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1.  かぐや姫の物語 《ネタバレ》 
高畑監督作品のよいところは、原作へのリスペクトがしっかりしている…というか再現性が高い点にある。そして悪いところはオリジナル要素の部分になると途端にストーリーから剥離した「自分のいいたいとこだけを強引にねじこむ」という無理やりさにつきる。その為、原作要素ののびやかな雰囲気から一転していきなり説教くさくなったりメッセージ性が前面に押し出てきて鼻白んでしまったりする。要は映画の中でチラチラと監督が頻繁に顔を出してくるので作品そのものに没頭させてくれないのだ。また私はメッセージ性をキャラクターに直接言わせる演出方法が根本的にあわないので、そうした作品は基本的に好感がもてない。そういう点で、私は高畑勲監督作品は火垂るの墓といいぽんぽこといい思ひ出ぽろぽろといいあまりいい印象をもっていない。それでもこの映画を映画館まで観にいったのは題材が古典であり「かぐや姫」だからである。他メディアで映像作品化されたかぐや姫は過去にもいくつかあるが、それのどれもが原本から逸脱したオリジナル部分に恋愛要素を盛り込み相手を5人の求婚者か帝のいずれかの狭い登場人物相関の中からチョイスしていくといった貧しい脚本のものばかりで不満だったから。さらに私はなるべく原作が古典や歴史ものの場合そのまま当時の文化風習を再現してくれるものを好む。その為地雷である監督さんではあるが、オリジナル部分に目をつぶればそこそこ古典の『かぐや姫』を楽しませてもらえるのではないだろうかというやや打算的な目論見で鑑賞した次第。 鑑賞した結果はというと、意外や生き生きとした魅力的なかぐや姫で中盤までは楽しく観れた。しかし正直中だるみした感は否めないしラストの〆方も多分こうなるだろうなという想定内そのまま。ただ『かぐや姫』という骨組だけでよく主人公の性格にここまで肉付け出来たな、と感心した部分も多い。それでも相変わらず原作とオリジナル要素のかみ合わせがスムーズにいってないので主人公の行動理念がちぐはぐになっている部分がどうしても出てきてしまった。仕方ないとはいえやはり残念である。ああ、これがディズニーであるなら翁(育ての父)とかぐや姫(娘)の父娘の物語として『オリジナルかぐや姫』と割り切りラストもとんでもハッピーエンドにしてしまうところだが、ガチ日本人の日本人による作品ですなあ。本当に勤勉ですよこの作品は、実に日本人。
[映画館(邦画)] 6点(2014-01-04 02:00:39)(良:2票)
2.  風立ちぬ(2013) 《ネタバレ》 
これは完全にジブリ作品ではなく駿作品。 ジブリお馴染みの愛くるしいキャラクターは全くでないので 親子連れはこれを観ても退屈でしかないと思われる。 大人向きと言われるのもよくわかる。 ジブリお家芸的な食事シーンの代わりに喫煙シーンのなんと美味しそうなことか。 普段煙草を吸わない私がそう感じるのだから某団体が頓珍漢な抗議をしたのも理解できる。  さて私の思う宮崎駿氏はがっちがちの男性脳人物なので思ったとおり 今回も気持ちいいまでの破壊衝動をカタチにしてくれている。 関東大震災、うねる衝動とエネルギーは私達には単純に恐怖の対象であるが 創造者にはおそらくそれに加えて畏怖と興奮もどこか感じるのではなかろうか。 美しい機体が空を滑空すると同時に粉々に砕け散る様も 相反して脳裏に浮かぶという再生と破壊のループ。 ヒロイン像に関しても毎度想定内の男が理想とする『儚げな女性はコレ』像そのまんまの安牌。 そして物語の随所随所でぽろぽろと誰もかれも簡単に泣く、泣く、泣くので 涙が安いなあ…と最初は思っていたのですが物語の演出として 観客を泣かせるために感動的なエピソードを挟みこんでいるというより 涙も日常のひとつでしかないといいたいのかなと感じた。 大切な人が死地へ向かう最中も移動中にも設計図をひく、 涙を落とし紙を滲ませてでも線をひく、ただひたすらひたむきに無心に先へと進む。 この衝動を情熱とか焦燥とか狂気とか何が一番あてはまるか考えたのだけど 「無心」が一番しっくりくるのかな…と思ったり。 駿氏のやんちゃな部分を切り取ったようなカプローニのデカダンさが 要所要所で重くなりそうな雰囲気を蹴散らしてくれるのが心地いい。  私にはこの作品は駿氏の自己投影と理想像の極限の映像化に思えたから 作った本人が泣いたというのも納得できる映画だと思った。
