1. 婚前特急
《ネタバレ》 本作を鑑賞したのが映画開始前に舞台挨拶がある回だった。忘れもしない、我らが吉高嬢(超・天真爛漫)がこともあろうに結末を匂わす発言をしてしまったというあの状況を…。会場は騒然となり、微妙な空気で映画スタート。ところが実はこれがミスリードだった。通常の鑑賞だったら、絶対意外性がなかっただろう一つのオチに「やられた感」を与えてくれた。吉高由里子、とんでもないエンターテイナーだ。そんな分かりやすい結末で、前田監督の過去短編作を殆ど観ている身としては、全体的にも少々毒っ気が足りないような、安直な笑いに走りすぎたような惜しい気持ちはなきにしもあらずだが、ライトなだけに誰でも適度に楽しめるような娯楽作品に仕上がっていると思える。何といってもヒロインをはじめ、キャスティングが素晴らしい(これだけのキャストを揃えた時点で成功だと個人的には思う)。そんななか、かつてのインディーズ時代の盟友たち(宇野祥平をはじめ、鈴木なつみ、梅野渚などなど…但しクレジットで確認)も切り捨てず、見事に一つの世界に混在させた監督の男意気を買いたい。次回作にも期待。 [映画館(邦画)] 7点(2011-04-28 12:45:30) |
2. 恋するポルノ・グラフィティ
《ネタバレ》 ケヴィン・スミスという人は、根底にあるものが全く変わらない。ちょっと変わったラブコメ、オタク、エロ、多弁、下品。本作を象徴するキーワードは十年以上も前に制作した「チェイシング・エイミー」と同じある。監督としての世間的な彼の地位が、この十年~十五年くらいでどのように推移しているのか私は把握していないが、こんなに(勿論いい意味で!)成長しない人は、業界にあまりいないのではないか。盟友?ジェイソンも相変わらずの馬鹿キャラで堂々の登場。ファンとしては嬉しい限りだ。私の感覚では、ずっと居心地のいい関係(幼馴染以上恋人未満、とでもいおうか)だった男女が、事務的なセックスをきっかけに意識しあうようになるというストーリーは理解・共感できないのだが、全体的にグダグダでリアリティがないために完全に自分と切り離して楽しめた。 [DVD(字幕)] 7点(2010-09-23 01:34:03) |
3. 告白(2010)
原作を先に読んでいた者としての感想は、本作は最近の邦画やドラマにありがちな、いわゆる「原作レイプ」な作品ではないと断言できる。それどころか、原作の衝撃を独特の映像の質感(ところどころハネケっぽい)や音楽のチョイスでより鮮烈に魅せており、原作ファンは勿論、原作者の湊氏も大満足の仕上がりであるはず(興行成績的にもおそらくウハウハだろう…って下衆ですいません)。個人的には、「告白」という作品の内容は、あまり好きではない。青春モノであり、センセーショナルであり、人の心の暗部が垣間見え、主観と客観が丁寧に絡み合って真実が提示され展開していくストーリー、そして血が流れるという、私のツボ満載なはずなのに…。多分、浅いのだ。人の心というものを描いている割には結構説明的で。感情→行動のつぎはぎが雑。「馬鹿みたいに熱血な教師」とか、「マザコンの孤独な少年」とか、「親バカのバカ親」とか、登場するのがさらっとメモ書きしたみたいな、変人だがある意味ステレオタイプなキャラクター。人間らしさがなく、いかにも「キャラクター」で感情移入が難しいのだ。もっとも、一般人にはどう頑張っても共感できないような異端者なのだが。ストーリーの衝撃で大分カバーはされているが、人間ドラマとしてはいまいち。ただ、映画化したことで、文章では表現しきれていない微妙な部分が中島監督や俳優陣の解釈によって少し肉厚になった感はある。特に松たか子は好演している。冷徹さにも、隠し切れない母親の顔が滲むという演技は本当に素晴らしい。内容自体どうこうではなく、俳優の演技や監督の演出といった、技術的な面に高得点を差し上げたい。本当に、全体的に暗いストーリーにあえてポップな音楽を挿入したり、早回しなどの特殊効果を加えたりとユーモラスな演出をする中島監督のセンスは冴えている。嫌われ松子~も原作を先に読んでしまったので何となく観ていないが、この感じならちょっと観てみたい。 [映画館(邦画)] 8点(2010-07-03 22:23:38) |
4. コドモのコドモ
