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自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

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1.  救命士 《ネタバレ》 
NY・へルズキッチンで救命士として救急車を走らせる主人公の3日間。 しばらく前に、救うことができずに死なせてしまった少女に対する罪悪感を胸に、きわどいところで正気を保ちつつ、ドラッグや犯罪渦巻く街を走る主人公は、自身の救いを見つけることが出来るのか? --------。  出演はニコラス・ケイジ、パトリシア・アークエット、ジョン・グッドマン、ヴィング・レームス、トム・サイズモアら。  NYで実際に救命士を務めた経験のあるジョー・コネリーの原作を、ポール・シュレイダーが脚色し、・マーティン・スコセッシが監督している。 「タクシー・ドライバー」のコンビが久しぶりに組んで、ニューヨークを描くということで話題となった作品だ。  映画の始めに病院に担ぎ込まれ、植物状態で生かされ続けることになる男のエピソード、その男の娘と主人公を巡るエピソード、薬のせいで完全に正気を失い病院と街を繰り返し行き来している男のエピソード、途中で知り合うドラッグディーラーを巡るエピソード、同僚をめぐるエピソードなどが、緩く絡みあっていく。また、原作者が監修した救急現場の現実もひとつの見せ場になっている。  確かに、流石に一流の監督が撮った作品、という格の違いのようなものはある。映像的な面白さもある。 色調を押さえているようで、リッチな色を感じさせる撮影も素晴らしい。 細かいショットをリズミカルに繋いでいく編集も見事であるし、いかにもスコセッシと思わせる選曲による既成曲のパッチワークも、過剰気味ではあるが、耳に楽しい。  でも、作品としての強さは、作り手の名声から期待されるほどのものではない。 ひとつには、この映画が断片的なエピソードが繋ぎ合わさって、より大きなテーマを浮かび上がらせるというスタイルをとっていることにある。 描かれるエピソードの一つ一つに意味が付加されているものの、全体としてのドラマには力強さが欠けていると思う。  もう一つは、「今、この作品である意図」が見えてこないこと。 原作の、そして、映画の舞台は1990年代の初頭だというから、かれこれ30年が経過していることになる。  この30年というのが、意外や中途半端な距離感で、1980年代ほど「過去の歴史の一部」になってはいない生々しさはあるが、現代と言うには離れていて、「今」を捉えているというわけではない。 時代にとらわれず、普遍的なテーマを描いているにしろ、なんとも煮え切らない感じがするのだ。  最近では、完全にB級映画の出演者となり果てたニコラス・ケイジが「正気と狂気の境目にいて、かろうじて仕事をこなしている男」の眼にリアリティを与えている。 この映画がその「眼」で幕を明けることが象徴しているように、これは、彼の目が捉えた3日間、彼の目が捉えた世界の物語なのだ。  既成曲の合間をつなぐように流れるベテラン、エルマー・バーンスタインのスコアが、バラバラになりそうな作品全体に、一筋の統一感を与えていたのが印象的だった。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2023-08-28 08:47:32)
2.  君よ憤怒の河を渉れ 《ネタバレ》 
この映画「君よ憤怒の河を渉れ」は、高倉健が長年専属だった東映から独立、退社後の記念すべき第一作目の作品で、「新幹線大爆破」の佐藤純彌監督による永田プロ=大映映画製作のサスペンス・アクション大作だ。  高倉健は、この映画の後、「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」と立て続けに名作へ出演し続け、名実ともに日本を代表する俳優へと昇り詰めていくのです。  西村寿行の原作を出版しているのが、大映の親会社の徳間書店で、いわば、その後の角川映画のメディアミックス戦略を先取りしていたとも言える。  ストーリーは、巨大な権力の陰謀によって無実の罪を着せられた、健さん演じる現職のエリート検事が、無実の罪を晴らすために逃走、見えない敵を追って、東京から北陸、北海道、そして再び東京へと逃亡しながら、巨悪を追い詰めていくという、スケールの大きな復讐の旅を描く、一大エンターテインメント作品だ。  彼を追う警部に原田芳雄、恋人役に中野良子が脇を固め、大滝秀治、西村晃、倍賞美津子などの個性派俳優が、出演場面は少ないながらも、いい味を出して映画を引き締めていると思う。  そして、この映画を何よりも盛り上げているのは、危機一髪でのセスナ機での脱出、新宿の街頭での裸馬の大暴走などのダイナミックな見せ場と中野良子とのラブシーンだ。  いささか大味な展開を澱みないストーリー運びでグイグイと引っ張っていく演出は、さすがに百戦錬磨の佐藤純彌監督だと思う。  ただ、非常に残念だったのは、音楽の青山八郎が、キャロル・リード監督の名作「第三の男」のアントン・カラスのテーマ曲を完全に意識した曲作りが、恐らく日本映画史上、最大のミスマッチ映画音楽として歴史に残る程の大失敗をもたらした事だ。 こんなにも、映像の緊迫感と間の抜けたような音楽の組み合わせも、非常に珍しい。  そして、この映画は中国の文化大革命以後、初めて公開された外国映画として、中国では知らぬ人がない程の大ヒットをしたのは有名な話だ。  そのため、その後の中国では、日本人俳優の中では、いまだに高倉健のみならず中野良子の人気が高いという事だ。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-05-31 08:39:05)