[映画館(邦画)] 6点(2013-08-25 00:46:06)(良:3票)
3.  カラフル(2010) 《ネタバレ》 
見たい見たいと思いつつCMでネタバレされてしまい見る気を失った作品。 でもいまになってようやく観れて、それも自分にとってはいいタイミングだった。 公開時の自分は私生活で色々苦難があり多分精神的に辛すぎて受け止められなかったと思う。  人生でたくさんある小さな分岐点を描いている作品。 クゥ同様、地味なキャラに丁寧な心理描写。 これなら実写でいいじゃないかと思われるかもしれないけど、多分私これが実写なら観なかった。 自分は結構メディア作品に対して斜に構えて見る嫌なタイプなのだが、原恵一作品はそうした なんちゃって批評家気分の気持ちを1枚1枚脱がして素直で純粋な気持ちにさせてしまう。 なので途中うっかり何度もホロリとさせられてしまい、観終えてシラフに戻ったあとで 「ああ自分安いなあこんな中学生日記みたいな映画で泣けるなんて年とったなあ」と 赤面してしまった。でもそんな自分、嫌いじゃない(ドヤァ)  話の中盤からマコトの正体はわかったがプラプラの正体にまで気が回らなかった。 故に観終えてからはずっとプラプラのその後の事ばかり考えてしまった。 マコトは救われたけどプラプラが救われる日はくるのだろうか… 肉まんの件が理解できないそこがプラプラの欠落している部分なんだろうな…とか うちにはステイどころかチャンスもなかったからマコトは本当にレアケースなんだなとか 私の父親もいまプラプラのような『仕事』をどこかでしているのだろうか とか。 大きな罪を犯して死んだ人間が常世にも現世にも留まれないままちゅうぶらりんでいる状態は 当事者の「家族」の視点でみると非常に辛いものでして。 いつかプラプラも救われる日がきますように、と切に願ってしまった。
[DVD(邦画)] 7点(2013-04-25 19:08:28)
4.  借りぐらしのアリエッティ
けっこう酷評を聞いていたのでそのつもりで観たせいか、思っていたよりは面白かった。でもこれ映画料金1800円出すかと問われると迷う。 往年のジブリ映画は観終わるとき「ああ、もう終わっちゃう…」と心惜しさが残るのに比べ今作は「あれ、もう終わっちゃう?」と物足りなさが残る。この差は大きい。監督が誰(何)の為にこの作品を手がけたのかという疑問がわいた。一見すると尺の短さや物語の素朴さに問題があるように感じるのだが、よくよく考えてみるとジブリの平均点を目指すことに尽力を注いでしまい、肝心の主要キャラクターが脚本通りにかっちり動きすぎていて監督がアリエッティと少年に踏み込もうとしていないところが原因ではないかと思った。面白い映画の主人公は創り手の意思を飛び越えて自由に動き出してくるものだけど、アリエッティはそうじゃなかった。主人公にもっと深くするどく突っ込んで練りに練って推考しまくった結果があのアリエッティだったのだろうか?否、どこかにサラリーマン根性が臭う納期に間に合わせた感のあるキャラだ。そういう点で非常に惜しい作品だと言える。(これに限らず猫の恩返しもゲドもそうなんだけどね) 余談だけど、ゲド戦記辺りから胸糞悪くなるような嫌味なキャラは皆オバちゃんだけど最近のジブリの中の人はオバちゃんに何か恨みでもあるのかな?でももし宮崎駿だったらあの家政婦を意地が悪くても何故か憎めない面白いキャラに描けたのではなかろうか。監督としての力量の差がここで大きく出たなと思った。  それと居心地のよかった住処から引越ししたくないけどやむを得ず新天地を目指さなくてはならなくなり海のポスターを見つめ将来の希望を見出すアリエッティの母親の姿に今後のジブリの姿勢を垣間見てしまったような気がしたのは勘ぐりすぎですかね。
[DVD(邦画)] 5点(2013-03-21 17:02:14)(良:1票)
