に乗る場面は不要でしょう。飛び立つわけではなし、意味がないです。本当に飛行機恐怖症だったとしたほうがおかしみが残ります。同じ理由で、デュークがFBIに扮して店からお金を騙し取るところも不要。やるならもっと彼らしい、生真面目な方法にすべきです。FBI捜査官もマフィアも保証金会社の二人もキャラが立っていて、楽しませてくれます。基本的に相手を出し抜こうとあくせくするのですが、反対に出し抜かれてしまうのですね。そのおかしみの繰り返しです。ほろりとさせる場面もあります。ジャックが別れた妻の家に行く場面。9年ぶりの再会というのに、お金を借りに行くのです。娘がやさしい子に成長していて、貯めたお金を使ってくれという。それだけは受け取れないと断るジャックの父情。彼は妻に未練があり、彼女から贈られた腕時計を大切にしていたのですが、旅の最後でこれをデュークに贈ります。未練を断ち切ったのです。これは娘の成長を見届けることができたから。又彼が警察を辞めた経緯にデュークが騙したマフィアのボスが関わっていて、それがデュークとの絆ができる一因となります。よく練られた脚本と思います。ラストで、ジャックは賞金をあきらめデュークを逃がします。友情のためですが、同時に賞金稼ぎから足を洗う決心をしたのです。ここで終わりであれば最高でした。デュークが隠し持っていたお金を渡すのは蛇足です。ジャックにとってお金は不要のはず。お金を稼ぐことばかりに腐心していた自分に気づき、精神的に成長したのですから。無一文であるからこそ、「歩いて帰るか」の台詞が効いてきます。無一文でも心の中は晴れやかです。来世でも観たい映画です。
[DVD(字幕)] 8点(2009-09-19 07:12:20)(良:1票)
160.  プリティ・ウーマン 《ネタバレ》 
お金持ちの青年企業買収家と娼婦が知り合って、変わってゆく物語。男は離婚後、恋人と同棲していたが、別れる。母を冷淡に扱った父を許せず、父の会社を買収して乗っ取り、復讐する。その後は冷酷な買収家として名を馳す。父母は既に亡く、天涯孤独。酒、煙草、ドラッグはやらない真面目人間である。女は男を追ってロスまで来た。いろんな仕事をしたが家賃が払えず、娼婦に身を落す。それでもビジネスと割り切り、誇りは失わない。コンドーム装着、口にキスしない、ドラッグはやらない。一歩のところで転落しそうな人生から留まっている。「お金のためなら割り切れる」のが二人の共通点。ビジネスとして女を雇う。男は女に自由に服を買わせるが、これはビジネスのためでもある。男は不器用で、女を喜ばせるのにお金を使うことしか知らない。食事、酒、乗馬、飛行機、オペラ、ポロ見学など。男に反感を持った女は去ろうとする。だがお金を置いていった女の真意を知った男が引き止める。男は女を対等のパートナーとして認めだす。彼女の明るくて、自由奔放な姿を見て、癒され、心を開き、身の上話をし、失っていた人間らしさ感情を取り戻す。それで企業買収をやめ、共同経営者としての道を選ぶ。女も男の優しさに触れ、レディとして振舞ううちに、本来の自分を思い出してゆく。女は男を愛し、口にキスする。が、彼に愛人になってくれと頼まれると失望して去る決意をする。田舎に戻り、仕事を見つけ、学校に入り直すのだ。男も去ろうとするが、ふとしたことで、女を心から愛していることに気づき、彼女を迎えに行く。抱き合う二人。「王子が塔を登って王女を助けたあとどうなる?」と聞く男に女は「She rescued him right back」と答える。二人の立場は対等なのだ。男が一方的に女に金を与えて、女を美しくする物語ではないし、娼婦がお金持ちと結婚するだけの玉の輿物語でもない。二人が出会って、お互い成長し、自分らしさを取り戻す物語。支配人とホテルのボーイがいい味を出していた。最初の方で、金持ちのプレイボーイと下品な娼婦とに見せた演出がうまい。実際はストイックな二人だから成立する物語でした。
[DVD(字幕)] 6点(2009-10-09 09:36:50)(良:1票)

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