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1.  明りを灯す人
ほのぼのした映画の線かと思っていた。たしかにおおむねそうなのだが、政治の混乱期のドラマなのだった。アカーエフ独裁政権が崩壊したあとのキルギス。当時一応日本でも報じられていた記憶はあるが、「独裁者」の風貌がモロに日本人だなあといった感想しか持たなかった。イラクは独裁者が消えたあと、混乱に突入した。こちらは都市部ではワイワイやってるようだが本作の舞台となった村ではのどか。電気のメーターを操作した罪で捕らえられていた主人公が、政権崩壊で釈放されたくらい。と思ってると、底のほうでは動いていた。やり手の男が村を牛耳りだし、親戚のおとなしい男(妻は赤旗なびかせたトラックに乗って出奔してしまう)を次の村長に押したて、中国の土地開発団を呼んだりしている。そういった動きの気配に合わないものを感じていく主人公の困惑、といった話で「ほのぼの」では終わらない。そしてこういう「転換か否か」という話は、変革期の国では(日本の幕末維新期もそうだったが)どこでも起こってきた。主人公は子どもがみな娘で息子がいないのを気に病んでいる昔風の男、でも電気技術者である彼を尊敬しているらしい男の子がいつもそばをチョロチョロしている。電信柱に乗っているときマッチを投げ上げてくれと頼むと、中に小石を入れて風に飛ばないように工夫してくれる賢い子。後にこの子が(だと思うんだけど、顔をよく識別できない)木に上って降りられなくなり主人公が助けにいく。山の向こうを見たかったと言う少年。この地方の希望がじんわい感じられるいいシーンだった。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-11-29 09:04:55)
2.  悪人 《ネタバレ》 
『告白』もそうだったけど、最近「へらへら生きる者」と「本気の者」の対比の映画が多いな。「本気」に生きる難しさ、って言うか(この二作に岡田将生はどちらにもトホホな役で出演していて偉い)。デートの後で金を渡され傷ついた深津絵里が車で送られたとき、「本気やったと、ダサかやろ」と呟く。「呟き」だけれどほとんど「叫び」であり、つい観ながら「そんなことない、そんなことない」と呼びかけてしまう。そのあと妻夫木君も洋服店を訪れ「本気やった」と告げる。「そうそう、それでいい」とこちらもうなずく。岡田将生一人がへらへら役を任されててちょっと気の毒なんだけど(あと松尾スズキの催眠商法男も、社会にタカを括っている点でへらへらに分類されるか)、彼に関する柄本明の「大切な人はおるか」のモノローグが流れ、それぞれの大切な人が描かれていくあたりはキュンとした。言ってみれば道徳演説で普段なら抵抗を感じるところだが、前に「ダサかやろ」で深津絵里に釘を刺されているので、ダサく感じることを許されない。全体、いろいろ引っかかりかけるところで、あのおずおずとした「ダサかやろ」が蘇ってきて、観ててへらへら小馬鹿に出来ないのだ。ずるい。映画としていいなと思ったとこは、妻夫木君が食事中に母親から警察が来たことを知らされるあたりの演出。ビクッとしたりオドオドしたりがなく、黙々と食ってていきなり吐くのがいい。あと深津絵里の店員としての客への応対。日常の倦怠感をことさら出さず、熟練さを見せて長くこの仕事をやってきた心の裏を感じさせる。この事件に外側から巻き込まれていく深津と柄本の仕事場に、どちらも鏡という世界を裏返しに見返す装置があるのは偶然か。
[DVD(邦画)] 6点(2011-12-14 10:26:29)(良:1票)
3.  アイス・カチャンは恋の味
少年の初恋ものと聞いてたので、するとアンジェリカ・リーもとうとう母親役をやるようになったのか、と思ってたら、初恋相手の「気の強い少女」であった。ラストの「少女のその後」で、やっと現在に追いついた感じ。『アイ』で初めて観たときだってもう「少女」というより「娘」だったし、あれが十年くらい前の映画。本サイトの情報でいま確認したら1976年の生まれだそうだから、このときは三十代半ばか。いい度胸だ。ま映画としても年齢不明の人ばっかり出てきてて、さして無理でもなかったかもしれない。これ香港コメディから動きのキレを抜いて泥臭さだけを残したような映画で、音楽が鳴りっぱなしなのも苦痛だった。お父さんがバクチやってる小屋とその前に広がる海に、かろうじて東南アジアの匂いを感じた。あとは、不意に生まれた四組のカップルが四辻の四方向から顔を合わせる俯瞰のカットぐらいか。今までに作られてきた「初恋もの」の部品を組み合わせてみたってだけで、自分なりのオリジナルなものを発見しようとしていない。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2011-10-26 10:19:29)
4.  アリス・イン・ワンダーランド 《ネタバレ》 
ファンタジーに登場する小人とか巨人てのは、だいたい何倍もの差があったのに、ここでのアリスと帽子屋や白の女王の場なんかは二倍に至らない一点何倍かの差。これが面白い。この中途半端な「縮尺」が新鮮。完全なファンタジー的造形物より、そういった微妙に異常なものが、こちらを刺激してくる。だから一番印象に残るのは赤の女王の頭で、この映画に価値があるとするなら、彼女によってだ。あと、彼女に処刑されることになる蛙の番兵の表情なんかもよかったな。それも完全な作り物ではなく、リアルな蛙だから映えた。そういった半リアル造形物だけで「アリス」を作ったら楽しかっただろうに、ハリウッドではファンタジーは冒険物語にしないといけないらしく、ラストではアリスがジャンヌ・ダルクよろしく活劇を展開するのには予想されたとは言え、がっかりした。何でも善と悪の争いにしないと気がすまないらしい。そこで目覚めたアリスが、リアルな世界に戻って東洋への経済侵略の尖兵となっていくという結末は、どう見ればいいのだろう。ブラック・ジョークとしては優れているが、どうもそれほどひねっているようでなく、歴史への無知・無恥ゆえの無邪気さのよう。あのなんでも「善と悪」にしないとすまない性向と、どこかでつながっているような。年表で確認したが、「アリス」が書かれたのは阿片戦争が終わって二十数年後だった。20世紀文学を予告した小説ではあるが、それを生んだのが19世紀帝国主義の暴風の中だったことを、この映画のラストは思い返させてはくれた。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-27 12:21:38)
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