5.  海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE
こういうのでいいんだよ、こういうので。 あんまり懐かしくてうまくて…おもわずお代わりしちゃったよ。
[映画館(邦画)] 10点(2012-11-16 13:25:47)
6.  岳-ガク-
そこは小栗旬じゃなくて照英じゃないと。
[地上波(邦画)] 3点(2012-09-24 01:20:55)(笑:1票)
7.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 
友人と鑑賞。 「妖怪は嘘をつかねぇ。」私の心にグサリときた台詞だ。 昨今のNHK教育でも見られない地味で素朴なキャラ。かわいいというより不気味さが先にたつクゥ。見始めるとそんなことはまったく気にならなくなる。丁寧な表現とほのぼのとした笑いに素直に顔が綻ぶ。そのぶん、中盤から後半の流れが辛くなってくる。思わず観ていて目をそむけたくなった。それは表現が過激なためではなく『人間はこういう生き物だ』と別の生き物達の目から淡々と見せ付けられるから。この映画に説教はない、批判もない。人間批判をしているわけでも妖怪賛歌でもない。ある少年とクゥという河童がかけがえのない一夏を過ごした思い出の映画だ。 クゥを守りきれなかった上原一家に憤る人もいたのではなかろうか。けれど上原一家はあくまでどこにでもある平凡な一般家庭。仮に別の子供の手によってクゥが復活したとしても、結末は変わらないものになったと思う。クゥのような、人間ではない小さな生き物が日本のどこかで静かに暮らしている事を願ってやまない。 余談だが、新天地で川の神様に挨拶をしてはいるクゥにはっとさせられた。この映画を観て以来、私は見知らぬ土地に出向く時は心の中で「お邪魔します」と一礼するようになった。 
[映画館(邦画)] 7点(2009-12-05 23:49:32)(良:2票)
8.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 
一度でいいから、駿氏のコンテ画がそのまま動く映画が観たいと思ってたので ざっくりした絵柄や背景と単純な線画のポニョは長年の夢が適ったようで嬉しかったです。 実は宮崎アニメって一度観ただけで内容と主旨が理解出来た作品は殆どありません。 一度観ただけで理解できたのは、かろうじてラピュタとカリ城ぐらいです。 他作品は何度か視聴して他メディアの解説や原作や書評を読んでやっと理解できるものばかり。 バックグラウンドが壮大すぎるのか知らないけど「あのシーンは何?」「何を意味しているの?」と疑問符が浮かぶのですがさも知ったかのような顔をするのはもう疲れちゃいました。紅の豚以降の宮崎アニメはなるべく自分の感情が揺さぶられたそのままに受け止めるようにしています。 ポニョが「そーすけ、好き!」と言うシーンで何故かぐっと泣きそうになったし ポニョと宗介が二人きりで試練(?)を課すとき現れる子連れの夫婦が現れたとき 何故か言い様のない寂しさというか哀しさを感じました。本当、何故かはわからないけど瞬間的に「千と千尋」の後半電車シーンの、駅のプラットホームの黒い少女の影を思い出したのです。異世界のような奇妙な空間みたいな。 ポニョは波の重量感と質感、スピード感を重視したおとぎ話。 自分が子供だった頃、ポニョのような人間以外の小さな生き物の友達は確かにいました。 でもそういった友達は出会いから別れるまでせいぜい数時間なんですよね。 二度と会えないと思ってた小さな友達が「きたよ!」て全身全霊で応えて目の前に現れるってそれだけで涙が出そうになりました。まあそこまでならおとぎ話だけど、実際お魚が人間になっちゃうと現実はシビアだからねえ。ポニョ母の口から「身元引受人」という言葉が出てきたときは思わず噴出しました。あと父親って報われないものですね…娘の立場として代わってここに書きますが、不器用な父に感謝する日は必ず来ますからね、ホント。がんばれフジモト。
[映画館(邦画)] 7点(2008-09-01 04:10:37)
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