3.  危険な関係(1988) 《ネタバレ》 
「危険な関係」に出演しているミシェル・ファイファーは、何とも言えない不思議な魅力を持った、面白い女優だと思います。 その彼女の魅力が十二分に発揮されたのが、この映画「危険な関係」だと思います。  この映画は、18世紀のラクロによって書かれた書簡体形式の小説が元になっており、このむせかえるようなエロティシズムの香りを放つ小説を映像化するのは並大抵のことではなかったと思います。  ~メルトゥイユ侯爵夫人は、自分から心が離れた愛人への腹いせのために、その愛人が恋慕している人妻を、これも自分の元愛人であるヴァルモン子爵を使って、その虜にさせようとする。ヴァルモンは、その意を受け、奸智をめぐらせて、この誘惑に乗り出すのだった~  メルトゥイユ侯爵夫人とヴァルモン子爵が企む誘惑の綾が、目に見えない関係の糸を結び、解き、切断する、狂おしいほどの小説世界を構築していると思います。 何でもこの小説は、発表当時は禁書とされたが密かに読み継がれ、18世紀のフランスを代表する作品になったと言われています。  しかし、この映画化された作品では、永遠のオスカー無冠女優である主演のグレン・クローズの見事さと相まって、ラクロの世界とはまたひと味違う肌触りをもつ世界を作り出すことに成功していると思います。  18世紀フランスの貴族の社交界の窒息するような優雅さとエロスの香りは、多少、犠牲にされていますが、性の悦楽を秘めた記号性と心理描写の綾は、このラクロの原作を見事に現代に蘇らせていると思います。  それは確かにグレン・クローズの快楽とサディズムがないまぜになった演技によるところが大きいのですが、ミシェル・ファイファーが発するアンビバレントな魅力にも寄っている点は見逃せないと思います。  あの輪郭がはっきりし過ぎている正面から見た顔。意志が強烈で、自我が強く、他者の介在を許さない顔。 ここには疑いもなく、現代の女性としてのストレートな強さが存在している。  しかし、横顔は、さながらギリシャ彫刻のように理性とエロスが融合し、その視線が観る者を目指さないだけに、遠くの世界の果てを指し示してくれるのです。 つまり、ミシェル・ファイファーの顏は、永遠のエロティシズムと現代性とが奇跡的に折り合いを見つけた顔なのだと思います。 その顔が、メルトゥイユ侯爵夫人の差し金とは知らず、ヴァルモン子爵に誘惑される人妻を演じているのです。  最初は誘惑を断り続けていますが、次第に傾き、ついにはそのヴァルモン伯爵の手に落ち、彼にのめりこみ、そして裏切られ、絶望し、最後に死に絶えるこの人妻は、18世紀においてはありふれた出来事だった、このような事件の中で、一方で、そのエロティシズムを失わず、他方、現代の男女の恋の綾までも表現してみせたのです。
[DVD(字幕)] 7点(2019-03-16 10:47:25)
4.  キートンのセブン・チャンス 《ネタバレ》 
世界の三大喜劇王と言われる、チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイド、バスター・キートン。  DVDで名作の誉れ高い「キートンのセブン・チャンス」を鑑賞しました。 この映画でのバスター・キートンを観ていると、最もオーソドックスなスラップスティック・コメデイの演技とは、まさしく、これなのだと思えてきます。  バスター・キートンは、グレート・ストーン・フェイス、つまり、偉大なる無表情と呼ばれたそうですが、まったく無表情なのですから、すべては身体を動かして表現するほかないことになります。  ところが、よく観ると彼には小さな動きの演技はあまりないので、必然的に演技は大きく、なおかつ、猛烈なスピードを持って展開されることになります。 この映画を観て、あらためてスピードのないスラップスティツク演技なんてのは、スラップスティックとは言えないなと思ってしまいます。  この映画の最大の見せ場は、後半にやってきます。  前半の求婚をめぐるお話も、キートンらしく不器用で直線的で、それはそれなりの面白さを持ってはいますが、しかしこの前半は、例えば他のコメディアンが演じても、それぞれの持ち味に応じた面白さは出るだろうと思われます。  ところが、キートンが雲霞のごとき花嫁候補の群れに追われる後半は、キートンならではの面白さが一気に爆発します。 野越え山越え、ひたすら逃げ続けるキートンは、その疾走が紛れもなく全力疾走であることで私を驚かせ、その起き上がり方の素早さでアッと言わせてくれます。  キートンは、決して手を抜いたり、ふざけたりしません。 世界中の誰よりも真面目に、スラップスティック演技に全身全霊を捧げているのです。 キートン喜劇の面白さ、可笑しさは、まさに彼の生真面目から生まれてくるものだと思います。  彼の映画の笑いは、押しの一点張りが成功した時にめざましいものになります。 それは、チャップリンのような緩急自在の呼吸から生み出される笑いとは、まったく違う笑いなのだと言えると思います。
[DVD(字幕)] 8点(2019-03-12 22:55:45)(良:1票)
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