《ネタバレ》 幼い少女が出産するというストーリーの映像作品がここ数年で何作か世に出て、物議を醸した。でもよくよく考えたら、作品中でもばあちゃんが言ってたが、産むことができる身体だから赤ちゃんができるってことなんだし、自然の摂理に反しているわけではない。子どもが出産するというテーマの問題点は、私が思いつく限り2つある。1つは赤ちゃんを育てるということは経済力や躾の面で子どもには難しいということと、そしてもう1つは―こちらの方が大きいと思うが―妊娠や出産以前の過程で、そもそも子どもがセックスするというのがタブーであるということだろう。前に他のレビュアーさんが書いてらっしゃる、セックスの意味も分かっていない子どもがセックスするということが暴力であるという意見はもっともだ。ただ、この手の作品の意味は、無論、幼い子どものセックス礼賛ではない。汲み取るべきは、「よかったね~」と笑い合っている周囲の理解ある仲間や家族という奇麗事ではなく、批判的な第三者というリアルの部分であると私は思う。また本作の、幸せそうな「今」だけ切り取り、あまり未来を感じさせないラストシーンはどこか名作映画「卒業」に似たものを感じる。これからもずっと幸せなんて約束はない。世の理みたいなものに背いて選んだ道は、間違いなく厳しい。それでも生まれてしまったものは仕方ない。たとえ産みたいという感情は一時的なものでも、結果は永遠についてまわる。ともかく子どもだろうが大人だろうが、命を作り出すという行為はいろんな意味でとーっても重い。そういうことを、不安も感動もひっくるめて、感じられればいいのではないか(そしてそれが似たテーマの「JUNO」よりは断然感じられる本作)。ただまあ個人的には、ハルナの大きなお腹にばあちゃん以外の大人がいつまでも気づかないというのが、子どもにしか見えない赤ちゃんの存在…的なファンタジー設定ゆえにかと思っていたから、本当に産んじゃうのには驚いた。「自分の子どものことは何でも分かる」と豪語する母親がずっと気づかないという設定はやっぱりどうしても無理がある。そこに何らかの意味を持たせたかったのは承知の上でも。 [DVD(邦画)] 7点(2009-12-07 21:35:46)(良:1票) |
5. ゴーン・ベイビー・ゴーン
《ネタバレ》 この映画が投げかける問いに明確な答えはない。ある人は主人公に共感し、ある人は主人公を否定するだろう。しかしながら、どちらかの行動を選ぶと言いながら、どちらの心情も理解できる人が殆どだろう。物語の結末の時点での娘の視点に立てば、どちらも正解とは言い切れないからだ。現実にはこういうことが往々にしてある。だから、どう思おうと、その人なりの価値観だということで、否定はできないと私は思う。アフレックもそういうつもりで、あえて結末をすっきりさせなかったに違いない(ちなみに私は、主人公の熱い考えには反対だ。私なら誘拐犯を見逃したかもしれない。しかし、かといって意見の相違で恋人が去ってしまうのも酷な気がした)。ただ、この映画を観て、何の感想も抱かなかったという人がもしいるとしたら、私はそちらのほうが問題だと思う。本作の主人公のように、人の一生を左右するような重大な選択を迫られる状況というのは、裁判員制度が導入された現在、私たちにとってもはや他人事ではないからだ。裁判員に選ばれたとき、我々は場合によっては人の生死まで判断せねばならなくなる。答えのない問題に取り組むのは、できれば避けたい大きな試練だが、それを放棄してしまうのは、最終的に判断を間違ってしまうよりも罪なことだ。実際、裁判員が自分なりの根拠を持たないで、適当に一票を投じてしまうようなことが起こるのは怖い。何らかの大きな選択をするなら、そこに必ず信念や自論は必要だと思う。主人公もそれがあればこそ、多少の後悔はあっても、孤独な少女の現実を受け入れられるのだろうから。…そんなことを真剣に考えさせられた作品。話は変わるが、ベン・アフレックといえば私のなかではケヴィン・スミスなわけですが(笑)、ケヴィンの作品ではアホっぽい姿をよく見るぶん、この作品で彼の別な一面が見えてある意味良かった。あんたはいい男だ!!ちと惚れた。 [DVD(字幕)] 7点(2009-07-14 02:40:44)(良:2票) |